歳を取って

篠原恒木

「歳を取ってよかったなと思うことはある?」
そう八巻美恵さんに訊かれたことがある。しばらく考えたが、おれの答えは
「ないと思うなぁ」
という曖昧なものであった。

歳を取ると、体のあちこちが不調を訴える。それが少なからず不愉快だ。不愉快だから肉体だけではなく、精神的にも影響してくる。歳を取ってよかったな、とはとても思えない。
よし、頭のてっぺんから我が不調ぶりを書いていこうか。

まず、禿げた。これ、立派な不調ですよ、あーた。五十を過ぎた頃にこめかみ部分から後退していき、現在では頭頂部もきわめて心もとない状態になっている。仕方がないので禿げ隠しにこの二十年ほどは坊主頭にしている。三日に一回、自分でバリカンをあてる。不精するとわずかに伸びる髪はほとんど白髪だ。これが禿げてさえいなければふさふさのグレイ・ヘアだったのに、もはや叶わぬ夢だ。

若い時には経験しなかった偏頭痛も起きるようになった。おそらくこれは重度の肩凝りから来るものだと勝手に解釈しているが、当然にして気分はよくない。

視力が壊滅的に落ちた。近くのものも遠くのものも見えない。仕方なく遠近両用の眼鏡をかけているが、数か月単位で老眼が進んでいく。眼鏡の度数がすぐ合わなくなる。その都度作り直していたが、あまりにも不経済なのである時点からレンズ交換をやめた。なので、眼鏡をかけても世界が歪んで見えている。おれはこの世の中自体がそもそも歪んでいるのだと思うことにした。

鼻は十年ほど前から重度の花粉症になってしまった。春だけではなく秋にも鼻水が垂れる。涙が垂れる。正常といえる季節は真夏しかない。歳を取ると体のあちこちからいろんなものが垂れてくるのだ。鼻や目からだけではない。外耳炎で耳垂れもしばしばだ。意図せずヨダレが顎をつたうこともある。情けないことに我が竿は一年中垂れっぱなしだ。文句のひとつも垂れたくなる。

歯もいけない。半分は入れ歯だ。二か月に一回歯科医へ行き、クリーニングをしてもらうが、このままだと早晩総入れ歯になるだろう。食事をするたびに食べかすが部分入れ歯の隙間に詰まり、ストレスを感じる。硬いものも食べづらくなった。裂きイカ、堅揚げおかき、ハード系のパンなどを敬遠するようになってしまった。ツマはインプラントにしたが、臆病者のおれにとってあれは無理ですな。

ツマで思い出したが、夫婦揃って耳が遠くなってきている。先日もこういう会話があった。
「石破になったな」
「やだ、虫歯になったの? 痛い?」
「い・し・ば」
「ああ、総裁選ね。小泉孝太郎、ダメだったね」
「し・ん・じ・ろ・う」
会話の後半は耳のせいではない。大脳皮質の問題だ。

おれは眠れない。不眠症なのだ。この十年ほど睡眠薬と精神安定剤を服用してからベッドに入っている。
「睡眠薬など飲んだら往復ビンタでも受けないかぎり起きられないのではないか」
と、最初のうちは思っていたが、この頃は四時間ほど経つと目が覚めてしまう。二度寝はできない。それがとても不快だ。

顔部分はこれでおしまい。お次は首から下だが、これは臍の上までは今のところ異常なしだ。肩凝りは諦めているが、あとの五臓六腑はきわめて健康だと思う。寿ぎですよ。

いけないのは臍の下からだ。
尾籠な噺で恐縮だが、おれは七、八年前から前立腺肥大症を患っている。一か月に一回、泌尿器科に通院しているが、どんどん薬が増えている。今では前立腺肥大対策だけで六種類の薬を毎晩寝る前に飲まなければならなくなった。

「竿が大きい」と言われるのは自尊心をくすぐる。優越感にも浸れる。だが、「前立腺が大きい」と言われると、懐疑心を抱くようになる。残尿感にも浸れてしまう。前立腺が大きくなるとがんになるリスクがあるという。怖い。腫瘍マーカーを定期的に測っているが、いつも基準値の上限ギリギリでセーフだ。気分が悪い。

頻尿になると小便、いや、不便だ。映画を観るときはとにかく水分を摂らずに、上映前に必ずトイレへ行ってから席に座る。それでも一時間半を経過するとモジモジしてくることがよくある。ゆえにおれは映画館では通路ぎわの席しか座らない。

