4月26日、イラクのアルビルを発ち、コロンボに向かう。コロンボからギリシャに向かうピースボートに乗り、船内で、イラクやシリアの難民の講演をする仕事だ。
コロンボについたのは夜中だった。じっとりとした湿気と暑さ。そして古さが漂う。暗くてよくは見えなかったが、タクタクといわれる3輪タクシーが走り、ブッダの像やら、イエスキリストの像などがやたら町中でライトを浴びて目立っていた。タクシーの運転手は、「うちの息子を日本に留学させたいのだが、何かいい方法はないか」と聞いてくる。
スリランカ人は海外で働くことに熱心だ。そういえば、ヨルダンでお世話になった日本人の家族がメイドにスリランカ人を雇っていた。正ちゃんという男の子が生まれたばかりで、その子のベビーシッターをやっていたのだが、スリランカ人のメイドさんにも実は生まれたばかりの赤ちゃんがいるらしいが、スリランカを離れてもう2年も戻っていないという。お金のためとはいえよく働く人たちだ。
日本人に雇われるスリランカ人は幸せだ。ヨルダン人の金持ちと来たら、中途半端な金持ちもいて、見栄でメイドを雇ってみたものの、給料を払えなくなってしまったというケースも多かった。イラク難民やシリア難民を支援している地元のNGOも、そういったスリランカ人も支援の対象になっていたのだ。
ホテルは、港のすぐ近くで、ギリスの植民地時代を彷彿させる。朝、レストランからは港が一望できた。コーヒーを入れてくれるセーラー服を着たスリランカ人のボーイがいかしていた。
コロンボに来る直前、イラクのドホークのヤジディ教徒の難民キャンプを訪ねた。マリアムは18歳だ。ヤジッド教徒で、シンジャールから避難している。マリアムは、「イスラム国」が、シンジャールを攻めたとき、山に避難した。一週間山にいて無事に逃げることができた。しかし、親せきや、友達は連れ去られレイプされたという。
マリアムは、絵がうまかったので、彼女の体験や、同じ年代の少女たちが味わった恥辱を聞き取り、絵に描くという作業を一緒に始めている。作品の進み具合を見に行くと、油絵具を買って女性が痛めつけられている絵を描いていた。表現力が高まっている。
たとえば、12歳のアマルは次のように証言する。「両親、3人の姉妹と1人の兄弟の、6人家族だった。8月3日に、彼らは私たちのKojoという村に侵入し、100人くらいが撃ち殺され、男性たちをどこかに連れていき、女性たちを学校に連れて行った。その後、彼らは女の子だけをモスルに連れていき、2日後に2人の男性が来て、私と2人のいとこをシリアに連れて行った。彼らは私たちを空き家に連れて行って、3日に1回来ては、強姦して去って行った。彼らは食べ物を買ってきて、私たちは自分たちが食べたいものを料理していた。何人かの女性たちがヤジディ教徒を助けている男性に電話をかけ、自分たちの住所を知らせた。彼は別の男性を送り、逃げるのを手助けしてくれた。朝4時に男性が来て、11人(2人は子ども、その以外は女性)を車に乗せた。そして2015年6月19日にドホークにたどり着いた。両親と2人の姉妹や1人の兄弟はまだISISに捕まっており、何の情報もない。」
このように犯された女の子たちの多くは、ドイツへ行き特別なケアを受けているらしい。マリアムは、こういった話を聞きとり絵にしていくのだ。
イラクやシリアから逃れて、トルコから船でギリシャに渡り、ヨーロッパを目指す難民たちが急増している。私の友人や知人もその中にいた。人は移動する。楽しい旅もあるし、悲しい旅もある。
私の船は、出港した。今、アラビア湾に入り、海賊警戒地域を航海している。ギリシャについたら、難民たちと同じ経由をたどり、ドイツに行く予定だ。果たして楽しい旅なのか、悲しい旅になるのだろうか?