チリ南部、西パタゴニアの海底で真珠貝のボタンが見つかった。錆びた鉄道のレールに、はりついている。1973年から17年間のピノチェト独裁政治のもと、「行方不明」とされた反体制の人たちの衣服に渡り文明化を試された先住民の若者がいた。一年後にチリに戻されると、すぐに衣服のすべてを脱いだという。映画『真珠のボタン』である。劇場から家に戻って、集めるでもなくたくさん集まったボタンを入れた小箱を出してみる。黙って母の裁縫箱から持ち出した小さな貝ボタンが最初の一個だった。綺麗だった。糸を通してブレスレット(腕輪と言ってたと思うけど)にした。あの日あの時なにか事件に巻き込まれてあのまま海に沈んでいたら、今頃ボタン一つきり浮かんだだろうか。
洋服のボタン穴というのは、ボタンの直径程度に布地に切れ目を入れ、ほつれないように糸でクルクルかがって作る。隙間がなくて針目が揃うほどきれいで丈夫。もうずいぶんやっていないけれども、かがり始めは調子が出なくて、慣れてきたなと思うころにはひと穴終わるという繰り返し。中学校の技術家庭で、綿のパジャマを課題に習ったのだと思う。学校でひとつかふたつ、あとは宿題。たいてい誰もが当たり前のように母親に頼んだ。今にして思えば、先生がいちばん助かっていたのではないだろうか。今はどうなんだろう。ボタン付きのパジャマなんて縫うんだろうか。二十歳前後の知人に聞いてみたら「ボタンホール」という言葉自体に「?」だったり、学校で習ったとか自分で作ったことのあるひとはなく、糸でかがってあるのがわかってもそれはミシンがやることで、ひと針ひと針自分で縫うなんて考えもしないようだ。おもしろかったのは、「穴あけポンチを使えばいいじゃないですか。念のため、縁にボンドを塗って」と言うひとがいたこと。なるほど。
ある製本講座で「ボタンホールステッチ製本」をするにあたって事前に聞いてみたのだった。ボタン穴かがりと似た針運びで本文紙と表紙カバーを合体するのだが、"ボタンホールステッチ"と聞くだけでおおよそかがり方の想像がつくというのは小数派かもしれないと思ったからだ。当日集まった参加者のうち、二十代の数人はボタンホールを知らなかった。それよりおとなのひとは「昔やったわね、でも忘れた」と言いつつも、手を動かすうちに思い出してくるようで、爪先を使って糸の並びを整えるひともいた。ほら、見てごらん、この手つき。若いひとに声をかける。「へぇ。すごい。ところでこれのどこがボタンホールなんですか?」。そうだよね、見当がつかないよね。布に小さく切れ目を入れて、この向きでかがっていきます。あなたのシャツのボタン穴と見比べながら、あとで自分でやってみてください。「えーっと......ボタン穴は......いいです」。隣りで年配の人が、「わざわざそんなことやらないわよねぇ」。向かいの人は、「お裁縫をやらなくなったけれども、こんな風に製本に役立つとはねぇ。手ってけっこう覚えているのね」。まったくだ。頭にはなにも残ってないのに体が動くことってある。いったい体の中の何が、誰が、どう覚えているというのだろう。