ガール・ミーツ・ボーイの物語

今年のバレンタインに、日本のロックバンド「シーナ&ロケッツ」のシーナが亡くなった。昨年の7月に体調を崩して、6年ぶりのアルバム『ROKKET RIDE』のリリースや9月の日比谷野音の35周年ライブなどを見守りながらも、ファンは心配していたのだった。

突然の訃報だった。
それはシーナが、最期までロックを歌っていたいと決めて、闘病については特に公表しなかったからでもある。『サンデー毎日』3月8日号の鮎川誠(シーナの
夫でもありバンドのギタリストでもある)のインタビューによると、シーナは「ロックは生きとる喜びを歌うものじゃけん」と言って、抗がん剤や放射線治療を
しないで「歌いたい限りは歌う」ことを選んだという。

高校3年の頃に、シーナ&ロケッツの「YOU MAY DREAM」がヒットしていたのを懐かしく思い出す。文化祭の準備をする教室で、ラジカセから流れていたシーナのうれしさに溢れた曇りのない声を、未知の
世界の入口にいた頃の空気と重ねて思い出す。「YOU MAY DREAM」は、今も大切な曲としてライブで歌われていた。この歌に込められている夢を見る事への肯定感は、歳を経てますます確信を強め、若者ではなく
なった今もなお、胸に響く1曲だった。この曲名を書名にしたシーナの自伝エッセイ『YOU MAY DREAM』(2009年 じゃこめてい出版)は、シーナ&ロケッツのロックと同じように、正直で肯定感にあふれた1冊だ。

シーナはグルーピーでもなく、家で待ってるロックンローラーの妻でもなかった。鮎川誠のギターの横で歌う、彼女自身もロックンローラーだった。『YOU MAY DREAM』には、バンド結成のいきさつが書かれている。ある日、鮎川のリハーサルに同行したシーナに、歌うチャンスが突然めぐってくる。

1枚でいいから、自分で歌ったレコードを作りたい! というのが、子どもの頃から抱いていた大きな夢だった。 その夢は、マコちゃん(鮎川誠)にさえ話したことがなかった。 歌った後ではじめてマコちゃんに言った。 「私、歌いたいの」 告白したら、 「よし、作ろう。シーナがヴォーカルをとるバンドを作ろう!」 いきなり、言い出した。マコちゃんの反応は、胸がドキドキするほどうれしかった。こんなに長い間暮らしてきたのに、言い出せなかった秘密。しかし、マコ ちゃんは、いつもレコードに合わせていっしょに歌っている私を見ていたので、その前から胸にアイデアがあったのかもしれない。
(『YOU MAY DREAM』p.90)

言い出せなかった、心の奥にしまった夢を、いちばんの理解者に受けとめてもらう幸せ。そしてふたりは夢をかなえていく。シーナの本名が悦子だから「ロック+悦子」で「ロケッツ」というバンド名になった。シーナというのは、ラモーンズの名曲にちなんでいる。

『YOU MAY DREAM』に綴られているのは、ひとりの女の子が男の子と出会って、お互いを認め合って、愛し愛される幸福な物語だ。おとぎ話を読むように、私はこの本を時々読み返す。

私はいつも欲求不満で、焦燥感でいっぱいだった。ひとりっ切りで突っ張って生きてき た。頑張って「自分の人生」を探し求めてきた。気が強かった。泣くのが悔しい。根をあげるのは絶対に嫌い。そんな私の性格が、マコちゃんと出逢って、一瞬 にして崩れた。自分がクルッとひっくり返ったような気がした。 素直に、純粋になれた。なんか自分が子どもになってゆくような気がした。
(『YOU MAY DREAM』p.71)

ロックのハードなイメージとはうらはらに、シーナはとても柔らかく、温かく、でしゃばらない女性だった。テレビ番組で「大人になって子どももできると、た
まにレコード聴くくらいになってしまう。鮎川さんたちみたいなロックンロールライフがうらやしい」と言われて、「1週間に1度だっていいじゃない。自分が
それを欲しいと思うかどうか。私は欲しがって楽しい日々を送っているの。今日好きか嫌いか。今、今日の問題。」と語っていて印象に残る。ひとつの考え方に
縛られたり、その物差しでひとを批判したりすることが無かった。必要以上に謙遜もしない人だった。ロックの最良のものを持ち続けている人だった。好きなも
のを好きなように着てかっこよかった。

シーナの告別式を知らせるホームページの記事には、昨年9月の、たぶん日比谷野音の時の写真が添えてあった。彼女はグリーンのきれいなスパンコールのミニドレスを着て、雲の上を歩いているように見えた。ロックな女のお手本として、私はシーナを尊敬している。