吾輩は苦手である 5

増井淳

 ずいぶん前のことだが、仕事で歴史学者の今井清一さんのご自宅へうかがったことがある。
 今井さんから尾崎秀樹に関する原稿をいただき、シェリー酒などもごちそうになり、いい気分で辞去した。
 その帰り道、満員電車に乗っていて、見ず知らずのニンゲンから突然ガラス瓶で後頭部を殴られた。
 瓶の中には液体が入っていて、上半身はびしょぬれになってしまった。
 ちょうど駅に停車したところで、殴った男は、走って下車してしまい、吾輩は濡れたまま会社までもどった。
 そういうことがあったからだろうか、満員電車というのがつくづくいやになった。
 いやになっただけでなく、その後、満員電車に乗ると急に不安や息苦しさに襲われるようになった。
 そして、ついには満員電車に乗れなくなってしまった。
 電車通勤だったが、以来、できるだけ空いている電車を利用。おかげで、40分ほどだった通勤時間が1時間以上かかるようになってしまった。

 そういえば寺田寅彦も満員電車が苦手だった。

 「満員電車のつり皮にすがって、押され突かれ、もまれ、踏まれるのは、多少でも亀裂の入った肉体と、そのために薄弱になっている神経との所有者にとっては、ほとんど堪え難い苛責である。その影響は単にその場限りでなくて、下車した後の数時間後までも継続する。それで近年難儀な慢性の病気にかかって以来、私は満員電車には乗らない事に、すいた電車にばかり乗る事に決めて、それを実行している」(「電車の混雑について」『寺田寅彦随筆集 第二巻』岩波文庫。青空文庫でも読める)

 「堪え難い苛責」というのが吾輩には痛いほどよくわかる。
 寅彦は科学者らしく満員電車を「観測」して、その「律動」に法則性のあることまで指摘している。
 寅彦の指摘は大正時代のこと。今では「満員電車のあとには空いた電車が必ず来る」というわけでないと思うが、それでも急行とか快速には乗らず各駅停車を選べば比較的空いている電車に乗ることができる。もちろん、時間がかかり、その待ち時間が時には堪え難く感じることもあるのだが。
 
 満員電車は苦手であるが、実は、吾輩はほとんどの乗り物が苦手である。
 前に勤めていた会社はビルの3階にあり、社員はエレベーターで3階へ行くのだが、吾輩はずっと階段を利用していた。
 学生のころ、下宿から学校まで吾輩以外の下宿人は電車を利用していたが、吾輩は30分ほどかけて歩いて通っていた。
 小学生のころは、友だちが自転車で遊びに行くのに、吾輩は走ってそれについていった。
 つまり吾輩は、自転車、三輪車、船、飛行機、エレベーター、エスカレーターとおよそ「乗り物」と言われるものすべてが苦手である。乗り物に乗るくらいなら歩くほうがいいし、歩けない距離なら出かけないほうがいい。
 通学・通勤で電車をずいぶん利用したが、目的地の少し前の駅で降りて、そのあとは歩くということもよくやった。
 数年前に通勤から開放されて以来、電車に乗るのは年に数回ほどである。
 先日、同級会があり帰省した。その際、十数年ぶりに新幹線に乗ったのだが、ICカードの使い方がわからず、駅で右往左往してしまい、あやうく目的の電車に乗り遅れるところだった。しかも、新幹線の乗り心地が悪く、気持ち悪くなってしまう始末。
 まったく乗り物というのはイヤなものである。
 
 「水の上を歩くのが奇跡ではない。この地上を歩くことが奇跡なのだ」と臨済禅師は言われたが、このことばをかみしめながら、トボトボと歩く日々である。