仙台ネイティブのつぶやき(2)高原に火を放つ

 仙台から北西方向へ車で2時間半ほど。温泉地として知られる鳴子を過ぎ、さらに山道を登っていくと、鬼首(おにこうべ)という地区に行き着く。もうちょっとで秋田県という豪雪地帯だ。地区全体が大きなカルデラの中にあり、カルデラの中央には1000メートル近い荒雄岳という山がそびえる。その山裾を縁取ってきれいな円を描くように川が流れ、流れに沿って集落が点在している。
 尾ケ沢という集落があって、この8、9年ほどここに暮らす高橋敏幸さんというおじいさんから、かつての山の暮らしを聞くのを楽しみにしてきた。
 春先、雪が残る森の中でソリを使って行う燃料の薪や屋根葺き用のカヤの運び出し。家畜に与える草の成長を促すために行う野火入れ。大きなカゴを背に、山と家を何度も往復する春の山菜採りと秋のキノコ採り。鉄砲を肩に、愛犬を連れてウサギやヤマドリを探し歩く狩り。そして、冬場、囲炉裏端でどぶろくを片手に励んだお膳づくり...。田畑と家畜の仕事を基本に、実に多彩な生業の組み合わせで山の暮らしはが成り立っていたことを教えてもらった。
 尾ケ沢には、いまも水道が通っていない。裏山に湧く水を、台所と風呂場に引いて使っている。知ったときは本当に驚き「いまだにですか?」といいかけ、ことばを飲み込んだ。高橋さんが「家の裏の太い杉の根元からボコボコ水が湧いてきて枯れたことがない」と続けたからだ。数メートル先にいい水がこんこんと湧き出ているのに、水道を引き塩素消毒した水を飲む必要がどこにあるだろう。高橋さんはさらにこう話した。「昔は台所に水舟があってこの湧き水を引き込んでいてね、イワナまでごちゃごちゃ飛び跳ねながら入ってきたんだ」

 「5月1日、野火入れ」。そんなメールが、高橋さんの息子さんから届いた。震災や天候のせいでここ3年休んでいた野火入れを今年は実施するという。ぜひ一度見たかった。
 集合は朝8時半。張り切り過ぎて1時間も前についた鬼首は、よく晴れ渡っていた。遠くの山の残雪が白くくっきりと浮き立って見える。桜の木が、茂り始めた草の上に最後の花を咲かせ、ごぉーっと音を響かせて勢いよく雪解け水が流れてくる。山からも地面からも冬のきびしさは消え、やわらかでやさしい息吹があたりに立ちこめていた。
 集合場所に集落の人たちが集まってきた。年配の男の人が多く、草刈機や熊手のようなレーキという金属性の道具を手にしている。尾ケ沢と隣の寒湯(ぬるゆ)の集落から23人が出て、高台の約70町歩のカヤ原を焼くという。先日、テレビを見ていたら明治神宮の森が70ヘクタールといっていたから、ほぼ同じ面積だ。広大である。リーダーの高橋さん(といっても私が話をきいてきた高橋さんとは別の人)が、「7人ずつ3班に分かれて、まず防火帯をつくる。着火は9時」と指示を出した。するとまた別の高橋さんが「あそこは下からじゃなく、上から火をつけた方がいいんじゃないか」と意見した。4月末から晴天が続いて、空気はカラカラに乾燥している。火の延焼は何より恐い。こういう時は、斜面は燃え広がらないように上から火をつけるものらしい。ちなみに、鬼首には高橋という苗字が多い。だから、みんなファーストネームで呼びあう。この日は一日、高原に「ノブヒロさーん」「カズユキさーん!」と声が響いた。山の人はどこか優雅である。

