10月某日 斎藤真理子さん『在日コリアン翻訳者の群像』(編集グループSURE)を読了。朝鮮語翻訳者の斎藤さんが、作家の黒川創さんら編集グループSUREに集う人々と語り合い、多彩な資料を示しながら日本の韓国文学の翻訳史を整理して紹介している。韓日の文化の橋渡しに尽力した歴代の在日翻訳者たちに光をあてる、すばらしく充実した内容だった。語り下ろしの本ということもあり、読みやすい。
1990年代、地方の大学生だったぼくは図書館や古書店の棚をさまよいながら、韓国文学の翻訳を読み始めた。新刊書店で韓国文学の本を見かけることはほぼなかったと思う。何がきっかけかは忘れたが、当時から見ればひと昔前の「抵抗文学称揚の時代」(『在日コリアン翻訳者の群像』)に出版された本をこつこつと集め出し、さらにひと昔前の「北朝鮮文学優勢の時代」に出版された本を遠望していた。そして2000年代に入ってなお、「抵抗文学称揚の時代」を象徴する金芝河詩集(姜舜訳)を片手に奇妙な熱弁を振るう自分に対し、韓国からの留学生の友人は「アサノくんさ、いまの韓国の人は金芝河を読まないよ。ほかにもいい詩人や小説家がたくさんいるんだから」と冷ややかな言葉を浴びせるのだった。そうなのか、と目が覚めた。
ならば、現代の韓国文学をもっと読みたい。でも韓国語ができないし……。そんなもどかしい気持ちを抱えていたぼくが頼みの綱としたのが、在日の文学者・翻訳者の安宇植(1932〜2010)だった。当時の安宇植は、申京淑など同時代作家の作品の翻訳に取り組み、評論の執筆から新聞・雑誌への寄稿までをこなし、現在の斎藤さんと同じように、韓国文学の紹介で八面六臂の活躍を見せていた。
『在日コリアン翻訳者の群像』を読んで、文学者としての安宇植の歩みを知ることができてよかった。1950年代後半の在日朝鮮人の詩誌『プルシ(火種)』のメンバーだったことから、安宇植が詩人だった可能性を斎藤さんは示唆している。おもに在日二世の文学青年たちが集い、朝鮮語詩を発表していた。『プルシ』の3号は日本語版で翻訳詩から構成され、朝鮮文学のみならずロシアや欧米の海外文学(レールモントフ、アラゴン、ラングストン・ヒューズ……)を紹介し、近代朝鮮文学を代表する尹東柱や金素月の詩の英訳も掲載するなど意欲的な企画に取り組んでいるものの、この号を発行後に休刊。多言語が呼びかわす誌面に、若き在日青年たちののびやかな〈世界文学〉への思いを見る斎藤さんは、「胸が躍ります」と語っている。その言葉を読んで、ぼくの胸も躍った。
10月某日 早逝した在日コリアン2世の作家・李良枝の文学碑を訪ねるため、彼女が生まれ育った山梨へ。2022年、没後30年に出版された李良枝のエッセイ集『ことばの杖』(新泉社)の編集を担当したことがきっかけで、妹の李栄さんとの交流が続いている。富士吉田の新倉山浅間公園に文学碑が建立されたことを栄さんから聞いていて、一度見に行きたいと思っていたのだ。ちょうど、李良枝に関するエッセイを書き上げたところだった。
富士吉田にはぼくの母方の親戚がいて、マレーシア在住の従姉妹が一時帰国しているという。コロナ禍もあり、親戚とはしばらく会っていなかった。ならば久しぶりにみなで集まって墓参りもしようと、妻と娘と一緒に出かけることにした。
初日は、富士山麓の湖のほとりの森のなか、従姉妹の営む一棟貸しの宿に滞在。翌日、墓参りを済ませたあと、従姉妹の父親である叔父のIさんに新倉山を案内してもらった。山の中腹には、富士山を一望できる撮影スポットがあり、外国人観光客の長蛇の列ができている。文学碑はその脇にひっそりと立っていた。
御影石の碑には、『ことばの杖』にも収録された随筆「富士山」から引用された文章が刻まれていた。「すべてが美しかった。それだけでなく、山脈を見て、美しいと感じ、呟いている自分も、やはり素直で平静だった」
