僕は、某大学で3年前に、生徒からゼミをやってほしいと言われ、「地域を巻き込んだ国際協力とボランティアの実践」というタイトルでプロジェクト・ゼミなるものを頼まれた。生徒が自らアイデアを出し、募金で集めたお金をその時に話題になっている紛争地への支援として送り届ける。去年はガザ戦争がはじまり、パレスチナの支援を行おうということになり、新聞も取材してくれるという。さっそく僕は、学部の責任者に話を通しておこうと思った。
「確かに現在、イスラエルによるガザ攻撃が人道上の危機を招いており、世界から非難を浴びております。ただ、今回先に攻撃を仕掛け、1000名以上の無辜の市民を殺害、レイプ、拉致したのはハマスであり、今も人質解放の署名・歎願運動は続いております。
こうした問題の政治性、複雑性に鑑み、本学が本問題で特定の政治的立場に立っているが如き誤解を与えることは避けたい思いがあり、取材に際し、大学のゼミ(正規の教育カリキュラム)としてのガザ支援というニュアンスには慎重にご対応頂ければ幸甚に存じます」
「もちろんですとも。人道支援は中立でなければいけない。生徒たちも援助の中立性ということを学ぶいい機会になるでしょう」
毎日新聞が記事にしてくれたので、掲載紙を責任者に見せた。
「先生のご尽力が実られましたね。おめでとうございます。昭和のプロレスのように単純にイスラエルを悪役としている毎日新聞の報道振りの浅薄さは、ちょっと残念ですが。」
丁寧にお褒めの言葉をいただく。「昭和のプロレス」とはよく言ったものだ。ちなみに毎日新聞に掲載された記事は次のようであった。
「イスラエル軍によるイスラム組織ハマスの激しい掃討作戦で多大な犠牲を強いられているパレスチナ自治区ガザ地区の民間人を支援しようと、○○大学の学生たちが年賀はがきを作成し販売している。」
僕には、これだけの記事からは、イスラエルが悪役のようには読み取れなかったが。
それはそれとして、プロレスは、確かに、善玉と悪役という役柄に分けて単純化するからわかりやすい。最近Netfrixで話題になっている「極悪女王」。昭和の女子プロレスラー、ダンプ松本の半生を描いている。竹刀を振り回し、フォークで美人レスラーであろうが、相手の額をぐしゃぐしゃに突き刺し、大流血に追いやる。「日本で最も殺したい人間」と言われるまでの極悪レスラーになりあがった。それでも素顔のダンプ松本は、貧しい家庭に育ち、父親の家庭内暴力で苦労する母を楽にさせたいと思いやる優しい女の子だった。太っていて、落ちこぼれていたから先輩たちから理不尽ないじめに遭った。善玉として相対した長与千種も同じようにいじめられていて、「今に見ていろ」という根性で励ましあった。実はこの2人は、強い友情で結ばれていた。極悪レスラーは実はいい人だった。役者の演技も素晴らしく感動的なドラマに仕上がっている。
日本の戦後はプロレスから始まった。アメリカに負けた日本。力道山がアメリカのレスラーを倒していく姿に日本中が狂喜した。1953年にTV中継がはじまると、新橋駅の街頭テレビには、2万人が押し寄せて力道山を応援したらしい。僕が子どものころは、日米が仲良く世界の悪を懲らしめる的なストーリーに代わっていった。つまりアメリカで行われているプロレスのストーリーがそっくりそのまま日本に入ってくる。アラビアの怪人として登場したザ・シークは、悪役中の悪役だった。シリア砂漠出身のアラブ人でイスラム教徒の野蛮人という設定で凶器で相手を血まみれにして、挙句火を放って相手レスラーをやけどさせる。イスラム教のお祈りも不気味な呪文として焼き付き、子どもの僕はとても怖かった。悪党のアブドラ・ザ・ブッチャーをも凶器でずたずたに切りさいてしまうのだから。最近調べてみてわかったことだが、なんとシークは、レバノン系アメリカ人。しかもキリスト教徒だったのだ。
似たような名前でアイアン・シークという選手がいた。実はこの選手は、イラン出身だ。イランではレスリングが国技になっている。アイアン・シークはパーレビ国王のボディーガードをしていた。しかし、国王は、暴君としても有名であり、逆らうものは殺された。レスラーの先輩タクティは、ある大会で優勝し、国王から「欲しいものを言いなさい」と労をねぎらわれた。「何も要りません。その代わり、舗装された道路や、病院や学校を作っていただきたい」と国民の生活がよくなるようにお願いしたという。その一言が国王の逆鱗に触れ、その後タクティは謎の死を遂げる。タクティの死をきっかけに、イランでは「国王に死を」というプラカードを掲げたデモが発生した。
アイアン・シークは、次は自分も殺されると思い1970年にアメリカに亡命した。全米体育協会の大会ではグレコローマンで優勝。オリンピックは72年のミュンヘン、76年のモントリオールの2大会でアメリカ代表チームのコーチを務めた。それでは食っていけない。プロに転向し、イラン人というアイデンティティを利用した悪役への道を模索する。
1979年イランで革命がおこると、パーレビ国王はアメリカに亡命するが、イランの学生たちは、アメリカに国王の引き渡しを要求し、米国大使館を占拠して米国人を人質に取ってしまった。アメリカ人のイランへの憎悪は、日増しに高くなり、アイアン・シークにとっては、大きなチャンスが訪れた。イランの国旗をまとい、リングに上がると、米国人の憎悪を独り占めし、試合に勝ちチャンピオンに君臨した。観客は、アメリカン・ヒーローが現れイラン人をやっつけてくれるお決まりのパターンを求める。その役はハルク・ホーガンだった。愛国心でいっぱいのアメリカ人は大喜びだ。アイアン・シークは、リング外では、星条旗のついたキャップをかぶり、Tシャツを着ていた。アマレスではアメリカ代表だったこともあり、彼もまた愛国心にあふれていた。
アメリカのプロレスは、国際情勢が反映される。湾岸戦争では、元海兵隊の鬼軍曹がどういうわけか、サダム・フセインに心頭してイラク国旗をもって戦うという悪役レスラーが登場。ここでもハルク・ホーガンが血まみれになりながら、最後は鬼軍曹をフォールして、イラク国旗をびりびりに引き裂くというパフォーマンスを演じていた。
こうやって見てみると、国際政治もプロレスも変らない気がする。湾岸戦争では、クウェートに侵攻したイラクは、アメリカの攻撃を恐れて、外国人を人質に取り、軍施設の前線に連れ去った。今回のハマスのように。日本の外務省は、なすすべもなかったが、そんな中、イラクへ乗り込み、フセイン政権と交渉して人質解放にこぎつけたのは、昭和のプロレスで数々の悪役レスラーと戦ったアントニオ猪木だった。「外交というのは、心と心が触れ合う。外交という字のごとく外と交わる。交わらずにどうして外交ができるのか」猪木は国会で外務省に反省を促した。
「昭和のプロレスはいいですよ」と僕は、大学の責任者に返信しようと思ったがやめておいた。その後、残念ながら、カリキュラムが変わるとのことでゼミは終了になり、昭和のプロレスに学ぶ国際協力を語る場所はなくなってしまった。