佐野洋子のまなざし

神奈川近代文学館で7月25日から9月27日まで開催されていた「まるごと佐野洋子展」を見に行った。

絵本『100万回生きたねこ』の作者として佐野洋子の名前を知っている人も多いだろう。死ぬたびに生き返って100万回生きた猫が、愛する白猫と出逢って幸せに暮らした後には、とうとう生き返りませんでした。というストーリーだ。この作品だけスゴイスゴイと奉られるのもなんだかなーと感じていたので「まるごと」と言う題名に、時々辛辣な佐野洋子や、兄との思い出を幻想的な物語にした佐野洋子や、谷川俊太郎をメロメロにした佐野洋子がみんな見られるのだろうと期待して出かけた。

意外だったのだけれど、絵本の原画がおもしろかった。逡巡のあともなく、ひとふで書きのようにきっぱりとした線で、たしかな形が描かれている。うまいと思った。

会場には佐野の著作から抜粋したいくつかの言葉がパネルになっていて、そのなかに、絵本は印刷されて完成した絵本そのものが原画であり、何度も版を重ねることで絵がつぶれてしまってもそれはそれで仕方がないのだという内容の文章があって、その姿勢は潔いなとは思うけれど、佐野の手から直接生み出された原画が持つ魅力と言うのは確かにあるなと思った。

絵本「わたしのぼうし」のなかの1ページ、夏の帽子をかぶってしゃがむ幼い兄弟の後ろ姿の絵のそばには、この作品のモチーフとなった幼い頃の写真が並べて展示されていた。構図は同じだけれど、絵を眺めていると、佐野洋子は写真を絵にしたのではなくて、写真を見て思い出された心のなかの情景を絵にしたのだと思えてくる。思い出が、形をあたえられたのだ。「絵がうまいですね」なんて言ったら、「見えた通りに描いただけだ」という答えが返ってきそうだけれど。

とにかく見つめ続けてきた人、佐野洋子にそんな印象を持った。愛を、子育てを、母との確執を、死ぬことを見つめ続け、見えたことを書き留めたのが佐野洋子の絵本やエッセイであった。

時に彼女のまなざしは、キツイ。日常生活のなかで見て見ぬ振りをしているもの、ごまかしているものをあばき出してしまうまなざしだ。自分自身でさえわからなくなってしまった「本当の気持ち」を見抜かれてしまうことさえある。では、佐野洋子はいじわるなのか? 辛辣ではあるけれど、可愛げはないけれど、いじわるではない。

佐野洋子の妥協のないまなざし、それはどこから来ているのか...。その疑問を解くヒントとなる文章を母との物語を綴った『シズコさん』(新潮社/2008年)のなかに見つけた。

絵本「わたしのぼうし」のモチーフとなった写真にいっしょに写っている1歳上の兄、ひさしは、佐野に深い影響を与えているが、その兄は「とび抜けて絵がうまかった。」という。そして、佐野は兄が絵を描くときに、「べったりと兄の前に坐り、髪の下から絵を描くのをかたずをのんで見ているのが好きだった。兄は絵を下からかきぴたりと上におさめた。私はほれぼれと絵を見た。(中略)私は兄の絵を見る人だった。そして仕上がると私は本当に満足してとても幸せなのだった」のだ。兄の目を通して、佐野もまた世界を眺めていたのだろう。兄が11歳でこの世を去ることで、佐野のまなざしもまた11歳のまま凍結された。佐野の辛辣さは、11歳の男の子の、子どもの率直さだということなのだ。

佐野洋子は感の強い子どものまなざしで、母を、自分自身をみつめる。心の底では兄のかわりに自分が死ねばよかったのだと思っている母、「絵は兄ちゃんが描くものだった。(兄が死んで)絵の具は私のものになった。」絵本作家になった後に、自分自身についてもこんな厳しい回想をする。これは見えなかった方が良かった物語なのか。いや、時に佐野の物語に自分を発見して救われることもあるのではないかと思う。