今年は6月18日からイスラムの断食が始まっている。日出前から日没まで飲食を絶ち、厳しく戒律を守る人は唾さえ呑み込まずに、身を慎んで過ごすことになる。
ジャワの王宮では断食月の1ヶ月間は楽器を鳴らすことが許されず、ガムラン音楽や舞踊の練習は休みになる。その間に楽器を洗い清めるのだ。話は古くなるけれど、2006年の断食期間中の10月9日、マンクヌガラン王宮での「キヤイ・ウダン・アルム(香りの雨)」、「キヤイ・ウダン・アセ(慈しみの雨)」という銘の一対のガムラン楽器セットのお清めに居合わせた。キヤイというイスラム聖人にもつく尊称が銘につけられているのは、これらの楽器に魂が込められていることを示している。そのため、きちんとお供えを用意し、楽器を清めるのをお許しくださいというお祈りをして、そのお供えを皆で食べてからお清めに取りかかる。王宮にはガムランセットが数多くあるので、毎年少しずつ順番に洗っていく。この「香りの雨」と「慈しみの雨」の2セットも、当初は翌年の予定が、急遽その年になったということだった。この2セットは王宮らしい豪華なセットで、サロンと呼ばれる楽器の数が通常のセットより多い、ということは演奏するのにより多くの人手を必要とするため、なかなか演奏に使われることがない。これらのセットを私が目にしたのは、2000年、2001年のマンクヌゴロ王の即位記念日で「ブドヨ・スルヨスミラット」が上演された時が初めてだったのだが、それからこの時(2006年)まで使っていないと言っていた。この作業をするのに集まっていたのは、パカルティPAKARTIと呼ばれる同王宮の夜のガムラン練習に参加しているおじさんたちだった。私もパカルティに参加していたけれど、断食月に入って練習がなくなると王宮に行かないので、このおじさんたちが練習がないときも陰で王宮の活動を支えていることに、このとき初めて気がついた。
断食開始21日目の前夜には、スラカルタ王宮からスリウェダリ公園まで行列が出る。この行事をマラム・スリクランという。大量の供物、王族、王宮兵士、チョロバレン(王宮の儀礼ガムラン音楽)の後ろに様々な団体がイスラムのお祈りの歌などを歌いながら続いていく。1996、1997年に見たときには、列の最後尾にレオッグ(東ジャワの民間芸能、巨大な獅子の面を被る)が続いていたけれど、2000年以降に再留学したときには獅子はもういなかった。スリウェダリ公園に着くとイスラムのお祈りがあり、その後に参加者や見物客に供物が配られる。この行列は、コーランの最初の啓示が下った日を祝うために行われている。厳密に言えば、最初の啓示が下った夜(ライラトルカドル、みいつの夜と呼ばれる)はラマダーン月(断食の月)の最後の10日間の奇数日のどれかで、何日なのかは分かっていないらしいが...。この日を境に、あちこちでパサール・マラム(夜市)が立ち、断食明けに向けて浮き浮きとした気分が町に漂い、王宮以外の夜のガムラン練習も再開することが多い。
断食月の最中にマンクヌガラン王宮でカセットテープを使った観光客向けの舞踊上演を見たことがある。このことは2004年7月号の「水牛」にも書いている。このとき、観光客には、ジャワの王宮では断食月の1ヶ月間はガムランの音を出してはいけないことになっているという事情を説明した上で、舞踊上演があったのだが、ガムランの音を出してはいけないというなら、たぶんカセットでもだめなのではなかろうか?と、ふと思う。チャーター料金は生演奏の場合とで違っていたのだろうか、とか、断食月だからチャーターに応じられないという選択肢はなかったのだろうか、などと思いはいろいろあったのだが、それはともかく、断食中はガムランの生音を出さないということを厳密にやっているのは王宮しかないと言って良いだろう。芸大では当然断食期間中でも授業はあるので、普段と変わらずガムラン楽器は鳴り響いている。また、私は断食明けに2回大きな舞踊公演をしたことがあるが、実は断食期間中に公演の練習をすることは喜ばれる。というのも、断食期間中は結婚式演奏などの仕事が入らないためで、芸術家は暇になるからなのだ。私が踊り手として参加したある大きな公演では、練習がいつも夕方3時頃から始まり、6時日没に終わって、皆でブカ・プアサという流れだった。夕方に練習するのは体力的にきついように思うが、皆で断食明けを共にするという喜びの方が大きいようである。
とうわけで、この断食月、ジャワの王宮では静かな時間が流れている...。