しもた屋之噺(176)

台風が近づいていて、強い雨が叩きつけています。目の前の小学校の校庭全体が大きな水溜りになっていて、水鏡の中の校舎が地面に伸びています。通り雨だったのか、顔を上げると、曇っていた空は見違えるように明るくなり、水鏡に映る緑はとても瑞々しく輝いています。

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 8月某日 大井町
リゲティ「アヴァンチュール・新アヴァンチュール」の歌手リハーサル。演出をつけるため、楽譜を外から眺めるような練習は避けたい。楽譜上の音声、音響を再生する演奏を目指すのではなく、楽譜上に書かれた感情をやりとりする訓練が必要となる。リズムこそあれ、演劇に余程近い気がするし、グラン・マカーブルに繋がるコンテキストが垣間見られる気がする。
発音記号の羅列ではなく、我々が初めて目にするキリル文字やタイ文字を読むように、意味を持った文字列に感じられるまで繰り返すことにより、架空の言語による小オペラとして成立させたい。

 8月某日 三軒茶屋
リゲティ・リハーサル2日目。大井町の駅に降り立つと懐かしい海の匂いに身体が反応する。イタリアの海より湿気を帯びてどこか色の濃い匂いに、体の奥で疼く記憶。ほんの薄く広がる、かかる匂いのなかで生活する人たちが、無性に羨ましい。

昨日はアヴァンチュール冒頭から始めて、新アヴァンチュール前半で終わったので、今日は新アヴァンチュール後半から、一つ一つのセンテンスで、誰が誰に何と言っているのかを理解しつつ丁寧に紐解いてゆく。だから書かれている内容がナンセンスで、ドラマツルギーの継続性が欠如した内容であることを除けば、劇場での音楽稽古に全く等しい。ナンセンスなのだから聴衆が捧腹絶倒するほど表情を豊かにしたいし、産み出される音響体はあくまでも表情の発露の結果であってほしい。

そこまで表情が明快にできれば、当初感情表現の羅列に見えていたものが、実は寄木細工か、さもなければモザイクかステンドグラスのように、合理的に組合されていることが理解されると信じている。この、分断中断され時には入れ子状に組み合わせられたドラマツルギーが、演奏に際して咀嚼に苦労する部分かも知れない。その下地に大岡さんの演出が付けれてくれたら、どんなに面白いだろうとほくそ笑む。

練習が終わって家に戻ると、息子が家人の演奏会へ出かけたいと言うので、慌てて家を飛び出す。家で練習していた三宅榛名さんの「捨て子エレジー」は、演奏会で聴くと実に衝撃的だった。幼少、恐らくまだ昭和40年代に何度か目にした、新生児遺棄事件の新聞記事が目に浮かび、思わず涙腺が緩む。隣の息子は何も分からず母親の歌う姿に腹を抱えて笑っているので、うるさいと叱る。

ルチアーノ・ケッサの「舞台上の物体による変奏曲」は、ピアニストが縫いぐるみの手を取って演奏する。この作品の演奏中は、会場中から笑い声が沸き上がったのは、曲ごとに家人が仰々しく3体の縫いぐるみを楽屋に取りに戻ったから。「変奏曲」は3曲から成り、それぞれイタリア各地の民謡を基にしているのは、音楽学者でもあるケッサの一面を反映している。

1曲目の「La Valsugana」 はトレント辺りで歌われる有名なアルプス民謡。「河が乾いた谷」と呼ばれるValsuganaはトレント南西部に実在する。

「ヴァルスガーナに着いたら、お母さんが元気か見に行きましょう。お母さんは元気。でもお父さんは病気でした。あたしの彼ったら、兵隊さんになって出てってしまいました。
一体いつ戻ってくるのでしょう。皆が云うことには、あの人ったらもう新しい許嫁を探しているそう。なんて悲しいお話しかしら。あたし信じられません。あたし信じちゃいませんが、もし本当だったら、金髪か黒髪の新しい彼を、今晩にも見つけちゃうんだから」。

3曲目の「Non potho reposare」も、サルデーニャで今も老若男女構わず愛唱される、熱烈な愛の歌で、まず最初にピアニストが縫いぐるみに旋律を教えると、縫いぐるみが独りで即興を始める。可愛らしいけれども怪奇譚風でもある。

2曲目の「Meridemi mi」は、トリノあたりのピエモンテ地方の古民謡。これは「乳児殺し L'Infanticida」と呼ばれ、ヨーロッパ全体に幾つもの異本のある伝承で、大凡次のようなもの。

