言葉と本が行ったり来たり(26)『オパールの炎』

長谷部千彩

八巻美恵さま

 長谷川町子の絵葉書、受け取りました。ありがとうございました。八巻さんからメールでのお手紙が届いたすぐ後に、郵便でも絵葉書が届くなんて贅沢。嬉しい。
 裏面のワカメちゃんとフネさんが縁側で金魚鉢を眺めている画には、私も懐かしさを覚えました。私にも祖母と縁側で過ごした幼少時代の記憶がありますが、あの頃は気温が25度を超えると今年は猛暑だと大騒ぎしていたような気がする。取り戻すことはもうできないでしょうけど、昭和の夏はいまよりずっと気持ちのいい夏でしたね。

 私のほうは、昨夜、残念な形で終わった仕事があり、徒労感いっぱいの週末を過ごしています。誰かがバトンを落とすたび、拾いに行って走って渡してを繰り返すような役回り。「勉強になりました」と笑って散開という形にはしたけれど、すべて無駄だったことは事実なわけで、やりきれない気持ちは拭えません。それで今朝は熱いお湯で長風呂をして、髪にタオルを巻いたまま床に寝転んで、枕代わりにフォームローラーに頭を乗せて、さて読書でも、と思ったけれど、こういうとき、何かの「続き」を、という気分にはなれないものですね。何もかも置き去りにしたくなる。「それまでのこと」を断ち切りたくなる。違う世界へ行きたくなる。だけど、楽しいものは嫌で、軽いものも嫌で、難解なものも嫌で、シニカルなものも嫌で、結局手を伸ばしたのは、自分の現実よりも苦い物語。少し前に買って積んでいた桐野夏生さんの最新刊『オパールの炎』でした。

 途中、髪を乾かしたり、シリアルを食べたり、コーヒーを淹れたりという休憩を挟みながら三時間半で読了。その後、主人公のモデルが誰なのか気になり、インターネットで調べてみると、桐野夏生さんご自身が、「中ピ連」の榎美沙子さんの人生を追って書いたと語っている記事が見つかりました。
 私は榎美沙子さんというひとのことは知りません。「中ピ連」が、「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」の略称だということも知りませんでした。だけど「中ピ連」という言葉には、なぜか聞き覚えがある。「中ピ連」が活動していた頃、私はまだ幼稚園児だったので、聞き覚えがあるというのも不思議な話なのですが。
 けれど、しばらく考えているうちに記憶の奥底から浮かんできたのです。ある時期、テレビのワイドショーのようなもので頻繁にその名前を聞き、女性たちのヘルメット姿を目にしていたことを。幼い私は、中絶、ピル、女性解放などという言葉の意味を知らないし、彼女たちが何かと闘っているのはわかるけれど、何と闘っているのかはわからなかった。だから、こう思ったのです。「中ピ連」のピは肥満の肥のことじゃないかな、きっと中ぐらいに肥った女のひとたちが「肥っている女をバカにするな!」と男のひとたちに怒ってるのだろう、と。
 いま、榎さんたちの写真を見ると、「中ピ連」の女性たちが特に肥っているということもないし、年だってそれほどとってはいない。だけど、幼児の目には、肥ったおばさん、と映ったのでしょう。
 わからないところには自分の持つ知識を無理矢理にでもあてがい、繋ぎ合せて、何としてでもわかろうとする執念。母親の観ているテレビ番組を、隣で自分も同じように観て、同じように理解して、対等な話相手として振る舞いたいという強い想い。確かにそんな形の慕い方が子供にはありますよね。居間に置かれた一台のテレビを家族みんなで観ていた時代の話です。
『オパールの炎』からすっかり脱線してしまいました。台風はどうやら進路を変えたようです。読書もいいけど、気晴らしはドライヴに限ります。明日は出かけられますように!

2024年8月31日
長谷部千彩

言葉と本が行ったり来たり(25)『蜜のあわれ』 八巻美恵