鉱石というものに、漠然と興味があった。
河原で拾った石を持ち帰り、冷水で泥を落とすと、小さく細々した、白く濁った結晶が生えていることに気付く。
骨の塊のようなこの石が、石英という日本で一番多く取れる鉱物であることを知ったのはずいぶん前のこと。
石を眺めたりスケッチする日がしばらく続く。
街の書店へ行くときも 必ず地学のコーナーに寄る癖がついた。鉱物の図鑑や歴史の本を立ち読みしては、絵を描くときに印象に残った色を思い出す。それはとても楽しいひと時だ。
先日思い立って、鉱石の店舗兼研究所を見にいくことにした。
ほんのちょっと電車に揺られて、駅から大通りに出る。横断歩道を渡り、昼時の静かな住宅街に続く小道をしばらく歩いていると、予想以上に民家な雰囲気の研究所があらわれる。中の様子はまったく見えない。正直、ものすごく入りづらかった。
でもせっかくここまで来たのだから、入りなさいよ、と自分を納得させ、ドアを開ける。
狭い一室だった。独特なにおいが立ち込めている。宝石研磨機や、ガラス瓶、顕微鏡、ダンボールの山。作業スペース。
壁に沿って設置されているガラスケース。中には色とりどりの鉱石が並べられ、ケースの下には底の浅い木製の引き出しがいくつもあり、その中にも石たちはたくさんいた。
目の前に突然、世界中で採掘された石が並んでいる。世界の岩石の一部分。少し大げさだけれど、そういうことだ。
思考を整理できないまま端から端まで、じっくりと観察する。
その場にいたスタッフは1人だけ。わたしがいることを全く気にかけていないようで、少し挨拶をしたあと、作業に没頭しはじめる。
たまに奥の部屋から声がきこえた。もう1人いるのだろうか。出てくる気配はなかった。
引き出しを開けると、長方形の小箱ひとつひとつに鉱石が入っていて、石の名前・種類・採掘地・硬度・重度・屈折率・値段などが書かれたカードが石の下に敷いてある。
価格の振り幅は相当大きい。古本屋で働いていたことがあるので、その幅の大きさにはなんとなく親近感を覚えた。
反対の壁側には鉱物に関しての書籍や1つ500円の石たち、Freeと箱に書かれたタダの水晶のかけらなど。
500円以下の石はたいへん雑な扱い方をされていて、種類別にシューズボックスのふたのような浅い箱にごろごろと散らばっていた。
砂利も混じっている。きっと、全く珍しくないのだろう。
目を通していくと、蛍石/メキシコ/1P500円と書いてあるものが目に留まる。全体的に緑っぽく角張った石だ。
わたしはこの石が欲しくなった。
「どれでも500円だから、大きいものを選んだ方が良いかも」とスタッフの方は冗談交じりに言う。
知識がないわたしは、単純にかたちが気に入るものを探した。
触ったり、光に当ててみたり、自分の家に置くイメージをして、しっくりきた蛍石を買うことに決めた。
底に岩肌がくっついていて、白い層から少し紫がかっていき、上の方はエメラルドグリーンになっている。
手のひら中央の窪みにすっぽりと収まるぐらいの大きさ。
ミニチュアの氷山みたいだった。
山みたいなかたちの岩、とたとえていた小さな男の子の姿が浮かぶ。
そういえば、チビの頃のわたしはすでに岩石に惹かれていたのではないか。
わたしが住んでいた家の基礎の下、盛土を固めていたのは、岩のような大きさの砕石だった。
そこは絶好の遊び場だった。岩と岩のあいだは隙間だらけで、たまにトカゲやヘビがぬっと出てくる。
その場所で近所の子らと、数えきれないほどの遊びを生み出した。
よじ登って座れる場所がいくつもあり、わたしにとってのお気に入りの岩石があった。
兄姉だけでなく、友達にもそれがあったとおもう。よく場所の取り合いで喧嘩した。
近所の女の子と、この中だったらどの石が好きか、どの色が好きか、とよく話していた気がする。
それは子供の頃交わされた、ごく自然な会話だ。
懐かしい感覚がすぐそばにやってくる。
その頃から石に表情があることを無意識に知っていたのかもしれない。