ガムランとゴーヤ

ある流れで、バリ舞踊をすこしだけ習う機会があった。このダンスは、思った以上にかなりハードで、ガムランをうしろに一見緩やかに、気楽に踊っているようにみえるが、体力をとても消耗する。

まず、基本の姿勢(アガム)をおしえてもらう。アガムは腕を胸あたりの位置にあげておかなければならない。目と胸の近くに手首を近づけ、手のひらを広げる。重心は傾けながらも地面へ体重をかけていく。この立ち姿勢を維持するのが難しい。先生によると、腰やお尻の位置を調整しているうちに、ストンと楽になる場所があるらしいのだけれど、そう簡単には見つからない。楽なところを探しているうちに、二の腕と太ももが痺れてくる。とにかく疲れる。

踊りは「静」のかたちがいちばん難しいのかもしれない。足がつりそうになりながらも、なんとかすこしだけアガムに慣れてきたとき、やっとガムランの音が耳に入ってくるようになる。ボーンと響くゴングや太鼓の音は怪しさよりも爽やかな風が抜けていく感覚で、何回も繰り返される音に身体はすぐに馴染む。音に合わせて目玉や首を動かすのがおもしろい。ひとつひとつの動きに意味があり、それは不思議で、奇妙で、とても神聖だ。踊りのおもしろさは、普段気にも留めない指先や手首・足首の関節に意識をもっていくことにあるとおもう。血管の巡っているところを確かめていくように、探るように、音にあわせて力を一瞬いれたり、抜いたりすることは、どんな踊りにも共通する。

そういえば昔、わたしの兄がガムランのCDを聴き漁っている時期があった。夜な夜なとなりの部屋から聞こえてくるガムランの音階は、小学生のわたしにはすこし不気味な記憶として残っている。兄は、バリのガムランよりもジャワのガムランを好んで聴いていて、ゆったりとした静かな音をなぜか植物たちにも聴かせていた。どうやら、それを聴かせると、彼が育てている野菜などの植物はどんどんのびて元気になるらしかった。

そのようなことを興奮気味に話す兄を思い出したので、わたしも自宅で育てはじめたゴーヤにガムランを聴かせてみようと思い立った。ただでさえぐんぐんのびているゴーヤがガムランを聴いたら、どうなってしまうのだろう?梅雨のしっとりした天気のなか窓を開け、プランターに向けてガムランのCDを流す。風のなかにやわらかく溶けていく。心地よい。

夕涼みをしながらいつの間にか眠ってしまい、気がつけば夜になっていた。次の日の朝見てみると、くるんとうずを巻いたツルのとなりに、黄色い花が咲いている。

ゴーヤサワーを飲める日は近い。

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