大人げない話(1)ばらまき土産

パリから戻った友人が私にボールペンと鉛筆をくれた。それからもうひとつ。有名シェフの名前を冠した高級チョコレイトも。
「これ、貴族のばらまき土産?」と私は訊いた。なぜ、"貴族の"とつけたかというと、彼が裕福で、かつ美食家で、高級チョコレイトをお土産にくれるのが初めてではなかったから。そして、なぜそんなことを不躾に訊ねたかというと、以前、彼からお土産としてもらったものと同じものが、同時期に知ったひとたちのブログやSNSに写真つきで紹介されていたことがあったから。もはやもらいものはもらうだけでは終わらないのだ。誰が誰に何を送ったか、そんなことまでわかってしまう。とはいえ、そんな不躾な質問を投げかけることができるのも、彼が古い友人であればこその話なのだけれど。

メタリックブルーの四色ボールペンを手にぼんやりと考える。私はこれをもらわなければならないのかしら。軸には白抜きでJeffKoonsとプリントされている。最近、ポンピドゥ・センターで回顧展があったらしい。このボールペンが彼の作品「バルーン・ドッグ」をモチーフにしているのはわかるけど、JeffKoons、全然好きじゃないし、メタリックブルーも好みじゃない(自分のペンケースには絶対に入れたくない)。大体、私は、筆記用具は自分で選んだものしか使わない。万年筆はモンブランとカランダッシュ、インクはブルーブラック、ペン先はF。シャープペンシルの芯は0.7ミリ、濃さはH。最近はフリクションボールの0.38も使う。ボールペンは宅配便の送り状を書く時以外、ほとんど使うことはない。インクのベタベタした感じが苦手だから。中でもBICの四色ボールペンが特に嫌い。フォルムがどうしても好きになれない。頭の部分に紐を通せるようについている突起が嫌。ついこの間も、ノベルティでもらったそれをゴミ箱に入れたばかり。なのに、いま、ペン軸の色だけを変えたBICの四色ボールペンが、手中にあるのだから皮肉なものだ。
それでも、いらない、と言って返すのは、さすがにおとなげないような気がして、私は短い逡巡の後、それを受け取ることにした。「ありがとう」―その言葉が口から出るまでの一瞬、いま一度、私は自分に問うたけれども。こういうの、ありがとうって言わなければならないのかしら。

長いつきあいなのだし、私の好みなんて知っているはず。好きなもの以外使わない、そんな頑固な性格も。だけど、これはばらまき土産。相手の好みなんて関係ない。みんなに同じものを買って配る。そう、ばらまき土産は話のネタとして配るもの。話のネタとしてばらまくもの。そうでなければ挨拶代り。だけどそれって何の挨拶?ともかく、彼は"私を"喜ばせようとして渡しているわけではないのだ。ならば、"私が"喜ぶことも、喜ぶふりをすることも必要ないと思うのだけれど―。

「四十も過ぎた男がばらまき土産なんてやめなさいよ。職場で配るのが常識になっているとでもいうのならともかく、プライベートの友人にまで配るなんて。いまどきパリなんてめずらしくもなんともないし、"これがフランスの!?"なんて有り難がるひとはいないと思うの。だいたい相手に敬意を抱いているひとにばらまき土産は渡さないでしょ?つまり、そういうものを渡すってことは、相手に、私はあなたに敬意は抱いてはいませんよ、って宣言しているようなものじゃない?」

いくつになっても弟のようなキャラクターの彼になら―そして、育ちの良さから来るものなのか、いくつになっても忠告には真摯に耳を傾ける彼になら、そう意見することも出来る。だけど、それすらおとなげないことのように思われて、何も言わずにその日は別れた。近いうちにこれと同じものを、他の誰かのブログやSNSできっと目にすることだろう。頭に知人の顔がいくつか浮かぶ。中には自分のために選んでくれたプレゼントと勘違いするひともいるかもね。くすっと笑ってみたものの、なんだか侘しい気持ちになった。こういうもの、もう私にくれなくていいから。次に会った時には、そう言おう。ばらまかれたものを有り難がるほど、私は話のネタにも困っていないから。絶対にそう言おう。私とお茶を飲むなら手ぶらで来て。高級チョコレイトを齧りながら胸に誓う。おとなげない、その通り。ボールペンを配る彼もおとなげない、それを受け取りたくないという私もおとなげない。彼と私、ふたりはどちらもおとなげない。これはおとなげない話。