1月20日夕方、サッカー・アジアカップのヨルダン対日本の試合をTVでみていた。予選リーグ最終戦。日本は手堅く勝ち進むだろう。試合が始まって間もなく画面には、「日本人がイスラム国に拘束」と字幕に流れる。あわててチャンネルをかえると、後藤健二と湯川春菜と思われる日本人がジハーディ・ジョンに首根っこをつかまれナイフを突きつけられていた。72時間以内に、2億ドルを払えと要求している。
「なんてこった。。」
後藤健二がシリアで行方不明になっているという話は知っていた。私は冷静になろうとして、TVを、サッカーの試合に戻す。前半24分、岡崎のシュートをキーパーがはじき、本田がゴールを決めた。歓声が沸き起こる。週刊誌から電話が入る。
「後藤さんを知っているか」
「はい。私もTVを見て驚いた。これ以上は何も知らない」
後半82分、武藤が左サイドを駆け上がり、クロスをあげて、香川がシュート。キーパーがはじくも、ボールはゴールの右隅に転がり込んだ。日本は2-0で勝利した。
私は、2003年、後藤さんと出会あった。彼がイラク取材をしているときは、わりと連絡を取り合っていたが、最近は、疎遠になっていたこともあり、コメントするような立場でもなかった。しかし、産経新聞が、2010年のブログの記事を見つけて、コメントを求めてきた。「後藤さんの取材活動への思いやお人柄など、ご存知の範囲で教えて頂きたくご連絡させて頂きました。後藤さんの人柄を伝えることが、救出への国内世論を高めることにもつながると考えております。」というのだ。それで、産経がそういうのなら、できる限りのことをしたいと思った。まずは写真の提供。僕の持っている写真は、一歳の息子を抱っこしてもらっている写真だったが、赤ちゃんと一緒に写っていることが感じられるように、頭の少しだけが入るように切り取ったものをリリースした。
1月24日、準々決勝で、UAEと対戦した日本は、1点を先制されるが、後半で追いつき、延長戦でも決着がつかず、PK戦となり、まさかの本田と、香川がゴールを外して、惜敗した。悔しい思いでいると、夜の11時ごろには、「イスラム国」が新たなビデオを公開したという。湯川さんが殺害されたようだった。そして「イスラム国」の要求はお金ではなく、ヨルダンでつかまっている死刑囚のサジダの釈放だという。条件がしぼりこまれ、具体化するにつれて、解放される可能性は高まったのではないかと少し楽観的になっていた。
イブラヒムにも連絡をしてコメントを出してもらう。
2005年、イブラヒムは妻を白血病で亡くしてる。後藤さんは、ジャーナリストとしてイブラヒムに寄り添い、妻が亡くなる瞬間を映像に収めていたのだ。私達は、その映像を公開した。NHKの「おはよう日本」が取り上げた。
28日には、アジアプレスの綿井健陽から、声がかかり、「イスラム国」に向けたメッセージをアラビア語に通訳してもらいヨルダンのTVや、インターネットで配信した。
1月30日は、大雪になり、新幹線で福島に移動。イラクと、UAEが3位決定戦を行う。イラクはミスが目立ち2-3で敗れた。
1月31日アジアカップ決勝 オーストラリアが韓国を下し優勝を決め、すべての試合が終わった。
テレ朝から電話。翌日の報道ステーションサンデーで、イブラヒムの電話インタビューを流すことになり、事前に電話インタビューを行うことで、話がまとまり、イブラヒムと話す。
朝方5時くらいまで、作業をしており、うとうとしていたら、NHKから電話が入る。
「新たなビデオが公開されました。後藤さんは殺されたようです。コメントをもらえますか」という。私は、気持ちの整理がつかなかった。「申し訳ないが、勘弁してほしい」
「敗北」という言葉。
その後、マスコミからの電話があいつぎ、もう解放に向けた戦略とかそういうものも必要なくなったので、ただ、淡々と答えていたように思う。
福島から車で帰る途中、イブラヒムに電話して、後藤さんが殺されたことを伝える。イブラヒムは電話の向こうで号泣していた。私も、悔しくなって、涙が出てきた。
その後、取材の内容はいつしか、「なぜ、あなたは、危険なところに行くのですか?」というものが主流になっていた。もはや、私たちは、数年前から危険なところにはいかなくなっている。今問われていることは、どこまで、目をそむけようと思ったらできることを、あなたは目をそむけないで食いついていくのですかと問われている。そう聞かれたら、意地になって、理屈をならべる。でも本当は、目をそむけてしまえばどれほど楽だろう。いつもそういう誘惑に駆られている自分がいる。