「干草集めの三人娘が、牧草地へ出かけた。一人赤ん坊を連れるのはルチアマリーア。ルチアマリーアは赤ん坊をつかむと水に投げ込んだ。海の水は濁ってゆく。彼女の母親は、近くへ駈け寄り叫び声を上げた。お前何てことするんだ。ああ、ルチアマリーア。皆が一斉に叫びながら走ってゆく。お母さん、ああ声を落としてお話しください。さもなければ、私は裁きにかけられ、吊るされてしまいます。しかし程なくルチアマリーアは捕らえられ、囚人として塔の地下牢に繋がれた。そこに或る紳士が通りかかった。是非囚われの女を見せてください。とても美しいそうじゃないですか。それなら紳士殿、明日いらっしゃい。あの奇麗な女を見られます。死刑執行人が前で、彼女はその後ろ」。

作曲者から送られてきた、昔の老女が歌っている録音の歌詞は、上記の歌詞ともう一つの「乳児殺し」の歌詞との混交が見られる。異本として、8年後に漁師に助けられた赤ん坊が成長して母親を訪ねるものもある。

「お母さま、私を結婚させて下さい。私をオランダの王子のお嫁さんにして下さい。ああ、我が娘よ、あと一年お待ちなさい。そうしたらお前にオランダの王子を上げましょう。お母さま、私はもう待てません。オランダの王子を下さい。9カ月のはじめ女は男の赤ん坊を産んだ。可愛い私の赤ちゃん、お前は私をとても苦しませるの。お前を世間に連れてゆけばきっと私は蓮っ葉と罵られ、お前を水に投げ込めば、私の魂は断罪される。でも、蓮っ葉と罵られるより、心だけ断罪される方がまだいいの。彼女はその唇で赤ん坊に接吻し、自らの手で赤ん坊を波のまにまに放り込んだ。海に出ていた船乗りたちは、浜が真っ赤に染まっているのを見て言った。イザベラさん一体どうしたというのです。どうしてこんなに赤くなっているんです。私大きな魚を見つけたんです。石を投げつけようとしたんです。彼らはこの小さな赤ん坊を見つけて裁判所へ持っていった。裁判長よく見てください。今の若い娘どもがどんな偉いことをやらかしているか。こんな酷いことをする娘は誰だって、灼熱のペンチで身体を捥がれるべきでしょう。でもよく考えてみてくださいよ裁判長。そこに居ります娘はあなたの娘、イザベラですから」。

 8月某日 恵比寿
息子が借り出されたとある歌の収録は、「今のは60点。80点を目指して頑張ってみよう」と始まった。「今のはちょっと残念な感じで72点。まだまだ行けるね」。「今のはとても良かったね。80点。最後は良かったけれどリズムが惜しい。もう少し頑張ってみよう」。日本のテレビを見なくなって久しいが、今でも「日曜のど自慢大会」は続いているのだろうか。
帰りに二人、坂の下の小さなイタリア料理屋に入り、息子には定番のペンネ・アッラビアータを、自分にはミックスサラダと、トリッパのトマト煮を頼む。若いコックが一人で切盛りしていて、ローマあたりで修行したのか、思いの外美味。
ここ暫くリゲティのアヴァンチュールを譜読みしていると、ピアノの部屋から「捨て子エレジー」が、息子の寝室からはこの歌を練習する声が聴こえていた。

 8月某日 新宿
新宿まで自転車を走らせ、高層ビル街の一角で、大岡淳さんに現在のリゲティのリハーサル状況を話す。大岡さんはバタイユを通して、現在の社会を描いたりもする。バタイユは、遠い昔に読んだきりで、今読返せばどんなことを思うのだろうと考える。ロートレアモンとかアラゴンとかブルトンとか、少し違うけれど、サドとか。あの頃は何も理解しないまま文字だけを読んだ。今これらの本を手に取れば、分析的にしか言葉を絡めとることが出来ないに違いない。あの頃のように、意味も分からず、でも瑞々しい映像の羅列とは映らないに違いない。若いということは決して悪いことではないし、理解すること全てが素晴らしいとも言えない。家に戻り、大岡さんの本を一気呵成に読む。

