しもた屋之噺(164)

今月初め、もう日本の小学校には行かない、大きくなったらイタリア国籍を取る、日本人なんて嫌いと言っていた愚息に催促され、西友の文房具売り場で、明日から2週間ほど通う日本の小学校の備品を購ってきました。今彼は傍らで嬉々として名前を書いていて、安堵しつつほんの少し胸が痛むのは何故だろう、と自問しています。

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  8月某日 三軒茶屋自宅
時差ぼけで仕事らしい仕事をしていない。レスピランの新作のための音列12楽器分漸く仕上がる。ほぼ1ヶ月の遅延。

  8月某日 三軒茶屋自宅
沢井さん宅に伺い、復元七絃琴のため「マソカガミ」練習。文字通り音一つずつ、どの絃の音が良いか決め、且つどのように爪弾くか、人差し指で弾くか、中指で弾くか、親指で弾くか、音と音とのつなぎを、どう作るか、余韻を残すにはどの指でどう奏すか、気の遠くなるような作業を根気よく付き合っていただく。これは正倉院の七絃琴を木戸さんが復元したものだが、形は中国の古琴、グーチンに似ているが、大きさは一回り以上小さく、絃も中国のように金属ではないので、余韻も少なく、ずっと素朴で味わい深い音がする。

本来古琴のレパートリーも、これに近い音で奏されていたに違いない。戦前までは、中国でも金属の絃は使われていなかった。沢井さんが奏でる「マソカガミ」は、自分の想像通りの音がして、愕く。

8月某日 三軒茶屋自宅
清澄白河から両国までタクシーに乗ると、初老の運転手が見事な江戸弁で感激し、「今でもこんな風に話せる人がいるのですね」、と思わず興奮して話しかける。「しゃくえん、しゃくえんと息子にからかわれるのです」、と照れながら、彼もまんざらではない。

「門天ホール」で指揮のワークショップ。「ドゥンバートン・オークス」の少し厄介なパッセージを、メトロノームに合わせて、適宜口三味線で歌わせてみるのは、振っていると見えなくなる音の実体を正確に把握させるため。何となく振って合わないときは、ほぼ間違いなく指揮が正確に刻んでいない。自らの無数の失敗から痛感している。

ストラヴィンスキは振れればよいが、シューマンはどこから手をつけてよいかわからない。シューベルトが平行調3度領域から拡大してサブドミナント領域へ敷衍してゆくのに比べ、シューマンはII度調やナポリ調領域と平行調が薄紙一枚の背中合わせで、原調復帰の瞬間は唐突であったり、そもそもどれが原調かすら見失う。原調もしくは原調の平行調へ抜けるべくナポリ調で停留するさまは、ベルリオーズを思い起こす。それを理解せず、ただ旋律を追うと、演奏は近視眼的に終わる危険を孕む。天才の辿った道程であるから、凡人はそれを先ず巨視的に把握しなければ、全体の整合性を成立させられない。

一ヶ月ほど咳が止まらず、その上、最近は咳のたびに咽か肺かが、ひゅうひゅう云うようになり、家人に催促されて医者にゆくと、マイコプラズマ肺炎と診断をうける。

  8月某日 三軒茶屋自宅
東京現音計画演奏会、帰路。今日の演奏会での音や身振りについて反芻する。ラテン的な快楽主義から遠く離れた禁欲的な音楽。聴いている間は全くわからないが、後から染み出てくるように、興味が芽生える。神田さんが仮面をつけ、第三の手を使って演奏する作品。背景も黒だったので、最後に突然手の数が増して、神田さんが千手観音になったらどうしようとどきどきしながら見ていたが、手の数は3本以上には増えなかった。稲森くんの新作を聞いて、去年演奏した彼の作品で一点よくわからなかった、素材の反復性について発見があった。去年の作品は短いものだったが、あれがあの三倍か四倍くらいの長さを持つと、彼本来の別の側面が浮き上がった気がする。

  8月某日 三軒茶屋自宅
レスピランのための「東京のカノン」。バッハの精神性に触れるためには、形而上学的、観念的に音符に接することはできない。音符と音価のみを通して何かに触れたい。同じように、以前「シチリアのカノン」や「マントヴァのカノン」を、整列し折り重なる綾のように書いたが、今回は、無数の星屑がブラックホールの一点に向かって、まるで巨視的にみれば速度すら感じられないように吸い込まれるカノンにしたい。収斂点のみがみえていて、よく見ればそれも正確には一点ではない方が面白い。それぞれの放射線は、本来はほんのかすかにずれているのみだが、それをずっと手前から観察すると、別次元に属す。

