時候もよくなったせいか、いろんなお祭りのパレード情報が目に入る...というわけで、今回はジャワのパレードを紹介。パレードを指すインドネシア語にはキラブkirab、アラッ・アラカンarak-arakan、パウェpawaiがあり、王宮行事ではキラブと呼ぶことが多い。また、外来語ではパラッドparade(パレード)やカルナファルkarnaval(カーニバル)などがあり、これは文化イベントのタイトルで使われることが多い。
●大晦日のキラブ
ジャワのソロ(正式にはスラカルタ)では、ジャワ暦大晦日に王宮の宝物が巡回するキラブがある。日没後、まずマンクヌガラン王家(分家)の方のキラブが始まる。宝物を持った同王家関係者一行が王宮の塀の周囲を確か7周する。その後、夜中の0時頃からスラカルタ王家(本家)の方のキラブが始まる。私はスラカルタ王家の舞踊練習に参加していたので、王家の踊り手として一緒に歩いたことがある。宝物の先頭を歩くのはキヤイ・スラメットという白い牛で、キヤイと名前につくようにこの牛も宝物である。その後ろを剣や槍などを持った家臣団が続き、踊り手も比較的前の方を歩く。その後ろに巡幸参加を希望した団体が延々続く。田舎の年寄が多いが、中には若い人が交じっていることもある。こちらのキラブのルートだが、王宮の北の広場からキャプテン・ムルヤディ通りを南下し、フェテラン通りを西に進み、北上してスリ・ウェダリ公園の所に出てきて、あとはスラマット・.リヤディ通りを東に進んで王宮に戻る。実は牛の歩みによりスピードが変わるのだが、王宮に戻ってくるのはだいたい明け方5時頃になるので、体力的、精神的に自信がないと参加できない。歩く者は皆ジャワの正装で、家臣の人たちは基本的に素足ということなのだが、踊り手たちは草履を履いて良いと言われたので履く。
この行事はソロの観光イベントとしても有名なので、王宮やメイン・ストリートのスラマット・リヤディ通りは大勢の観光客で一杯になる。しかし、それ以外の場所には――時間帯にもよるが――あまり見学客もいなかった。これは、観光客には単なるパレードであろうし、実際に1970年代にスハルト大統領の肝いりで始まった「創られた伝統」なのだが、王宮関係者とっては精神的な意味合いが強い。宝物巡回は、昔は疫病が流行った時などの非常時に民の要請を受けて行われていたという。宝物に宿る霊力によって町を清めるという意味合いがある。このキラブの間、王は直接姿を現さないが、王宮内で瞑想して国の安寧を祈る。また、行列参加者もこの間、口をきくことは禁じられる。
●パラッドとカルナファル
ジャカルタのタマン・ミニ(インドネシア各州の文化を紹介するテーマパーク)では1982年から毎年「パラッド・タリ・ヌサンタラParade Tari Nusantara」と呼ばれるイベントが行われている。タリは舞踊、ヌサンタラはインドネシアの国を指す語で、要は国内各地(州)の舞踊紹介のイベントである。パレードを謳っているが、実際には通りを練り歩くのではなく、順次舞台で舞踊を上演する。スハルトの文化政策の見本みたいなイベントだ。
それに対してカルナファルは非常に新しい単語で、知られるようになったのはここ10年ほどである。ソロでは「カルナファル・バティック・ソロKarnaval Batik Solo」というイベントが2008年以来行われている。一応バティック(ジャワ更紗)をテーマにしているが、リオのカーニバル並みに派手で巨大な衣装を着た人が沢山出てメイン通りを練り歩く。これは当初は芸術イベント関係者が始めたはずだが、バニュワンギでも2011年からカルナファル・エトニック・バニュワンギKarnaval Etnik Banyuwangiが始まっていて、こちらはファッション産業関係が始めたようだ。他にもジャカルタ市がジャック・カルナファルJak Karnavalを2011年頃?に開始している。いずれも、県・市(行政都市)レベルのイベントだ。2011年〜2012年に私はインドネシアに住んでいたが、確かにこの頃にカルナファルという語を耳にし始め、ソロのようなカルナファルを真似したいというような話を他の地域でも聞いた。インターネットで見ると、いろいろなカルナファルが行われているようだ。私には、なぜカルナファルのようなド派手なイベントがインドネシアでそんなに受けるのか私にはよく分からないのだが、インドネシアの経済発展中間層が育ってきたのと関連があるのかもしれない。