 8月某日 三軒茶屋
両国で家人が藤井一興さんと四分音ピアノ二重奏の夕べ。このところ、ヴィシネグラツキをいつも彼女が一人で練習していて、同居している者からすると、この纏わりつく音を早く何とかして欲しいと思っていたが、微分音の二重奏で聴くと、納涼肝試しよろしく8月の夜に似合う。初めてロシア正教会に入ったとき眺めた、並ぶイコンの周りで、天井から釣られた香炉から立ち昇る神秘的な香の煙を思い出す。スクリャービンよりおどろおどろしい皮膚感覚の音楽。

両国の駅前の四川料理屋で、藤井一興さんと家人は日本の音楽教育について話し込む。音楽大学の音楽教育が個性を育てないこと、濁るペダルの音と、叩きつける打鍵についてから弱音のタッチについて。それらの話の端々で、ユージさんのピアノの話。「アーメンの幻影」の冒頭の意味が、ユージと弾くと、最後に辿り着いて初めてああ弾いたのかが解る仕組み。天才は違うと力説。

 8月某日 三軒茶屋
両国のスタジオで指揮ワークショップ。モーツァルト39番の2楽章から始める。
まず、CGC上の長三和音を、ハ長調として認識できるように弾き、続いて同じ和音を今度はト長調として認識できるよう、それぞれの参加者がピアノで弾いてみる。
続いて、2楽章の長大なゼクエンツを、各々が考えた調性に則って、ピアノで弾く。和音と和音の間に、見えない稜線が感じられるまで、何度も繰り返してみる。並列された和音の集合ではなく、和音と和音と間にある空間に、一つの線、糸がずっと繋がれているのを理解してほしい。流れが自然に聴こえるまで何度も丹念に繰り返し、その音を頭の中で聴きながら指揮してみると、確かに各々が感じている音楽が浮き彫りになる。

そうした準備をしない別のゼクエンツの箇所を試しに振ってみると、出てくる音がまるで違って、痩せた音になる不思議。そうなるのは分かっているけれど、科学的な理由はよく言い表せない。何しろ音を出すのは指揮者ではないのだから。
モーツァルトのような作品では、自分から音楽を発するのではなく、そこにある音楽をただ眺めながら振るとき、ただ4音の半音階でも鳥肌が立つには充分だった。
水谷川さんと瀬川さんがいらして下さったので、近所の猪料理屋のランチをご一緒した。今回は低音部のピアノを作曲の加藤くんが引き受けてくれたのはとても心強かった。

 8月某日 宇部空港
秋吉台の自作指揮レッスンと発表会が無事に終わった。作曲と指揮は全く違うことではあるが、自分の書いた音を客観視する訓練は、決して無駄ではないだろう。
或る学生は自分の書いた音を音楽的に振ろうとすればするほど音楽が消されてしまう経験をしただろうし、別の学生は、ただ拍を振るのではなく、自分がどんな音を欲しているのか、それを想像するだけで演奏者の音がまるで変わるのを実感したに違いない。また或る学生は、指揮でほんの少し曲の構造の輪郭をしっかりなぞってやるだけで、曲全体がまる違って響くことに愕いたかもしれない。
そして誰もが、書かれている音を出来る限り聴き取ることの難しさを、痛感したのではないか。音は縦にも横にも聴かなければならず、振ってそこに音を合わせるのではなく、音がはまるよう、こちらが予め空間を準備しておけば、音楽は自然に浮かび上がることもわかったのではないか。音楽は、自らの正当性を殊更に強調することでは決してない。

日一日一日、学生たちの顔つきがまるで変わってゆくのが印象的だった。決して長時間アンサンブルを振れるわけではないから、その分厳しい宿題を各々に出し、少しでも時間がある時には、他の作曲学生を集ねて口三味線を頼んだり、学生通しで互いに意見を言い合っては練習していた。その熱意が演奏者にも伝わったのだろうし、演奏を引き受ける責任のようなものが、顔に浮かびあがってきたのではないか。

 8月某日 三軒茶屋
打ち合わせの最中、何度も家人が連絡をしてくるので何かと思うと、中部イタリアの地震だった。前に震災で甚大な影響の出たラクイラに近い。ラクイラで震災復興の演奏会をしに出かけたのは、もう一昨年の秋になるのだろうか。あの時に見た、崩れたままの無人の中心街の静けさを思い、震災に遭った友人たちの顔を思い浮かべた。石造りの住宅が脆くも崩れ去る光景は、ラクイラに何度か通ったので、容易に想像がついた。
アマトリーチェに知り合いはいないようだったが、近くのテルニやぺスカーラには沢山の友人が暮らしていて、国営ラジオが刻々と伝えるニュースに耳を傾ける。観光客が溢れかえっていたアマトリーチェの街で、瓦礫の下にどれだけの不明者がいるのか予想がつかないと途方に暮れる救助隊の言葉が、ずっと頭の中で反芻している。

