「今日も」と書くほど、仙台は雪深いところではない。雪かきは、ひと冬に5、6回といったところだろうか。たいてい12月の中旬を過ぎると積雪があって、これはそう積もることなくとけてしまう。そして年が開けて1月中旬から2月にかけて何度か、数日間とけずに道路わきに残るような雪が降り、ときに大雪になる。やがて南の春の便りが入る3月になってから、最後の一撃がくる。この雪はけっこう積もる。東日本大震災のときがそうだった。大地震のあと絶え間なく続く余震に追い打ちをかけるように、雪はこんこんと降り積もった。
この冬は温かくて、水仙が固い土の中から緑色の芽をするすると伸ばし始めていたけれど、1月中旬に入ったら、やっぱり約束を果たすように雪はまちを真っ白に染めにきた。それから、週にいっぺんのペースで3回、律儀にも決まって週末か週のはじめに降っている。
雪が降り始めるのはたいてい夜で、静かな気配をまとってそれはやってくる。車の音が遠のき、しんしんと冷え込んできたなと思ってカーテンを開けると...。もうそこは別世界だ。見慣れた庭や道や街は雪の下に眠り、白くてやわらかな世界が広がっている。屋根も車も木々も、丸みをおびてふわふわ。その上、明るくて、降り積もってしまうと雪は暖かい。忘れていた自分の中の子どもがむくっと動き出して、何だか愉快な気分になる。朝、誰もまだ踏んでいない雪の上に最初の足跡をつけて歩くのは、何だか楽しいものだ。
夜、降り積もった雪の上を歩いていると、時間と空間を飛びこえてしまうような感覚に包まれる。別の時代のどこか見知らぬ街を歩いているような不思議な感じ。それはこの街に生きた出会ったことのない人と私をつなげるものにもなる。明治時代に生きただれか、江戸時代に暮らしただれかも雪の降り積もるこの道を歩いたろう...そんな想像が生まれてくるのだ。
そうしたら、つい3、4日前、仙台在住の作家、佐伯一麦さんも、地元紙の河北新報夕刊に連載しているエッセイ「月を見あげて」で、島崎藤村の随想「雪の障子」を引きながら、雪の静けさや白さなど、その魅力をあげる藤村に深い共感を示しておられる。そして、またこんなことを書いている。
「それにしても、天気の記述というものは、月の満ち欠けとともに、たとえ自分が生まれる前のことであっても、死者とともに分かち持つ眼、といったものを感じさせないだろうか」(「河北新報夕刊」2016年1月26日)
だれかとつながっているという感覚は、この"死者とともに分かち持つ眼"ということであるだろう。町並みや暮らし方はどんなに激しく変わっても、天気は普遍なのだ。日差しや雲の流れや降り積もる雪は。
山形の豪雪地帯に暮らす友人は「雪が降るとほっとする」と話す。晩秋、日が短くなるにつれ、あっちの野菜畑、こっちのリンゴ畑とやらなければならない仕事に気が急く毎日が続いたあと、雪がすべてをおおい隠してしまう本格的な冬の日がやってくる。分厚い雪は、もはや人の手の及ばない自然の力を見せつける一方で、細々とした仕事を忘れさせ長い休息をもたらしてくれるのだ。
宮城の山間地に暮らす友人は、「11月の晴れたり時雨たりが続くときがいちばんいやだね。でも、雪が積もれば、もうあきらめがつく」という。圧倒的な雪の前に、降れば雪かき、積もれば雪下ろしという長い冬がいよいよ始まるからだ。最初の積雪は、その覚悟を強いる。
つくづく雪国の人は偉いなあ、と思う。雪の前に、屈するのでもなく、挑むのでもなく、淡々と受け入れて仕事をこなすのだ。朝は6時から家の前の雪かきをして車を出し、勤務先に着けばまた雪かき。仕事をするのはそれからだ。1日中、降り積もるときは、何度も雪かきをし、ひと冬に数回は屋根の雪下ろしもしなければならない。でなければ、生活も命も危うい。足跡をつけて歩く楽しさなんて、笑い飛ばされるだろう。
1月29日の朝は、起きたら真っ白だった。朝8時過ぎに車で出かける用事があって、15分ほどエンジンをふかしながら、車の雪を払った。屋根の上、フロントガラス、ボンネット...サイドミラーが凍りついて開かない。お風呂場から残り湯をバケツで運び、ざばっとかける。こういうことを友人たちは毎日やっているのだ。
隣りのご主人が、雪かきスコップでラッセルするように細い路地の雪をどけて進んでくる。すこぶる手際がよい。敷地と道路の段差の雪もスコップの跡目がつくようにきっちりと取り除いた。その姿を見ながら、雪国の出身なんだろうな、へっぴり腰の仙台人とは違うもの、と思ったりした。あいさつを交わし、雪かきのお礼を伝える。こういうふだん顔を合わすことのないご近所同士のあいさつも雪の効用である。
友人たちはミシミシと雪の重みできしむ屋根の音を聞きながら、そろそろ屋根に登るかと思っているころだろうか。
さて、私はあと何回の雪かき。