宮澤賢治原作(1924年)+管啓次郎修辞(2016年)
心はもう灰色の鋼鉄以外には
色彩も素材も考えることができない
そこからアケビという植物の蔓が
はるかな情報の雲にまで伸びてゆく
Roncesが湾曲し、混乱し
植物は枯れて湿地帯で眠り泥炭となる
どこまで行っても、どちらを見ても
極端な混乱がわれわれの世界を彩っている
(きみは正午にオーケストラを聞いたって?
幻聴だよ、ただ陽光がウイスキーの色をして
神の精液のごとくふんだんに降り注ぐのみ)
怒りは無用だ
それは苦い、青汁のように苦い
潰れた昆虫の幼虫のように苦い
水のように溜まった光の底の四月
私は天にむかって唾を吐いたり
ランボーのように毒づいたり
歯ぎしりしたりしながら
激しく往来を繰り返すのだ、誰もいないのに
おれは人間でもなく畜生でもない
(それなのに風景が涙のレンズにぼやけ、ゆれて)
氷のような雲が砕氷船に砕かれて
もともとよくない視力が涙でぼやけて
乾燥した高原のような明瞭な視界を持ち得ぬまま
空を走るrailroadばかりが海をぐんぐんわたってゆく
ハリストス教会で見たステンドグラスの
いみじくも着色装飾絵画のごとき風が
右にも左にも
うしろにも前にも吹きすさぶ
何というさびしさ
そんなあやふやな風景の中で
確固として春を主張するのはやつらだ
ZYPRESSEN!
まるでドイツの尋常一年生のように
勢いよく、侵略的大胆さをもって
列を作っている
樹影濃く、光に敵対して
くろぐろ、くろぐろ
馬の脚のような規則性をもって
視界を遮るのだ
そのすきまから、天山の雪をいただく
稜線がじみじみしく光っているのが見える
(大気に波動を見るのはおれの狂気
白い光を析出するのはどんなプリズムか)
われわれのロゴス喪失もきわまったね
理性なく
理屈なく
理由なく
雲がものすごい勢いでちぎられ
空の端から端まで
紙飛行機のような速度で飛んで行くじゃないか
残酷さを欠いた明晰な四月
この光の水底を
歯ぎしりしつつ体を熱くして
ただ無目的に歩く
おれは名状しがたい非人間でしかない
(レアメタルよりも貴重な鉱物を思わせる
雲が流れている
声ばかり聞こえるのは春の鳥
より限定的に「この春」の鳥はどこだ)
太陽が傷ましいほど青くはかない
おれが歩く存在の道は
この林に不思議な音楽を響かせている
巨大な暗い凹面のような空のボウルから
まるでこれらのくろぐろとした木々の
群落が伸びてくるようだ
反転した天地
驚くべき自然の成長性だ
悲しいほどの枝々の繁茂
なぜこんなにすべての風景が二重化されるのか
これも何かの通信なのか
おれはただ眼が悪いのかな、それとも見えなくて
いいものが見えているのかな
打ちひしがれた森の梢から
閃光のように、ほら、からすが飛んだ
どんなメッセージを誰のために担うのか
わたりがらすの神話を
二重化するために飛ぶのか
(空気が層をなしているのがわかる
すみわたってきた
檜が空を突き刺すように
森閑とした気持ちで立っている)
この森からうかがうとき
外の草地は黄金に輝いている
まるでティンブクトゥの黄金都市のようだ
ただ建築をすべて欠いているだけ
その黄金をゆらゆらとわたって
こちらにむかってやってくるものがいる
何気ないふうで人間のかたちをしている
人間であることに疑いをもったことがない
そんな自覚的なかたちをしている
ギリシャ人のように白い法衣をまとっているが
彼女は農婦
大地母神のようなどっしりとした腰をして
解読できない視線でおれを見ている
慈愛ですか
軽蔑ですか
恐怖ですか
親しみですか
ほんとうに私が見えるんですか
あなた方の実直なアグリ文化の世界に
私の存在平面はあるのでしょうか
疑問だ
なぜならおれは生産とか消費とか
呼吸とか会話とか飲食からも脱落して
もうこの世にどうついていけるかわからないのだ
だからどこを歩いても気圏が海に見える
光の海底をさまよっている
眼を開けていられないくらいだ
この塩の痛みに
この光の棘に
この感情を何と呼ぶべきか
「きみがゆく野原はすべて歌の庭」
だがどこにも歌の庭が見つからない
(かなしみとは悲嘆とちがう
それは独特な傷ましさ
フィドルで表現できる音でもないし
青という色彩で描けるものでもない
だがこの海底のような深さの印象
そしておびただしく与えられる光の
古代以来の堆積)
まだ歩いている...
おれの頭上で
ZYPRESSENが無音でゆれている
永遠に直線の飛行を試みるからすが
青空に切片を描き出す
それも残像だ
幾何学者のからすの
ユートピアの空だ
(ロゴス喪失がまたやってきた
alingualとあの台湾育ちのアメリカ人がいっていた
そんな状態よりもずっとひどい
だって真理という定義できないものを
言語により捉えようとしている
だが真理とは生命でありそれはまた光でもあるといった
ねぼけた神学談義が何かを教えてくれたことがあっただろうか
あまりに人間臭い
おれはむしろ獣になっていい
ヌタ場と呼ばれる地面で泥を体にこすりつける
果敢な猪のように
土を涙でぬらし
涙を土でこね
つぶつぶしたことばが降り注ぐ土地を
どこか遠い場所に求めてゆくのか
だがそのとき涙という具体物の
痕跡はどうなる)
深呼吸してみようか空を見上げて
また冷たい空気に肺が縮まる気がする
(おれは肉体を空に散逸させることの
代償としてこのような呼吸を経験しているのか
見送ってきた死者たちの体を
かつて構成していた分子はどこまで散らばっていったのか)
この混在の森で
銀杏の梢がまたアンテナのように光った
ZYPRESSENがいよいよ黒く沈黙する
突然
雲が稲妻のような火となって
暗い春の森に降り注ぐのだ
(春雷よ道をしめせ)