縦をあわせる音楽を書くのをしばらく罷めたい。皆がやっているのだから、わざわざ自分がそれをやらなくてもよいと思う。指揮している反動には違いないが、指揮者に演奏家があわせるのではなく、演奏家に指揮者があわせる音楽があってもよい。本来、指揮者は演奏家のよい部分を引き出すためにあったはずだが、何時しか演奏者を規定する役割を担うようになった。

ところで、現代作品で急に情景が変わると妙にがっかりするのはなぜか。単に常套手段だからか、その前の情景を楽しみ足りなかったからなのか解らない。ただ作曲者が素材の持つ強さへの不信を顕にして変化を選択する場合、しばしば詰まらない結果に終わる。アルド・クレメンティの音楽はミニマルではなく、ただ素材をイタリア的な解釈であしらった結果もたらされる。そこには素材へのほぼ宗教心に近い、服従と絶対的信頼が成立しているので、曲として矛盾は感じない。

  8月某日 三軒茶屋自宅
世田谷通りのとんかつ屋で息子と話す。日本の小学校へ行きたくないと云う。年に二ヶ月くらいしか通わないから部外者として扱われるのに耐えられないし、授業で何をやっているのかもわからない、掃除の仕方もわからないし、教えてと欲しいと云うとそんなことも知らないのかと笑われるのだそうだ。おまけに仲良しの友達は別のクラスになってしまった。

自分も彼と同じで兄弟がいなくて、こんな風に世界を斜に眺めていたから、彼の気持ちは解るのだが、逆から見れば至極当然の日常ではないか。彼を部外者として扱わず、掃除の仕方がわからなくても一々真剣に教えてくれる友達ばかりだったら、少し気持ち悪くはないか。

尤も、これは彼の意見を全て鵜呑みにした場合であって、親としては話し半分で聞いているのだが、取り敢えず彼の前では、そうだね、大変だなあ、と相槌を打つ。

果ては、イタリアにいる友達はイタリア人であろうとなかろうとこれほど排他的ではない、と切々と訴え、大人になったら日本国籍は捨てるつもりだ、と主張する。

では何故今まで五年間喜んで学校へ行っていたのかと尋ねると、給食が美味しくて勉強が楽しいからだというので、恐らく来月までには全て忘れて給食目当てに学校に通っているだろうと確信した。

  8月某日 三軒茶屋自宅
湯浅先生85歳を祝うバースデーコンサートがどうしても聴きたくて、ぎりぎりまで家で仕事をして、自転車で渋谷へ走る。

24歳の時に書かれた子供のバレエ団のための「サーカスヴァリエーション」は、フランス風の軽妙洒脱な音楽の中にお好きだったコープランド、バーンスタイン、プロコフィエフが見え隠れする。先生はフランス風でしょうと笑っていらしたが、実に豊かな音楽だった。

湯浅先生が「おかあさんといっしょ」のために作曲された童謡、「美しいこどものうた」より9曲をきく。ピアノパートもていねいに書いています、と仰っていらしたけれど、その通りどの曲も実に丹精に作りこんであって、平松英子さんの日本語のうつくしさと相俟って、最後の「じゃあね」で鳥肌が立った。小学校の低学年のための「歌うためのうた」、中高学年のための「きくための歌」、そして中学生くらいのための、「感じる、考える、共感するためのうた」があるというはなし。

  8月某日 三軒茶屋自宅
秋吉台の音楽祭備忘録。

湯浅先生の作曲クラスのレッスンにきた大学院生。実に器用によく書けている曲を一通り聴かせてから、作曲していて虚しいと訴える。自分が何のために作曲をしているのか、よくわからないという。書く技術は優秀だから、先生や学校の望むように書けてしまう虚しさを覚えるのだろう。そこに疑問をもてるのだから、多分彼は自分で道を切り拓けると信じる。彼は他の学生たちに、技術は作曲ではない、という大切なテーマに触れるきっかけを作ってくれた。

リハーサルが終わり湯浅クラスの作曲のレッスンに顔を出すと、実に闊達な音楽を書く女の子がレッスンを受けている。明るい色調の音の絡みが、現代人のコミュニケーション問題と繋がっているようなのだが、聞いただけではそれが解らないとの意見。「素材」そのものに、観念性や恣意性を見出すのは日本人らしい。では逆に、素材に一定の人格を認めてみてはどうだろう。つまり自分には従属しない存在として受け容れること。音楽と自らの微妙な距離感について話す。

海外の音楽祭で勉強してきた若い作曲家。音楽はとても豊かだが、一見海外で師事した作曲家の影響を予感させる。元来の彼が持つ音楽が、その師事した作曲家の語法に偶然とても近かったのだと云う。確かにその通りだったけれど、その音響に誰か既に作曲家の登録商標がついてしまっている場合、素直に諦めて、他の方法で自らを表現する方がよいと諭す。周りに影響を受けた作家の語法から抜けられないまま自らの音楽も表現できずにいる作家を沢山知っているのでつい云ってしまう。

