以前から日本で働くインドネシア人に日本語を教えていて思うこと。会話集の日本語の文法もわりと理解して意味も取れているのに、彼らが「日本人が何が言いたいのかよく分からない」と訴える言い方がいくつかある。その筆頭が、「質問があるんですが...」、「質問があるんですけど...」のような言いきらない言い方。「が」や「けど」は「しかし」っていう意味ですよね?と聞かれるので、この場合は「しかし」の意味ではなくて、単に文をつないでいるだけのことが多いとアドバイスするも、文を切らないという感覚が分かりづらいようだ。それに、突然に「〜が...」と言われると、否定的なことを言われたと思ってぎくっとするらしく、けれどその後は「...」となって何も言ってくれないので、「しかし、何なんだ?」と思うらしい。「質問があるんですが...」の...には、(いま質問してもいいですか?)という言葉が隠されているのだと説明しても、そこが理解できないという。確かに、質問があるのなら最初から「いま、質問してもいいですか?」とだけ言えば良いのである。「が...」、「けど...」と言うから通じないのだ。
しかも、朝礼などで、「〜〜で、〜〜で、〜〜だけど、〜〜で、〜〜が...」と話が切れないで延々続くと、余計に混乱するみたいである。これも、短い文に区切って、「〜〜です。〜〜です。〜〜です。〜〜です。」と言えば通じるのに。ただ、テレビを見ていても、日本人の話し方はほとんどこのパターンだ。文章がいちいち切れると冷たいというか余韻がない感じで話しにくい、聞きにくいと感じられるのだろう。私自身もそういう話し方をしていると思うけれど、なるべく外国人には文章を区切って話すように心がけている。
さらに外国人がよく訴えるのが、日本人の話の結論が分からないということ。もっとも、インドネシア人だって結論のない話し方をする人は沢山いる。しかし、同国人同士で話をする場合、とりあえず単語の意味は分かるので、文章全体で意図が分からないという状況をあまり自覚しない。けれど、日本人に結論のない話をされると、外国人は自分の語学力が足りないために相手の意図が分からないと思ってしまうのだ。
否定疑問文や二重否定、反語表現も分かりにくいようだ。「行きたくない?」とか、「行きたくなくもない」とか、「どうすればいいのよ?(どうもしようがないでしょ)」とか。こういう婉曲的な表現は外国語にもあるけれど、外国語で言われると分かりづらくなるというのは事実だ。私も英語で否定疑問文を使われると、?となる。
というわけで、結局相手に伝わりやすい日本語というのは、1つ1つ短く文を切って、意図が明確な文章を、婉曲的な言い回しをせずストレートに言うに尽きる。外国人が多く日本に在住する状況では、ペラペラ外国語が話せる日本人を生み出すより、こういうわかりやすい日本語を話せるような日本人を育てる方が先決のような気がする。