消しゴムと羅生門

 目の前にあるのは答案用紙だ。先週の抜き打ちテストで、問題を読んで答えを書き込んだ解答用紙だ。それがたったいま返ってきた。先生が一人ずつ名前を呼んで「頑張ったね」とか「もう少し頑張ろうね」と声をかけながら返している。
 先生は産休で休んでいる小木原先生の代わりの本堂先生で、まだ大学を卒業して三年目の女の先生だ。僕は小木原先生が嫌いだったので、本堂先生が代わりにやってきてほっとしている。
 テストの問題を先週配ったのは小木原先生で、採点して返却しているのは本堂先生だ。そう思いながら、返却された答案を眺めているととても不思議な気がした。
 問題は現代国語の教科書に掲載されている『羅生門』の抜粋で、そこから三つの問題が出されていた。
 第一問・本文中の擬音の使い方について、思うところを自由に書きなさい。
 第二問・髪の毛を抜く、という行為はなにを象徴していると思いますか。
 第三問・この作品を通じて、芥川龍之介が伝えたかったことはなにか、書きなさい。

 先週、大きなお腹を抱えながら小木原先生が問題を配ったあと、僕はじっとその問題を眺めていた。中学三年生になって初めて現代国語で勉強した内容だったので、『羅生門』についてはよく覚えていた。
 僕は芥川龍之介のこの小説をとても面白いと思った。でも、授業で小木原先生が少しずつ解説をするに従って、その面白さが失せていくような気がしていた。まるで、意味がわかるごとに、消しゴムで面白さを消していくように、僕の中から『羅生門』が色あせていくのだった。僕は教室の片隅で、小木原先生が時々フーッと大きく息をつきながら『羅生門』について説明するのを聞いていた。先生が大きな息をするたびに、先生のお腹が大きくなるような気がした。
 僕は先生のお腹に意識が集中してしまうのが嫌で教科書の『羅生門』を読みふけった。先生の声が聞こえなくなると、俄然面白くなり結局授業が終わるまで、何度も何度も繰り返し本文を読んでいたのだった。
 おそらく、問題用紙に書かれていた三つの問題は、あの日の授業で先生が僕たちに話したことばかりなのだと思うのだが、なにひとつ覚えていていなかった。
 仕方なく僕は適当に思うままに記述して早々に提出してしまったのだった。
 今週からやってきた本堂先生はとても陰のある先生だった。小木原先生よりも若いのに老成しているように見えた。こういう女は男運が悪いんだ、と祖母が言ったテレビドラマに良く出てくる女優に似ていた。きっと、本堂先生も男運が悪いんだろうと僕は思った。
 それでも僕が本堂先生に好感を持ったのは男運が悪くて、陰があって、少し暗い印象なのに務めて明るく振る舞い、元気に授業を進めようとしている姿勢だった。中学生ながら、そんな本堂先生を見ていると「そんなに無理をしなくて良いのに」と思ってしまうと同時に、その健気さに心打たれてしまうのだった。
「では、先週、小木原先生が出してくださった現国の小テストを返却します。出席番号の順番に取りに来てください。では、赤城君!」
 先生が順番に名前を呼び、僕たちが順番に取りに行く。僕は本堂先生のふくらんでいないくびれたお腹のあたりを見ている。やがて、男運の悪い本堂先生もお腹が大きくなっていくのだろうか、と思いながら、僕は順番を待っている。
 僕の名前が呼ばれる。まだ生徒の名前を覚えていない本堂先生が僕を目で探している。僕が小さく「はい」と答えて立ち上がる。先生と目が合う。その瞬間、先生はテストの点数に目をやると、受け取るために近づいてきた僕に「大人っぽい答えね」と言ったのだった。僕は先生の目の前で「え?」と声を出して立ち止まった。
「大人っぽいですか」
「あ、うん、そうだね。なんだか大人っぽい答えだなって」
 先生は僕の問いかけに、少し驚いた様子で答えてくれた。中学生の小テストの答えを見て、その感想に「大人っぽい」と答える教師は信用に足るのかどうか。そう考えた僕は、自分の席に戻り椅子に座った瞬間に「信用できないな」と小さくつぶやいたのだった。
 手元の解答用紙を見ると、見慣れない本堂先生の字で採点がしてあって点数が書き込んである。いま、手元に問題用紙がないので、答えだけが並んでいて、その答えに○とか×が書かれているという光景はなかなかにシュールだ。
『作者が伝えたかったのは、主人公の気持ちの移り変わりではなく、主人公を取り巻く状況の変化であり、その中での主人公の無力感なのだと思った。』
 僕の字がそう書いていて、本堂先生がそこに大きな△をつけて、『もう少し登場人物の人間関係に注意して読んでみましょう』と先生の赤字で書き添えられていた。
 問題は全部で三つあったので、答えも三つある。そのうちの一つが×で残りの二つが△だった。点数は六十三点で抜き打ちテストとしては悪くはないと思うが良くもない。しかし、それよりも△を付けられた答えにいったいそれぞれ何点が付けられて、全部で六十三点になっているのかがわからないことだった。
 点数があった答えは二つ。両方が△。同じ点数だとしたら、六十三点という奇数にはならない。ということは適当に数字が割り振られて、こうなったのだということだろう。おそらく小木原先生ではなく、本堂先生のさじ加減一つなのだろう、と僕は思いなんだか馬鹿らしくなってきた。
 本堂先生が目の前で解答の説明をしているのだが、声がだんだんと聞こえなくなって、僕は解答用紙に書かれた僕の黒い鉛筆の字と、先生の赤い色鉛筆の字が一緒にそこにあることが気持ち悪くなってきた。せめて、そこにあるべきなのは問題を作った小木原先生の字と僕の字であるべきだ。
 知らない間に手にしていた消しゴムで、僕は答案用紙をこすり始めた。答案用紙を破らないように、丁寧に丁寧に僕は消しゴムを上下させ、左右させ、文字を消す。
 気がつくと、僕の鉛筆の文字だけが消しゴムで消されて、本堂先生の赤い文字だけが答案用紙の上に残っていた。

六十三点


×
もう少し登場人物の人間関係に注意して読んでみましょう

 それだけの赤い文字が答案用紙の上で、妙なすき間を作りながら並んでいた。僕は△の答えを二つ消し、×の答えを一つ消し、都合六十三点の答えを消しゴムで消したのだった。
 答えのない解答用紙をじっと見ながら、さっきまで書いてあった自分の答えを思い出そうとしたが何も思い出せなかった。思い出すのは小木原先生の大きなお腹ばかりだ。
 僕は頑張って、もう一度鉛筆を握りしめて、△の答えを思い出して書こうと努力してみた。小木原先生に出された問題ではなく、いま目の前にいる本堂先生に出された問題のふりをして僕は答えを書こうとしている。○の正解ではなく、本堂先生が△をくれそうな答えを探している。
 探しても探しても答えは見つからない。答えだけではなく、問題さえもわからない。掌から汗が流れ、解答用紙が濡れる。僕は長生きを吐きながら顔をあげて教壇に立つ本堂先生を見る。本堂先生のお腹はいつのまにか大きくなっていて、あの中に答えはあるのか、と僕は考えている。