自作指揮のレッスンをした五人の作曲家。指揮を簡略化し、内容を複雑にする安直な参加は皆無で、指揮もむつかしく演奏もむつかしい、むつかしさを演奏者と共有したいという慮りが随所に見られる。

木下くんは去年と比べて、すっかりスマートな指揮になった。それなのに一見スマートに見えないのは風体のせいか。彼は頭に浮かんだ音の流れをそのまま楽譜に書くことに躊躇があって、書かれる音は思考のフィルターを通したものでありたいのだろう。佐々木さんも、自分の思っている音と、出てくる音を客観的に受け入れることが、初めはとても辛かったと話したが、最終的にはとても純度の高い演奏を実現した。竹藤くんは、自分が書いた音が本来持っている志向を自覚しながら、最初敢えてそれに甘えずに演奏を試みていた。自分の中にある音楽と、書かれた音符を区別しようと思ったのかも知れないけれど、実際は彼が感じていた音楽を、書かれた音符を通して表現した方が、音楽はずっと豊かになった。我々は音楽に対して無意味に禁欲的である必要はないのだろう。

増田くんは、菌類への偏愛を音に表したと云っていたが、結局それはとてもうまく表現されていた。今回の経験を通して、それをもっと単純な書法で書き換えられるようになれば、彼の音楽のパレットはずっと色彩豊かなものになるはずだ。大内くんは去年に比べて、自分の裡の音をずっと客観視できるようになっていた。彼の音楽を無理に既成のリズムに当てはめるのは勿体ない。これから様々な発展の可能性がある。

どの演奏会のどの演奏も素晴らしかったのだけれど、湯浅先生の内触覚的宇宙を弾いたチェロの山澤くんとピアノの中山さんの演奏は、どうしても忘れられない。心底、湯浅先生はメロディーメーカーだとつくづく思った。旋律をとても深い、長い息で繋げる。そしてフレーズは、思いがけない表現の異化を通して、当初とは違う人格の表現へと昇華する。ともすればチェロとピアノの音を聞いていることすら、忘れてしまいそうになる。

田中くんが書いてくれた新作は、彼が素材を客観視できる能力の高さを、羨ましく思うほどだった。絶妙なバランスで、常に歪でありながら、均整の取れた音楽を構築していて、それを不安定で限定された素材を通して表現していて、何より理にかなっていた。この曲は誰にとっても厭だと思う要素がないから、誰からも受け容れられるだろうね、と先ず彼に話した。

チューバの橋本くんと家人が「天の火」を演奏してくれた。実に心に沁みる演奏だったが、各々が先ず楽譜から音楽を読み取り、互いにそれを提示し、互いの音を理解し、そこで初めて反応し、音楽が初めてふわりと目の前に現れたときは驚いた。マッチを擦って、リンの焔がぼうっと現れるような感覚に感銘を覚える。

  8月某日 三軒茶屋自宅
芥川のリハーサルから学ぶことが多かった。若い豊かな才能が、オーケストラという媒体にどれだけ期待を寄せているかを知り、身が引き締まる思いがするし、歴年芥川作曲賞に関わっている新日本フィルが、どれだけ彼らに深い理解をもって真摯に演奏しているか、作曲家にどれだけ力を貸しているか、目の当たりして、自らの浅はかさを痛感するのも屡だった。演奏会後の公開討論を控え室で聞く。山根さんの意見が特に興味深い。同じビジョンを異化しつつ共有している。もしこれが性差と呼ぶのだとしたら、女性は同じ世界を生きながら男性とは全く違った世界を見ているに違いない。皮膚感覚の音楽性。山根さんの書く音で例えばカスティリオーニの質感を思い出すことがあったけれど、たぶん彼女はまったく別の世界であの音を感じているのだろう。山本くんは同世代だし、感じ方も話の組み立てかたも良くわかる。池辺先生は楽譜が初めからそのまま音になってみえているのがわかる。

  8月某日 三軒茶屋自宅
自分がレッスンしているヴィデオを生徒に送るために見直していて、執拗に繰り返させるのを見ていて我ながら辟易する。確かにエミリオはもっとずっと厳しかったが、これほど繰り返させもしなかった。ただ、自分が当初全くわからなかったトラウマが残っているから、解るまで何度でも繰返しさせる結果になる。ただ、それではなかなか先に進まないから、木を見て森を見ずとなるのではないか。どちらが良いのかわからない。

(8月31日 三軒茶屋にて)