製本かい摘みましては (118)

図書館の収蔵庫で大正から昭和初期の薄い文芸雑誌の合本の直しを手伝ったことがある。数冊ずつ二カ所、巨大ホチキス針で留めていたが針がさびてきたのでとにかくはずして、その穴を利用してごく簡単に糸で綴じ直して欲しいと言う。薄っぺらな冊子を図書館で保存管理するには大きなホチキスで留めるのがいちばんと判断されたのは、いつ頃のことだったのだろう。実際はそれほど針はさびていなかったし紙も格別劣化していなかった。まれに強烈にさびた針がくい込んで紙が破けたものもあったけれども、そういうのはプロが処置してくれるので私たちの作業は極めて単純で楽しかった。

作業していた部屋の脇の小さなスペースが物置きになっていて、処分を待つ古い机や道具が積んであり、木製の図書カードケースとカードたてを見つけて譲ってもらったのも懐かしい。表面がつるっと光沢を帯びており、滑り止めに貼られたフェルトや金具の曇りも好ましかった。今もうちに好ましいままにある。久しぶりにその図書館に長居していて思い出したことだった。考えてみるともうずいぶん前だ。齢をごまかすつもりはないのだけれども、頭の中であれこれ考えるというのはつまり相手は自分ひとりなのに、1年2年3年くらいならいっか、とごまかすのはいったいどういうつもりなんだろう。

合本のためでなく綴じるための針がある冊子をうちの棚から抜いて見てみる。1956年の「現代詩入門」は本文64ページの針金中綴じ、1959年の「時間」は44ページ針金平綴じだ。どちらの針もさびて紙は茶色い。大貫伸樹さんが実物を集めて手元で眺めながら日本の近代製本の移り変わりをまとめた『製本探索』(2005 印刷学会出版部)には、針金綴じの始まりのころについてこう書いてある。〈簡易製本様式である針金綴が教科書に初めて採用されるのは、小学校師範学校教科書用、明治18年刊『小学習画帖』(文部省編輯局蔵板)であろう〉。針金綴機械がすでに輸入されており、明治40年代には工藤製鉄所という会社が国産初の機械を作った、ともある。

工藤鉄工所をちょっと調べてみると、1907(明治40)年に工藤源吉という人が東京・小石川で創業、紙揃え機などを作っていた。その後、針金綴じ機(ケトバシ式)を作って全国の製本屋に売り込み、二代目社長・祐寿(すけとし)の代になると1918年にドイツのL・レイボルト商会と技術提携して自動で綴じ込む「ツル式」を開発、1950年には国内初の「高速度自動中綴機械」を製造して週刊誌などの量産に貢献したそうだ(「ぶぎんレポートNO.134」2010年6月号)。同社は日本初にこだわり、二代目社長は社員旅行や社章を考案し射撃に打ち込むなどハイカラな人だったとも記されている。L・レイボルト商会とは、レイボルド株式会社の前身で1905年に東京八重洲口にできたエル・レイボルド商館のことだろう。

「薄っぺらで背なんてあってないような冊子は、持ち主が死んでしまうと紙として扱われることが多い」。というような話を、3月、下北沢の書店B&Bで聞いた。北園克衛が1930年代に発表した小説を集めた『白昼のスカイスクレエパア 北園克衛モダン小説集』(幻戯書房 2015)の刊行記念トークショーでのことである。この本のためにご自身のコレクションから資料を提供した加藤仁さんと、北園克衛関係の本を複数まとめている評論家で詩人の金澤一志さんのお話だった。この小説集(どれも短い)には解説や解説のたぐいはいっさい入っておらず、金澤さんはそのことを、「ひじょうに正しい、親切な配慮だったのかなと感心した」と言っている。洒落てクールにしらじらと、孤独に放たれた本である。刊行を長く望んでいた人たちからたまたま手にとり身震いするような人たちまでがただこの一点に集まるという、ねたましいほどの出現だ。

加藤さんはトークの資料として戦前の薄っぺらい雑誌をいくつもお持ちくださった。それを前におふたりの話は進み、1920〜30年代の文芸雑誌や各地の同人誌、書評誌などのタイトルが放たれるのだった。『少女画報』『GGPG』『太平洋詩人』『文藝耽美』『文藝都市』『新科学的』『文藝レビュー』『新作家』『新形式』 『マダムブランシュ』『レパード』『ファンタジア』『月曜』『夜の噴水』『辻馬車』『エコー』『レスプリヌーヴォー』『VOU』『薔薇魔術学説』『文藝時代』......。同じ時代、日本各地で、それぞれどう制作費を捻出したのかはわからないけれども、作り手はみな若く、紙やレイアウトにも凝って、「今なら若者自作のCDや音源に近い。ポピュラー音楽のない時代は文学がカウンターカルチャーだった」と加藤さんが言う。金澤さんが「ありとあらゆるサークルがありとあらゆる目的で、大なり小なり命をかけて大量に作った同人誌が書店で売られ、日本の文化を作っていた。知的欲求を一手に受け止める役割を、薄い雑誌が担っていた」と言うのを聞いてジンときた。

個人で研究する場合は特に、復刻版でもコピーでもなく一次資料を手元に置かないことには仕事にならないそうである。膨大な薄っぺらい冊子をおふたりはそれぞれどう保管整理しておられるのだろう。合本などするはずがないわけで、たとえばこの日のように、必要なものを自宅の棚から選び抜いて外に持ち出し、見ず知らずの人がとやかく言うのにつきあい、また家に持ち帰って元の場所に戻す手間は想像するだけでうんざりするが、加藤さんにそれを厭う気配はなかった。一瞬にして紙ごみとなる幾多の危機をまぬがれてきた冊子たち。ひと一人の寿命を軽々越える本らの陰謀。その見事に快哉を叫ぶ。