チャランゴを爪弾く

数週間まえの肌寒い日、自宅にチャランゴが届いた。買ったチャランゴは全長60cmほど。ギターを小さくしたようなこの楽器は、5コース10弦。胴体はオレンジの木でできているらしい。いろいろ試してみたい楽器のなかで、なるべくひっそり弾けるもので、値段があまり高くなく、西洋音楽からは離れている楽器を持ちたいと思っていた。しかしやはり、ひっそり弾いてもチャランゴは思った以上に大きな音が鳴る。となりの部屋に聞こえてしまわないように(たぶん聞こえている)弾く毎日がはじまった。

楽器は、弾けば弾くほど魂が流れ込んでいくと、むかし誰かが言っていた。
それは言語をおぼえることと似ているのかもしれない。話せば話すほど、ことばに生命が吹き込まれていく。魂の共鳴の相手がチャランゴになるとは。自分で選んでおきながら、奇妙な感覚だ。

ひとの話し声、機械の音、自分の思考、日常のさまざまな音や思惑は、心に入り込んでくる。外出先から帰ってきたとき、その雑音は煙が充満するようにどんどん膨らんで、飲み込まれそうになりながら寝りにつく日がよくあったものだが、チャランゴを抱えて、弦を一本はじいてみれば、ざわつく心はいつの間にか静寂の海を漂っている。

朝と夜の海が合わさる幻想の情景 浮かぶ山 陰と陽 現実から離れる術
技術の上達についてはさておき、いまは自分の心に平穏をもたらすもの、限りのない想像をはたらかせるものとして、爪弾く毎日なのだ。

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