悔しかったけど、負けなかった

阪本順治監督の最新作「団地」が6月4日からロードショー公開されている。団地を舞台にしたSFだという前情報に幾分不安がよぎったけれど、坂本らしい心に残る映画だった。

息子を不慮の事故で亡くし、長く続けていた漢方薬局をたたんで団地に引っ越してきた初老の夫婦が主人公だ。藤山直美と岸部一徳が演じている。二人は現役引退後の暮らしを団地で静かに送るはずだったのに、住民たちが放っておかずに事件に巻き込まれていく・・・。さあどうする! という所で物語が飛躍する。この予想外の展開に、出演を依頼された俳優陣はみんな「阪本は頭がおかしくなったのではないか?」と心配したという。「本当にやりたいんだね?」と確認されたと阪本監督はインタビューで語っていて笑える。

細かくストリーを紹介してしまうと見る楽しみが減ってしまうので書かないが、決して奇異な映画ではない。飛躍はこの映画にとって必要なことだったのだと思う。

主人公の夫婦は「死んだ息子に会いたい」との思いから、この現実と違う世界に行くわけだけれど、全くのおとぎ話ではなく、時空間を超えるというちょっと科学的な後ろ盾を感じさせる仕立てになっている。SF映画と言われる所以だ。時空間を超えることについての説明は「なんとかがなんとかしてなんとかなって」という藤山直美のセリフによってみごとに省略されてちっとも科学的ではないのだけれど、センチメンタルに傾きすぎていなくていい。

主人公の夫婦は、息子を事故で無くした時にマスコミの取材でもみくちゃにされてしまう。加害者を糾弾するという大義名分があったとしても、悲しむ体力すら残らないほどマスコミは夫婦を追い詰めてしまうのだ。(こういう描写があるわけではなく、セリフから事情がわかってくる描き方も良い)

また、しがらみが無いと思って入居した団地では、井戸端会議に加わらないから、何となく噂話の対象にされ、噂話はエスカレートして妄想を生み、しだいに団地の住民が夫婦を追い詰めていく。悪いことをしているという自覚が無いからたちが悪い。もうこんなやつらに説明してわかってもらおうなんて無理だ、もう違う世界に連れて行く。主人公を助ける方法として取った阪本の筋書きは、突飛だと思われるのだろうし、このおもしろさは、わからないやつにはわからないだろうな。

映画の冒頭、おばあさんが落として割ってしまった鉢植えの花を異星人役の斉藤工が土ごとハンカチに包んで拾ってあげる場面が出てくる。枯れないように別の土(世界)に植えかえてあげるという行為が、この映画を象徴するものとして描かれていたのだと、あとになってわかった。わからないやつにはわからなくてもいい。話の通じないやつらが牛耳っている世のなかじゃないかと、最近いらだっていた私は、阪本に肩入れしながらこの映画を見たのだった。

もちろん、ただ違う世界に逃げましたというだけの話ではない。「悔しかったけど負けへんかったで」という印象的なセリフが、映画のクライマックスで語られる。息子さんに会えたらそう言うのよと、違う世界に出発する主人公に向かってつかのまの友人である君子さんが言うのだ。藤山直美演じる主人公のヒナ子は、そう言われて、ちょっと考えてからうなずく。何が悔しかったのか、何に負けなかったのか。

息子を失った哀しみに負けなかったということはもちろんだけれど、理不尽なマスコミにも、団地の心無い噂話にも負けなかった、魂を売って同化する事なんてしなかったという意味に私は受け取った。長い物には巻かれようと、不本意な転向はしなかった。そんなふうに読み取って胸を打たれた。最近の映画のつくられ方、売られ方、言いたいことはいっぱいあるだろう。阪本自身も自分にむかってこのセリフを言ったに違いない。「悔しかったけど、負けなかった」私も自分のためにこのセリフを覚えておきたいと思った。