今年のムハマド生誕祭は1月3日に巡ってくる。ジャワ島のスラカルタ王家とジョグジャカルタ王家という2大ジャワ王家に加え、チレボンのカノマン王家では、ムハマド生誕祭までの1週間、ガムラン・スカティと呼ばれる特別なガムランのセットが昼夜上演され、その間は市(パサール)が立って大勢の人々で賑わう。この、スカティ演奏を中核とするお祭りのことをスカテンと呼ぶ。ただし、チレボンではムハマドが生まれたムルッド月にちなんでムルダンと言う。チレボンではカスプハン王家にもガムラン・スカティと呼ばれるものがあるが、それはこのムルッド月ではなくて、犠牲祭(と断食明け大祭?)の時にしか鳴らさないらしい。
スカテンは、イスラム聖人たちが布教のために、巨大な―つまり大音量の―ガムランを造ってモスク境内で演奏し、人々を集めたことに由来する。スラカルタとジョグジャカルタの王家のガムラン・スカティは通常の倍くらいほどの大きさがあり、男の人でないと振り下ろせないほど大きなバチでガンガン叩く。ところが、カノマン王家のガムランは小ぢんまりとして、可憐な音を出すので驚いてしまった。もともとチレボン地域のガムラン楽器は前の2王家の楽器より小ぶりだが、これでは大音量で人をモスクに集めるどころか、人々の喧噪で楽器の音が聞こえないくらいだ。おまけにガムラン舞台の前後左右にまでびっしり市が立て込み、徒歩でしか進めないほど通路は狭く迷路のようで、ガムラン舞台にたどり着くのも大変だ。まるで市場の片隅で演奏しているような感じである。
スラカルタやジョグジャの場合、モスク境内に一般用品の物売りはいない。ここでゴザの上で売られているのは、スカテンにつきもののビンロウジュ(ガムランの第一打に合せて噛むと寿命が延びると言われる)に卵、供物用ご飯のナシ・ウドゥッグ。卵はジョグジャカルタでは赤く着色した卵(endhog abang)、スラカルタでは鹹蛋というアヒルの塩漬け卵(tigan kamal)を売っている。チレボンではどうだったか忘れたが、どうやら卵は生誕を象徴するものらしい。余談だがキリスト教では復活祭(イースター)で卵を用意するが、あれも意味するところは同じなのだろう。他に境内では伝統的な鞭や貯金箱も売られている。鞭は子供の躾用だろうか、貯金箱は子供に倹約を教えるためだろうか。ともあれ、モスクの外でバイクを預けて入った境内はガムラン・スカティの音で満たされ、若い人だけでなく、長寿を願いに来た老人や、子供の成長を願う家族連れでにぎわっている。若い母親の中には、幼児を抱いてスカテンの舞台に上がり、ブドゥッグ(イスラム用大太鼓)に子供の頭をつけさせてもらう人もいる。賢くなるようにと願ってのことらしい。その様子を見ると、獅子舞で幼児が獅子に頭をかぶってもらうのと同じだなと思う。ブドゥッグ奏者によれば、ジャワでは穢れのない幼児はブドゥッグに、世俗にまみれた老人はガムランの大ゴングに触れて祈るのだという。これは、ガムランに表象される土着文化よりもイスラムの方が優位であることをイスラム聖人が示すために考え出した話のような気がする。
ガムランを堪能したらパサールの方へ。王宮広場(アルンアルン)にはテントが並び、パグララン・ホール(かつては王が家臣と対面した所)はブースで仕切られる。ガムラン・スカティを聞いたり、門前に展開する屋台を巡ったりする分には無料だが、この中に入るのは有料である。見世物小屋(イルカのショーとかバイクのショー)に、移動遊園地(観覧車や乗り物類など)に舞台コーナー。ブースでは食品から衣装品から台所用品から家具まで売っている。各州の物産展、化粧品や健康食品のPR、パラノルマル(霊能力者)の相談コーナーなんかもある。地方百貨店のイベント会場というような雰囲気だろうか。
こんな風に、ジャワの2大王家ではスカテンの儀礼空間とパサールのイベント空間は整然と分かれている。それに比べるとチレボンのムルダンは聖俗ごっちゃの市場という感じだ。あの迷路のようなパサールのどこにモスクがあったのか、結局分からなかった。チレボンの方がよりイスラム化した地域なのだが、より宗教儀礼的に見えるのはスラカルタやジョグジャカルタのスカテンだなあと感じる。これは、儀礼形式を整える力や権威がジャワの2大王家の方があるからかなあと想像している。