親父と私とダンス

笠井瑞丈

生まれて物心ついた頃から、父はいつも家にいる事が多かった。そして私が4歳の時、父は踊る事を辞めていた。5歳のとき家族でドイツに渡った。父は毎日オイリュトミー学校に通っていた。なので父が正直何をやっているのかよく分かっていなかった。そして私は10歳の時に帰国した。父に『職業欄を書かなきゃいけないときなんて書けばいい?』と聞いた事がある、そうしたら『ブトウカと書いとけ』と言われた。父は合気道をやってたこともあり、私はいつも武道家と書いていた。私が初めて父の踊りをはっきりと認識したのは、19歳の時、父が踊りの活動を再会してからである、始めはまったく踊りに興味もなかったし絶対に踊りはしないだろうと決めていた。しかし私が22歳の時、父がサンフランシスコのフェスティバルに呼ばれ、ひょんな事から私はそれに出る事になった。最初は背景のように後ろでただ立ってれば、という軽い気持ちだった。そして私はその舞台で何もできず、向こうのディレクターにこっ酷く怒られる始末だった。父はそんな結果を分かっていたのに私を舞台に出した。私はそこで初めてダンスと出会った。そしてその舞台で私は初めて舞踊家の父と出会う。