4月29日はユネスコ傘下のNGO、インターナショナルダンスカウンシル(IDC)が1982年に設定したワールド・ダンス・デイで、この日は世界各国でアマ・プロを問わずダンスの企画が展開される。インドネシアでは2007年スラカルタ(通称ソロ)にある芸大で始まったのが最初のようで、実は私はその第1回目に出演している。というわけで、今月は2007年のインドネシアでのワールド・ダンス・デイの様子を報告したい。
2007年の初回以来、このイベントは「24 jam Menari(24時間踊る)」と銘打たれ、4月29日の朝6時に始まり、翌30日朝6時までノンストップで続く。2007年当時の新聞記事によると、このイベントに約1500人が出演し、うち芸大教員、学生、OBが約1000人、学外から500人だったという。第9回目となる今年の出演者は138団体、約3000人にのぼったという。
このイベントは芸大の舞踊科と市の協力で始まり、現在では芸大キャンパスだけでなく、芸術高校、ショッピングモール、市内メイン・ストリーなど市内各地に会場があり、また昨年は郊外にあるソロ空港などでも開催されたようだが、第1回目はキャンパス内だけで行われていた。
第1回目の進行は、私の記録によると、次のようである。朝6時から学長棟の前の広場で開始の儀(当然ダンス)があり、7時からF棟、9時からフマルダニ劇場、10時からI棟、11時35分からエデン庭園、12時40分からJ棟、2時から学長棟前の広場、5時50分から船劇場(船の彫刻を置いた野外劇場)、8時35分からプンドポ(ジャワの伝統的なオープン・ホール)、11時から大劇場、明け方5時から6時まで大劇場前の広場、という風に、キャンパス内の授業棟や施設を転々とするように、そして、1つ1つの演し物の間に空き時間がないようにイベントが組まれた。つまり、誰かが上演している間に次の催しの準備も進んでいて、その演目が終わるや否や、間髪を入れずに次の演目が続くのだ。そして、それらの時間割のように組まれたイベント以外に、企画代表のエコ・スペンディ(舞踊科教員)が24時間ぶっ続けで踊り続ける。彼自身もキャンパス内を転々として踊り続け、あるイベントの横で踊っていることもあれば、誰も見ていないような所で踊っていることもある...。
私が出演したのは、朝10時5分から10分間、I棟(舞踊科の講義棟)の1階エントランス部分だったのだが、記者や他の出演者や観客で、黒山の人だかりだった。24時間の中でハイライトは夜の催しだから、正直、午前中からこんなに人が押しかけてくるとは思わなかった。ちなみに私の演し物は、当時バニュマス地方のワヤンの曲を勉強していた友人の弾くグンデル楽器に合せて、日本の着物を着て中部ジャワ風の踊りをするという、受け狙いの妙なもの。
午後2時から広場で行われていたのは、大道芸であるレオッグ(東ジャワの虎舞)やドララ、バロンサイ(華人芸能の獅子舞)など。芸大でやったせいか、いずれもかなりハイレベルの芸だった。夜にプンドポで上演されたのは伝統舞踊で、ソロはもちろん、バリやスラバヤ、アチェ(スマトラ島)の舞踊に、ジャカルタのデディ・ルタン・ダンス・カンパニーという有名な舞踊団の公演があった。その後、大劇場はクローズドのせいかコンテンポラリ舞踊中心。私はたぶん、夜中はちょっと寝たけれど、明け方の閉会の儀は見たような記憶がある。今年のイベントの目玉は、パプア、トゥガル(中部ジャワ北海岸)、バニュワンギ(東ジャワ)、ジャカルタからの出演だったようだ。
インドネシアでは正月や独立記念日の前に一晩寝ずに過ごしたり、影絵の一晩公演などが当たり前に行われたりするせいか、24時間ぶっ続けで何かやるという発想は全然奇妙ではない。それどころか、以前、ジャカルタのタマン・ミニではソロ出身のムギヨノというダンサーが35時間ぶっ続けで踊るという企画があったし(彼は交代しなかったけど、演奏者は何組かいて交代したそうだ)、私がスラカルタの芸大に留学したときに履修した振付の講義で、一晩授業(午後8時頃集合〜明け方5時頃解散)をやった教員もいる。ダンスのパワー自体が、インドネシアではまだまだ強いなあと感じる。