製本かい摘みましては (109)

読者から電話が日に何本もかかってくる。久しぶりの紙面刷新で、長く続けてきた"付録"のスタイルを変えたことへの苦言がやっぱり目立つ。本文のほぼ倍の大きさの厚い紙に片面カラー印刷したものを2つ折りして毎号綴じ込んできたのだ。ノドにはミシン目。楽しみにしている人がいるいっぽうで切り取りもせず見もしない人も確かにいて、全体の制作費に占める割合が大きいので懸案だった。その方法をやめて別の見せかたにしたのだが、「いつものあれがない」とのご不満ごもっとも。でも逆の、あるいは思いもよらぬ感想を聞けるのがたまらない。たとえばこんな話。

紙も変えましたね。白くなって文字が読みやすくなりました。雑誌全体の厚みは増しましたが1グラムくらい軽くなったでしょう。持ちやすくなったのは"付録"をやめたからですね。私はもともと使わなかったのでいいと思いますが、反対意見が多いのではないですか。年をとると指が乾いて紙をめくりにくくなるものですが、前より表面がざらついているのかなんなのか、めくりやすくなりましたね。それでいて写真もよく出ていて、黒い部分を斜めから見てもテカらない。実は私、製紙会社を数年前にリタイアしまして、今も紙に関心があるので、さしつかえなければ新しい紙の銘柄とメーカーを教えていただけませんか。

尋常ではない指摘に高揚した。長話になるに違いなのでかけ直すことにした。電話を切って編集部の皆に話すと「オ〜〜」と歓声。ほめられることに飢え過ぎのひとびと。編集長がすぐ印刷会社の担当A氏に電話して、これこれこんなことを言われたと伝え礼を言った。わたしたちが誌面刷新を機会に印刷会社に望んだのは「これまでよりも読みやすくて軽くてめくりやすくて印刷がきれいに出て値段もそんなに変わらない紙」。A氏は呆れることなく、これよりはそれ、それよりはあれとわずかな違いを見比べて判断する機会を、束見本や刷り見本を何度も作って示してくれた。おかげで望む紙にはいきついた。でも身内満足に終わりはしないか――とおびえていたところにこの電話。うれしかった。たったおひとかたの声だとしても。

A氏が候補にあげた紙はどれもほんのわずかずつ違う。色合い、手触り、重さ、厚さ、雰囲気、そうだ名前も。なのにそのひとつずつがひとつずつの商品として在るというのはすごいことだ。これでなくちゃと選ばれる特徴を持ち、いつでも注文に応えうる態勢を整えているということだもの。より良い紙を印刷会社に探してもらってそれを見て文句を言うだけだったり、紙見本帳をめくって選ぶことだけを繰り返していると、やっぱり時々、そういうことのすごさが頭から遠ざかるもんだと改めて思った。電話の人がそのあと、佐々涼子さんの『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている――再生・日本製紙石巻工場』をひいて話を続けたからだ。東日本大震災のときはこの雑誌も本文紙を変えざるを得なかったことをその人に伝えた。当時そのことに対する苦情苦言はもちろんこなかった。質問も、なかったけれど。