在日1世の両親の不和ゆえの幼少期の暗い記憶とともにあり、「日本的なものの具現者」として憎んできた富士山。その風景を李良枝が受け入れるには、長く複雑な心の道を歩かなければならなかった。「韓国を愛している。日本を愛している。二つの国を愛している」と作家は続ける。たどりついた個としての「素直で平静」なまなざしの深さにあらためて打たれた。
ぼくの祖父は富士吉田で学校の教師をしながら民俗学や郷土史の研究をしていて李良枝の父と交流があり、親戚には少女時代の彼女に日本舞踊を教えた師匠もいる。叔父のIさんは、やはり早逝した李良枝のふたりの兄と親しく、お互いの家を行き来するほどの仲だったので、亡き友をめぐる思い出話を懐かしそうに語ってくれた。
10月某日 韓国の作家ハン・ガンさんがノーベル文学賞を受賞した。韓国の作家で初、アジアの女性で初のノーベル文学賞受賞ということで、飛び上がるほどうれしい。ここ数年、ハン・ガンさんの作品を愛読してきたので、日本語の世界に届けてくれた翻訳者と出版関係者への深い感謝の気持ちが込みあげてきた。
ノーベル文学賞の発表前、非常勤講師を務める大学の編集論の授業で「今年は誰が受賞するか」をテーマに話したのだった。過去十年の受賞者の傾向を分析しつつ、アジアから受賞者が出る可能性があることを指摘し、有力候補と報道されていた中国の作家・残雪氏の名前を挙げておいた。
授業を終えて校内の控室に残り、日本時間の午後8時から始まるスウェーデン・アカデミー選考委員会の発表式を、オンライン配信で視聴。どきどきしながら耳をすませていると、「韓国の作家、ハン・ガン」という英語のアナウンスを聞いて驚いた。いつか受賞するとは思っていたが、まだ早いと考えていたのだ。歴代の受賞者のうち、50代前半の作家はそれほど多くない。選考委員は「ハン・ガン氏の力強い詩的な散文は歴史的なトラウマに向き合い、人間の生のはかなさをあらわにしている」と評価していた。
ハン・ガンさんは詩人としてデビューしているのだが、詩集『引き出しに夕方をしまっておいた』(きむ ふな・斎藤真理子訳、クオン)の日本語版の編集をぼくは担当している。世界的に見て、声にならないものに声を与える仕事にもっとも真摯に取り組む作家のひとりであることは疑いない。そんな彼女の文学を紹介する仕事に間接的でも関われたことは、光栄で誇らしい。
ところでハン・ガンさんの文学を日本で普及する道を開いたひとりが、出版社クオンの代表・金承福さんだ。今から13年前、「新しい韓国の文学」シリーズの第1弾として小説『菜食主義者』(きむ ふな訳)を刊行。その後も作家の代表作となる小説やエッセイの翻訳を出版し、「セレクション韓・詩」の創刊時には、満を持して『引き出しに夕方をしまっておいた』をリリースした。
金承福さんは、「『韓・詩』のシリーズはハン・ガンさんの詩集からはじめたい」と打ち合わせ時に明言していた。そして「欲を言えば、日本の読者にとって韓国の詩への入り口になるような本にしたい」とも。この本には訳者のきむ ふなさんと斎藤真理子さんの対談「回復の過程に導く詩の言葉」を収録しているのだが、これは金承福さんの熱意を受けて企画したのだった。訳者ふたりのお話のおかげで、作家の詩や小説のみならず、韓国文学の歴史を理解するための絶好のガイドと言える内容になったと思う。
10月某日 昨年、奈良県立図書情報館で「韓国文学との出会い」と題してトークを行った。企画してくださったIさんが亡くなったことを知る。ご冥福をお祈りします。
トークでは、安宇植の韓国文学の翻訳に大きな影響を受け、読者として恩義を感じていることを中心に話したのだった。安宇植はハン・ガンさんの父で作家の韓勝源氏の小説『塔』を共訳している。これは角川書店が韓国の作家に未発表の書き下ろしを依頼して1989年に出版した本で、今から考えるとすごい話だ。
奈良県立図書情報館でのぼくの出番の前に登壇したのが、斉藤典貴さんだった。晶文社の「韓国文学のオクリモノ」という名シリーズを世に送り出した編集者で、2017年に創刊されたこのシリーズから受けた衝撃については、『「知らない」からはじまる——10代の娘に聞く韓国文学のこと』(サウダージ・ブックス)という本のなかで書いた。付け加えるならこのシリーズは、実力ある女性の韓国文学翻訳者たちの存在を、ひとつの「チーム」として世に知らしめたことにも大きな意義があったのではないか。翻訳者として関わったのは斎藤真理子さん、古川綾子さん、すんみさんの3人。
