ジャワ舞踊を彩る花

インドネシアでは(というかアジア周辺諸国でも同じだが)各種儀礼の室礼飾りや供物で香りの良い生花が大量に使われ、その芳香が会場中を包み込む。しかもその出席者や踊り手も生花で身を飾る。こういう香り豊かな花の使い方は日本では難しく、インドネシアがうらやましくなる。というわけで、今回は踊り手を彩る花を紹介しよう。使われる花は、ジャスミン、カンティル、バラである。

まず、ジャスミンとカンティルについて。カンティルはモクレン科の植物で、和名でギンコウボク(銀厚朴・銀香木)と言うらしい。花びらの丈が5㎝位で、日本のモクレンよりもずっと小さくて細身。どちらの花も白色で、つぼみだけを摘んで使い、すでに開花したものは使わない。ジャスミンのつぼみを糸で通して花房やネットを編み、その端にカンティルのつぼみを留めて処理する。ジャワの花嫁は、結いあげた髪の髷(まげ)をこの花のネットで包み、さらにティボ・ドド(胸に達するという意味)という花房を1本、髷の根元に挿して、おさげ髪のように長く垂らす。踊り手が花嫁の姿をする「ブドヨ・クタワン」というスラカルタ王家の最も神聖な舞踊では、胸どころか太ももにまで達するくらいの長いティボ・ドドを飾る。宮廷舞踊には、レイエ(倒れるという意味)という上半身を大きく傾けるような振付が多く、そのたびにティボ・ドドが揺れて、流れる水のようになめらかな舞踊の動きの優雅さをいっそう引き立てる。

冠を被る舞踊(ゴレックやスリンピなど)の場合、ジャスミンの花を10粒ほどつないだものを耳元にイヤリングのように垂らすことがある。普通はビーズの房をつけるのだが、花に替えると踊り手の顔色が映えるだけでなく、その芳香に踊り手も陶然となる。花はビーズよりもゆらゆら華奢に揺れて、舞踊に表情を添える。

また、花輪をネックレス代わりにすることもある。豪華なアクセサリがない庶民にとっては、花で飾り立てることが何よりのお洒落だったに違いない。民間起源の舞踊ガンビョンでは、今でもあまり豪華なアクセサリをつけない一方、長いジャスミンの花輪を首から腰にたすき掛けするように掛けて踊る。昔の写真を見ると、花輪は胸元までのネックレス程度の長さのものが多かったようだ。かつてはその花輪に病気を治す力が宿っていると考えられ、観客は踊り子にその花を所望したという(1950年代始めに出た文化雑誌の記事にそう書かれている)。

男性舞踊家の場合、腰背に挿した剣の取っ手に花房を飾る。踊り手が背中を向けない限り見えないこの飾りが、戦いのシーンにって踊り手が剣を抜くと一転、注目の的になる。剣を振り回すたび花房が揺れ、刃が合わさるたびにジャスミンの花が1つ1つ飛び散って宙を舞い、そして床にこぼれる。ちょうど桜吹雪の中で立ち廻りをするような華やかさがある。

次にバラの花だが、赤、白、ピンク色のものをほぐして、花びらだけを使う。スラカルタ宮廷の女性舞踊のスリンピやブドヨでは、通常より長い腰布を引きずるように着付け、その裾の中に、バラの花びらを巻き込む。踊り手は、この裾を右に左に蹴りながら踊るので、踊っていく内に中に巻き込んだ花びらが次第に飛び散っていく。スリンピは4人、ブドヨは9人でさまざまなフォーメーションを描きながら踊るから、床に散ったバラもそれにつれてさまざまな軌跡を描く。それは、まるで踊り手が床に曼荼羅を描いているようでもあり、仏への散華にも見える。私がジャワ舞踊の中でもスラカルタ舞踊を一番好むのは、この裾からこぼれる花びらに魅せられたからなのだった。

これらの花はパッサール・クンバン(花市場)で買え、店主のおばさんが客の注文に応じてティボ・ドドや花輪などをせっせと作っている。作るのに時間がかかるので、普通は何日か前に予約しておく。また、バラの花は墓参りにも使う(墓石の上に撒く)ので、多くの人が帰省して墓参りをする断食明けの頃には値段が倍に高騰する。一度、断食明けの1か月後にスリンピ舞踊の公演をしたことがあるのだが、そのときに着付担当の人からそう言われてちょっとビビッてしまった。まあ、断食明け直後ではなかったのでそれほどでもなかったが、スリンピだと4人分として手つきの花籠1杯分を用意しないといけないから、ちょっとした出費になるのだ。

以上の他に、目立たないけれどパンダン(英語でパンダナス)の葉も使われる。この葉を繊切にしてヘアネットに詰めて丸めたものを髷の土台とし、簪などをここに挿していく。いわば天然の毛たぼなのだが、お菓子の香料にも使われるパンダンの葉は良い香りがする。現在ではすでに成形された髷を頭につけるだけなので、伝統的な髪型をするのも楽なのだが、私はこのパンダンの香りが好きなので、インドネシアで自分が公演をしたときには、パンダンの葉を土台にして地毛で髷を結ってもらっていた。1980年代の始め頃にはまだ付け髷がなく、いちいち地毛で結っていたようだが、今ではすっかり廃れ、宮廷か芸大での伝統髪型実習の授業くらいでしか目にすることはない。というわけで、パッサールにパンダンの葉っぱを買いに行くと、「あら、芸大の実技なの?」と言われてしまう。

ふと気づいたのだが、蘭の花や、バリ舞踊レゴンの冠の飾りにするプルメリアの花も使われない。せいぜい、ティボ・ドドの先にカンティル以外に小さな赤色の菊の花をつけることがあるくらい。もっとも、プルメリアは墓地に植える花だからかも知れない...。また、赤、白、ピンク以外の色、たとえば黄色や紫色系統の色の花も使わない。各種儀礼のお供えに使う花にも同じことが言える。実は、西ジャワのチレボン王宮のスカテン(イスラム儀礼)を見に行って大変驚いたのが、お供え用の花に黄色い色の花なども交じってカラフルだったこと。この配色は中部ジャワの王宮の供物にはあり得なくて、「イロモノ」という感じがしてしまう。