青空文庫10周年記念パーティである『青空文庫10歳』というイベントは2007年7月7日の土曜日に東京上野の水月ホテル鴎外荘で開催された。展示ブースやお土産では青空文庫とそこから広がった活用の輪をできるだけ伝えようということでさまざまに工夫されたのだが電子テクスト研究会が研究会らしいことを行ったのはあとにも先にもこのとき限りかもしれない。青空文庫が当時行っていた著作権保護期間の延長反対に関する署名運動を知らしめる意図ももちろんあっただろうが青空文庫の内側や外側を豊かに伝えるということで点検部屋や製本部などが活躍する一方お土産の『蔵書6000』の制作キュレーターが良い仕事をしてくださったおかげで電楠研もそれらしいことをできたのである。
参加した電楠研そのものは泊まり込みということでやはり大学生らしく合宿感を満喫しており翌日には秋葉原へ行ってメイド喫茶に寄ったり浅草からの直通ラインで豊洲へ足を伸ばして公開直後の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を鑑賞して盛り上がったり(したという記憶があるのだが封切日を確認してみると年号が合わないのでこれはまたブックフェアあたりの別の機会なのかもしれない)、当日も自分たちのグループワークを説明するだけでよかったかもしれない。
ところが『蔵書6300』というDVD-ROMは10周年ということでそれまでたびたび作られていた青空文庫の全作品収録ROMとは異なる特別なものにしようということになり、そこへ電楠研も協力してイベント会場でのデモンストレーションにも携わることとなった。受け持ったのは青空文庫を用いた二次創作のとりまとめで、具体的には文学作品をノベルゲーム風にしたものや朗読&音訳であり、ブースではそのゲームや朗読の体験をしてもらうという形である。
もちろん収録したもののなかには元々プロの方がフリーで公開されているものもあったが私同様まだ当時駆け出しでそののちプロとなった人もいた。電楠研の手がけた「イワンの馬鹿」や海外探偵小説そのほか小泉八雲の怪談などをノベルゲームに仕上げてくださった作家・ライターのアライコウさんもそのひとりで、現在はゲームのシナリオ等でご活躍だが、当時収録許可をお願いして快諾してくださったことそしてイベントにもお越しくださったことが昨日のように思い出される。ご本人が上梓された『XNovelでつくるiPhoneノベルゲーム』(秀和システム)でも6ページほどを割いて(著作権保護期間延長問題とともに)青空文庫のことにも触れてくださっていて、ありがたい限りである。
朗読として収録されたもののなかには声優・ナレーターの佐々木健さんの音声ファイルもあるが、氏の行っていたポッドキャスティングには拙訳のホームズ譚なども含まれており、複数回に分けて配信されたこの朗読を自主的に改訂してまとめたものがのちに商用配信・販売されるに至ってそのつながりからH・P・ラヴクラフトのオーディオブックなども私自身が翻訳を担当することになりデビューしたという背景がある。
してみるとこの『蔵書6300』は単に青空文庫を収めたというだけでなく将来の萌芽も含まれているということになる。2004年の『これ一枚蔵書3000』/2005年『蔵書4670』/2006年『蔵書5000』という一連のシリーズはボイジャーの制作協力もあって閲覧ソフトの宣伝も兼ねたものであったが、『蔵書6300』は青空文庫の一つのあり方を示すものでその姿勢が図書館の書架に青空文庫を寄贈しようという(イベント当日にその計画が発表された)『青空文庫 全』の形に直接つながってゆくあたり自覚の転機にもなっている。
当時の6300という数字も、またその2倍になった2015年の13000という数にしても、規模を考えるなら小さな図書室といったところだろう。だがたとえささやかな図書室だとしてもそこにあるだけで、通った子どもはその本で養われるものである。今の青空文庫もまたかつての自分たちのように誰かを育んでいるのかもしれない。久しぶりに『蔵書6300』を開いてみると朗読やノベルゲームのページには当時みなさんからいただいたコメントも合わせて掲載されており、その言葉は自分自身が集めたことを思い出した。そのなかで私に同じく若い参加者の方はこう述べていた。
[#ここから引用]
本屋には日々新刊が発行され、スペース的な問題からか、古典的な名作はどんどん姿を消しています。私が朗読している宮沢賢治も、比較的大きな本屋でも作品集が1冊もないことがありました。でも「本屋になくても、青空文庫にはある。」私は青空文庫で、今まで知らなかった賢治の作品に出会うことが出来ました。
[#ここで引用終わり]
古いメモをたぐってみると、みなさんから「素直な言葉」がもらえたと書かれてあった。その言葉のひとつは「出会い」を示しており、それは読者が作家や作品と出会うことでもあるが作品が次の作者に出会うことでもある。かつて2004年に文化庁の「「著作権法改正要望事項」に対する意見募集」のパブリックコメントがあった際、著作権の失効間際にある作家の作品が自分の近くの書店や図書館でどれくらい手に入るのか調べたことがあったがそもそも出会えないものも少なくなかった。パブリックドメインであれば誰でも「出会える」ようにできるのだから、青空文庫の真価はそうした「出会い」を作って可能性を再生産をすることにある、と、それもまた同じ2004年の雑記に記してあった。おそらくはその可能性とやらは自身の経験に立脚したものなのだろう。
そうした若者たちの「出会い」の可能性を開いてきたのは、まだインターネットの夜が明けるか明けない頃から青空を見つけようと試行錯誤してきた大人たちだったことは間違いなのだろうと思う。もちろんこの大人たちは同時代の人たちからは疎んじられたり危険視されたりしたこともあったが(むろん若者の方も不良な大人と付き合っていると見なされたりしたこともなくもなかったが)、冒険心のある大人というものは得てしてそうなのだから冒険家と山師が同じ語で表されたりするのもむべなるかなである。その意味では青空の大人たちとはいつまでも青空を求め続ける夢の大きな人たちということなのかもしれない。