 私も一つの班に同行した。作業はまず防火帯をつくることから始まる。延焼を防ぐため高原を縁取るように、3メートルほどの幅で伸びた枝を切り落とし、草を刈り、茂った枯れ草を払っていく。ここに小川を切って水を流し、それから火をつける段取りだ。 
 記録係に徹しようと思っていたのだけれど、「これで防火帯の草払ってね」といきなり背丈ほどの木の枝を渡された。枝が三方にきれいに伸び緑の葉がついている。試しに、ちょっと掃いてみたら、これが実に具合がいい。何というのか、このとき自分の中の縄文人スィッチがカチッと音を立て入った気がした。
 見ると、奥の方から白い煙がすぅーっと上がってきた。別の班が火をつけたようだ。「お、あっちは始まったな」というと、カズユキさんが防火帯の縁の枯れ草に100円ライターで火をつけ始めた。さらに、2メートルほど離れた場所に、また着火。えぇっ、水も流れてこないうちにこんなに無造作に始まるものなのか。火はぱちぱちと音をたて、みるみる大きくなっていった。カヤの中の節が弾ける音のようだ。炎で顔が熱い。火の前線の動きは"なめるように"といういい方がぴったりだ。赤い舌を伸ばして燃えるものを探すようにみるみる広がっていく。数人が立って火の進み方を注視し、防火帯をこえるようなことがあれば、走り寄って踏みつけて消す。いつのまにか、私も高原を走り回っていた。

 あたりまえのことだが、燃えるものなくなれば自然に鎮火する。焼けた跡は、一面真っ黒な灰になり、いぶした匂いが立ち込める。少しもあわてることなく平然と火のひろがりを見ているのは、周辺の地形を熟知しているからだろう。そして長年のつきあいの中で、互いがどんな行動をとるかも予測できるからだ。「大丈夫だ、そっちは谷だから」「あいつはすぐ騒ぎ立てるからなあ」...そんな会話が聞こえてくる。
 鎮火を確かめ引き上げたところで、誰かが「まずいな、谷に下りて行ったぞ」と声をあげた。白い煙が上がっている。消したはずの火が斜面を下りてしまったのだ。消えたかに見えて、樹木の切り株などに入った火がくすぶり続けあとから枯れ草に燃え広がることがある、と教わった。「ポンプ車、呼べ!」とにわかに動きが緊迫してくる。ポンプ車といってもタンクを積んだ軽トラだ。私もホースも引いて走る。何人かがホースを持って谷を駆け下っていって水を撒くが、強い陽射しの下では火の元が見えにくく手こずっている。気づくと別の場所からも炎があがる。30分近くもかかってようやく最後の炎を沈めた。
 この日は、さらに数十倍の広さのカヤ原を焼いた。3年焼いていなかった堆積したカヤは想像をこえ恐いほどの高い炎になって、立木のてっぺんまでを包み込む。熱くて顔を向けていられない。煙は黒く変わり、勢いづいた炎はカヤ原の中央に通る防火帯を越えてしまった。誰かれとなく上がった「もういいわ、燃やしてしまうべ」という声に、なりゆきを火にまかせながらも、その歩みをはばむようにレーキを持った数人がたって、勢いをコントロールする。さすがの男たちも、いやいやすごいなという表情だ。よほど、乾燥しているのだろう。ここでも、炎は谷を下りてしまい、60度以上あるような急斜面を、若い人がホースを持って駆け下っていった。

 何とか消し終えた真っ黒になったカヤ原に立つ。燃やせば虫が死んでいい草が育ってくるという。「いいワラビも出るんだ。今度きてみな」とも教わった。焼いた面積の広さを見ると、火の仕事量の大きさが胸に迫る。もしこれを草刈りするとしたら、どれだけの日数を要するか。そうか、火は人にとって道具なのだと気づかされる。
 1時半、ひと通りの作業を終え、高原に車座になってお弁当を開いた。いっしょに汗を流していっしょに食べる。ここでずっと昔から繰り返されてきた暮らしだ。遠くでウグイスが鳴いている。
「帰りは、おふろに入っていってね」といわれ、運転席に座り鏡を見て驚いた。口のまわりが真っ黒である。これは...まるでカールおじさんじゃないか!草の脂を含んだ煙のせいか、ふいても落ちない。山を下り、共同湯に直行した。
 その晩のビールは、すこぶるうまかった。