 8月某日 三軒茶屋
息子を甘やかすのも良くないと思い、今年は一人で草津の音楽祭に参加させている。同じ、小学六年のとき、ヴァイオリンを習いに出掛けて、タマーシュ・ヴァシャーリが学生オーケストラを指揮していて、みんなでブラームスの1番のピアノ協奏曲など弾いた。当時は同じくらいの小学生、中学生が随分参加していたが、今はそうではなくて、同じくらいの子供は親同伴だとか。時代が変わったのだろう。
死ぬことはないだろうから、適当に放り込んでサバイバル経験をさせればよいと思っていたら、家人はそれでは不安だと言うので、いつも殆ど使わない日本の携帯電話を息子に渡すことにした。

結果家人が何度電話しても、息子は忙しいとか友達と約束とかで殆ど話すことができず、彼女は忸怩たる思いでいるようだし、こちらもこういう時に限って電話を使わなければならないことが重なり、そのたび毎に、電話が通じなかったことを相手に詫びて、息子が草津に持っていて、と説明を余儀なくされている。
何故か一番最後の息子からの連絡は、昼メシを皇后さまと一緒に食べた、という本当なのかにわかに怪しい短い連絡があったきりで、状況が皆目見当もつかないが、兎も角息子がいない状況は同じでも、祖父母に預けるのとはこちらの心持ちがずいぶん違うのは、息子が妙に大人びた声を出しているから。
初めて電話で話したときは、カセルラを早く弾き過ぎとカニーノさんに諌められて、と不満を呟いた。音楽的に弾けない所を、早く弾いて誤魔化そうと思っただけなのだが。まあ息子が家から出てゆくのもあっと言う間だね、と家人と二人(鳩が豆鉄砲を食らったような)顔を見合わせている。こういう時の母親は少し寂しそうだ。

 8月某日 三軒茶屋
台風の影響で、秋吉台から東京に戻る最終の飛行機便は1時間遅れた。機内で広げられるような小さな楽譜ではないので、諦めて熟睡し、帰宅して夜半に譜読みを続けた。
そんな慌ただしい中で、芥川の練習が始まる。鈴木くんの作品は、演奏者が目まぐるしく変化するセクションの構造に、どれだけ早く演奏者を慣らしてゆけるか。渡辺さんの作品は、書き込まれた細かい指示を、どれだけ丁寧に実現できるか。大場さんの作品は、社会にコミットする作品の姿勢を、我々演奏者がどう表現できるか。大西さんの作品は、作曲者が意図している音の具体的なイメージにどれだけ肉薄できるか。当然、それぞれのリハーサルの内容は全く異なったものとなる。

 8月某日 三軒茶屋
芥川の練習の後、三輪さんと和光市駅近くの中華で、紹興酒を互いに酌み交わしつつ話し込む。音楽をつくる意味について。予め頭に浮んだ音響をただ楽譜に書くだけで、演奏者にその行為へ参加させるモチベーションを与えられるか否か。独奏作品や室内楽の場合とオーケストラでは、同じ関係が保てるかどうか。
フォルマント兄弟で最近、ペルゴレージの「スターバトマーテル」を歌わせたという。初音ミクのようなサンプリング音源ではなく、純粋に無から波形の合成によって発生させた声で、宗教曲を歌わせて、そこに宗教的意味は発生するのか。
場末の美味しい中華を食べたい二人の希望は一致していて随分探し回り、果たしてくぐった暖簾は中国人一家の経営。繁盛しているだけに実に美味。ダーロー麺という耳慣れない麺は、とろっとした餡に野菜がたっぷり乗っていて、少しだけ辛味が効いていた。

 8月某日 成田空港
芥川作曲賞の演奏会が無事に終わってレセプションに少しだけ顔を出し、三軒茶屋に荷物を置きシャワーを浴びて、成城のヴィオラの佐々木くん宅に駆けつけたのは夜の9時前だった。今朝、西江さんから佐々木くんの電話番号を貰ったばかりだったけれど、ミラノに戻る前にまどかちゃんに手を合わせたかった。仏壇の前で佐々木くんにかける言葉もあまり見つからないまま、近くのバス通りからタクシーを拾って家に戻った。気がつくと、さっきまで強く打ちつけていた雨は止んでいた。
(8月30日 ラノにて)