いま住んでいるのは、藩政時代まで足軽屋敷だったところだ。城下町の東南部にあたり、周辺には「表柴田町」「裏柴田町」「成田町」「三百人町」「五十人町」「六十人町」と、興味深い名を持つ町が並んでいる。町名は、足軽たちの出身地や、居住した戸数を表している。いまも、町の配置や町名は当時のまま。四半世紀ほど前、仙台市が一帯の住居表示を実施して「◯町◯番◯号」と新しい町名にしようとしたとき、地元住民が断固反対して守りぬいた。
藩政時代、仙台城下では足軽屋敷の大きさは決められていた。間口7間、奥行25間。約175坪ほどの奥に深い、俗にウナギの寝床といわれる細長い敷地が、道の両側に向かい合って短冊状に並んだ。おもしろいことに、この大きさと並びは、町割から400年たってもほとんど変わらない。もちろん、時代が下がるにつれて、敷地が分割されて、奥に向かって4、5軒の家が立ち並ぶようになったり、2つ分がまとめられマンションになったりしているところはあるのだけれど。
引っ越してきたのは晩秋で、道路から奥の家まで通っている路地は、砂利が敷かれいかにも殺風景だった。だが、年が開けて春を迎え、ヒメオドリコソウやハコベなどのよく見かける雑草が生えてくると、やがてつぎつぎと細い竹が青い葉を茂らせるようになった。幹が1センチに満たないような細い竹で、東側の家との屋敷境に列をつくるように生えてくる。生え出した竹はみるみる伸びて、あっという間に2メートルほどの高さになる。その勢いをおもしろがって眺めていて、はっとした。
─これは、もしかして、足軽屋敷の屋敷境にあった竹やぶの名残ではないのだろうか?
藩政時代の雰囲気がまだ色濃く残る明治時代中頃の測量図を見ると、隣り合う屋敷は生け垣で線引きされていて、中には竹垣と思われるところもある。400年、しぶとく生き延びてきたのかもしれない。
心踊らせてお隣の奥さんに聞きにいった。何しろ藩政時代からこの町に暮らす足軽の末裔という方なのだ。期待を持ってたずねると「お宅の前の竹は、あとから植えたのよ」という答えで一件落着。生け垣はアオキを主体に、いろんな樹木が混じっていたという。鳥が木の実を食べて、ふんをして種が芽生えてという具合に、多彩な樹種が自然に増えていくのが城下町の屋敷林であったのだろう。竹が育っていたのは屋敷の奥、つまり背中合わせに隣接する町境だったという。「竹林になっていて、筍も採れたの」。藩政時代の記録には、屋敷の裏手に竹やぶがあり、筍を食べるほか、屋根の葺き替えや物干し竿、竹垣に役立てたと記されているから、その思い出の竹林は間違いなく足軽屋敷の名残だろう。
竹が出始める季節は、ハルジオンがひょんひょん伸びた茎の頭に淡いピンクの花をつけて広がっていく。もともとは観賞用として北米から輸入されたらしく、注意深く見ると、花びらはきれいな円を描いてなかなかにかわいいので引き抜くかどうか迷う。
雑草とよばれている草たちに、どういう態度でのぞむのかは、なかなかに悩ましいのである。除草剤をまくなんて絶対イヤだし、一本残らず駆逐するぞっていうのも避けたい。草が生えてくるのは、そこが適地だからなのだ。よくいわれるように、雑草なんていう草はなく必ず名前があるのだから、花をめでつつ、なだめつつ、うまくおつきあいできないものか、というあたりに私の態度は落ち着いてきた。でも、そういう視点でかかれた本には、いままで一度もお目にかかったことがない。雑草とうまくつきあう庭...というタイトルの本だって開くと、いかに効率よく侵入を防ぐかという内容だったりする。
さて、ハルジオンは、これがあちこちに伸びてくるとどうしても荒れた感じがするので、かわいそうだけれど引き抜く。そのうち地面にはシロツメクサとヘビイチゴが勢力を増してくる。どちらもランナーを延ばし勢力拡大をねらっているが、私としては力で押しまくるシロツメクサよりは、黄色い花をつけイチゴのような赤い実を実らせるヘビイチゴを応援したいので、シロツメクサは踏みつけるけれどヘビイチゴの上は歩かないように気をつけ、2種がせめぎあっているところではシロツメクサをべりべりとはぎ取る。シロツメクサはオランダから日本にやってきた。ガラスが梱包される際に詰め物として使われたからこの名があるのだそうだ。
やがて、6月に入り日が長くなるころに、我がもの顔であたりをおおいつくすのがドクダミだ。ドクダミは一般的にいって嫌われている印象が強い。引き抜いたときの匂いもあるけれど、圧倒的勢力もその理由にあるんじゃないだろうか。私もそうだった。一時期はドクダミを目の敵にして抜きまくり、ずるずるとつながる地下茎にため息をついていた。
でも、あるとき気づいた。これってなかなかにすてきじゃないの。真っ白な花弁がパチっと十字に開いたところが美しいし、葉の色も少し黄緑がかってちょっと波打つハート型だ。それからというもの、引き抜くのはやめて群落にし花を楽しんでいる。梅雨に入り空模様がどんよりして気温が上がり、頭もからだもふやけていくような気がするときに、この花は清涼剤のように目に映る。一輪二輪をガラスにさしてテーブルに置くと、ああなんて涼やか。
ドクダミの繁茂に始まる夏草の勢いは人を飲み込むようだ。私はほとんど負けている。でも、去年の秋から奥の家に中高生が3人もいる6人家族が超してきて、ひんぱんに出入りすようになったら雑草の中にくっきりと一筋の道ができた。おもしろいなあ、元気な人の動きが都市の中に獣道をつくる。上の女の子はサックスで音大を受験するとかで、毎日熱心に練習している。その音を楽しみながら、抜くかそのままにするか、迷いながらの草むしりだ。