尿意も突然訪れる。普通はじわりじわりと忍び寄ってくるのだろうが、おれの場合は何の前触れもなくドーンとクライマックスがやってくる。そこですぐトイレに行かないと大変なことになるのだ。オノレの尿意のクライマックスのせいで、映画のクライマックスを何度見逃したことか。不愉快だよ。

小用を足すときも「勢い」がない。悲しいかな、我が小便は一本の白糸の如く緩徐に落下、そののちに力なく滴下していく。喩えはよろしくないけれど、大坊勝次さんが珈琲を淹れるときにネルドリップへきわめて丁寧に、ゆっくりとお湯を細~く垂らしていたでしょう。あんな感じ。だからおれの場合は「小用」とはいえ、時間がかかる。辛いですよ。

もう少し下半身へいくと、左膝の一部が骨壊死を起こしてしまっている。これは最近のことだ。原因は不明。運動で無理をしたせいだろうとおれは思っている。
急性時は激しい痛みに襲われ、まともに歩くこともできなかった。杖を購入して、いまでもそれを頼りにして歩いている。これは外科手術かと身構えたが、医師は現在のところ温存治療を選択している。つまりは二種類の痛み止めを一日三回服用し、湿布を貼るだけの「様子見」だ。壊死した箇所は元には戻らないという。だよねぇ、「壊れて死んだ」ものが治るわけがない。するとおれは死ぬまで鎮痛剤を飲みながら、薬のおかげで一時的に和らぐ痛みと付き合っていかなければならないのだろうか。それはあまり愉快とは言えないなぁ。

今は膝の周りが腫れている。先日の受診時に「水が溜まっているからだ」と言われたので、注射で抜いてくれとお願いした。ブスリと刺された太い針のあまりの痛さに悶絶したが、水は一滴も抜けなかった。炎症部分が針の行く手を塞いでいるらしい。本当かな。下手なだけじゃないの?

おまけに整形外科の先生が処方してくれたロキソニンの湿布を二か月間貼っていたら、患部が酷くかぶれてしまった。痒いのを通り越して痛い。真っ赤になった膝の皮膚は、変色してどす黒くなってしまった。湿布を貼るどころではない。慌てて市販薬のクリームを塗ったが良化しないので、皮膚科へ駆け込んだ。医師はおれに言った。
「かぶれに効く軟膏を処方しますが、また湿布を貼ると確実にかぶれてしまいますよ」
困ったな、どうすりゃいいのさ。膝の痛みを我慢したほうがいいのか、かぶれを無視したほうがいいのか。

かくして今のおれが通っている病院は、歯科、心療内科、泌尿器科、整形外科、皮膚科だ。オオタニサンもびっくりの五冠王だよ。まあどれも命を取られる病気ではないから呑気なものだと思うことにしている。いちいち嘆くとバチが当たる。

やっぱり「歳を取ってよかったなと思うこと」なんてひとつもないよな、とおれはあらためて思った。だけど、それを言っちゃあおしまいよ。そこでおれは考えた。

歳を取ると、大抵のことは忘れてしまう。これは案外いいことではないのか。悲しかったことも辛かったことも、いつの間にか忘却の彼方だ。おれの場合は楽しかったこと、ヒトから受けた愛情、恩情も忘れてしまう。これはよくないな、薄情だなと思うのだが仕方ない。あんなに好きだった女性のこともすっかり忘れている。昔、上司から酷い言葉で罵られたことも、ディテールは驚くほどに忘れている。身内や親しい人たちが亡くなってこぼした涙も忘れている。消えてしまいたいほど恥ずかしい思いをしたことも忘れている。これは歳を取ったおかげだと思う。経験したすべてのことを仔細に覚えていたらたまらない。膝の痛みも突然の尿意も今は不愉快だが、そのうちになんとなく折り合いをつけて、その状態が平常運転になっていくのだろう。

「シノハラさんにはあのとき本当にお世話になりました」
と言われても、
「おれ、そんなことしたっけ?」
と思い出せないことだってよくある。でも、その逆のほうが多いのだろうなぁ。
「シノハラの野郎、あいつだけは許せねぇ」
そう恨んでいるヒトビトだってたくさんいるよね。いいんだ、こちとら忘れてしまっているんだから。

「このご恩は一生忘れません」
なんてことを逐一覚えていたら、それはそれでかなりキツイ人生になると思うけどなぁ。

おれは八巻さんにメールした。
件名は「歳を取ってよかったこと、ありました」だ。