現在も勢いを増し続ける韓国文学の翻訳出版に欠かせないこうした女性翻訳者たちの多くは、大学研究者ではない非アカデミックという点において歴代の在日翻訳者たちとも共通する立場にあり、ぼくはそこに何か大切な精神史の流れがあると感じている(安宇植は桜美林大学の教授を務めていたが、それでも在野的な精神をもつ存在だったと思う)。
10月某日 斎藤真理子さん『在日コリアン翻訳者の群像』には「アサノタカオさんという編集者の方が、神奈川近代文学館に行った時に、「プルシ」を見つけて、黄寅秀さんの部分だけコピーして送ってくれた」とある。
編集者であるぼくには、秋のリスがほほ袋に食べきれないほどドングリを詰め込むように、図書館で少しでも気になる資料を見つけたら片っ端からコピーをとって持ち帰る習性がある。その習性が役立ったわけだが、補足すると、在日の英文学者・翻訳者の黄寅秀が『プルシ』に寄稿していたという情報は、文学研究者の宋恵媛さんの大著『「在日朝鮮人文学史」のために——声なき声のポリフォニー』(岩波書店)を読んで知り、そもそも宋恵媛さんの本の重要性は斎藤さんに教えてもらったような気がする。なのでこの資料の存在は、自分が「見つけた」というより、届くべき人の元におのずと届いたということだろう。
宋恵媛さんは今年2024年、望月優大さんとの共著『密航のち洗濯 ときどき作家』(柏書房)で講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞した。宋恵媛さんの仕事に関しては、2005年刊行の『金石範作品集Ⅱ』(平凡社)の解題で在日作家・金石範氏の文学における「女性への眼差し」について忖度抜きの鋭い問題提起をしているのを読んで以来、注目してきたのだった。
10月某日 自宅で編集の仕事をしながら、SNSの音声配信で作家の深沢潮さんのお話を聴く(以前、小説『緑と赤』(小学館)を読んでとてもよかった)。深沢さんはノーベル文学賞の話題から、ハン・ガンさんと李良枝には「身体性を大事にしている表現者」という点で通じるところがあると語っていて、大きくうなずいた。言葉と身体の関係性をめぐるハン・ガンさんの小説『ギリシャ語の時間』の文章と李良枝の芥川賞受賞作「由熙」の文章を並べると、個々の作品の文脈を超えて強く響き合うものがある。
「血が流れていない血管の内部のように、またはもう作動していないエレベーターの通路のように、彼女の唇の内部はがらんとあいている。依然として乾ききったままの頬を、彼女は手の甲でこする。
涙が流れたところに地図を書いておけたなら。
言葉が流れ出てきた道を針で突き、血で印をつけておけたなら。」
ハン・ガン『ギリシャ語の時間』(斎藤真理子訳、晶文社)
「由熙の二種類の文字が、細かな針となって目を刺し、眼球の奥までその鋭い針先がくいこんでくるようだった。
次が続かなかった。
아の余韻だけが喉に絡みつき、아に続く音が出てこなかった。
音を探し、音を声にしようとしている自分の喉が、うごめく針の束につかれて燃え上がっていた。」
李良枝「由熙」『李良枝セレクション』(温又柔編・解説、白水社)
10月某日 東京の文化センターアリランで開催される「アリラン・ブックトークVol.12」で、李良枝『ことばの杖』が紹介されるという。ゲストは李栄さんなので参加したかったが、仕事の出張と重なり会場には行けなかった。後日アーカイブ動画で視聴しよう。
月1回のペースで参加している海外文学のオンライン読書会。来月の課題図書がハン・ガンさん『別れを告げない』(斎藤真理子訳、白水社)に決まった。1948年の済州島4・3虐殺事件をひとつの背景にした長編小説だ。2008年に家族とともに旅した済州島の風景を思い返しつつ、再読している。