今年の夏は暑かったので、11月も終わりに近づき、ようやく最近銀杏並木が色づき始めた。しかし今日は朝からどんより曇ってさえない色合いだ。僕の父が亡くなってから10か月以内に相続税をおさめに行かねばならぬ。11月末が納期だった。どうせなら、是枝監督の映画「海よりもまだ深く」の舞台になった旭丘団地まで行って、そこの郵便局から振り込むことにした。昭和42年に建てられた2070戸のマンモス団地だが、商店街は、高齢化のためか見事なまでにシャッターが下りている。それでもまだ人は住んでいるようである。映画は、夫に先立たれた一人暮らしのおばあさん(樹木希林)の年金を当てにして、妻に逃げられたダメ男の長男(阿部寛)が頻繁に団地を訪ねるたわいもない話だが、他人事とは思えない高齢化社会の問題を描いている。監督は、9歳から28歳までこの団地で暮らしていたというし、僕とあまり年が違わず、高校も大学同じだから人一倍親近感を感じるのである。
税金を納めて一区切りがついた気分である。郵便局の前がちょっとした休憩所になっており、そこにいらなくなった本がおいてある。自由に持ち帰ってもいいし、いらなくなった本を持ってきてもいい。どんな本があるのかなあと、目についたのが、「名医ぽぽたむのおはなし」という絵本だった。池袋にカバのロゴマークのぽぽたむというブックギャラリーがあったので、カバの話かなあと思ってパラパラ読んでいると、これが結構おもしろい。糊とポンプで死んだ動物をよみがえらせるというカバの医者の話だ。
しばらく読んでいるとおばあさん3人連れがやってきて世間話を始めた。
「昨日は天気が良くてね、布団をほしたのよ。ところが、布団があつくなっちゃって眠れなかったのよね。」
僕はそのことばにちょっと興味をひかれたので、本を読むふりをして盗み聞きをすることにした。
「これから、雨になるって。でも明日は晴れてあったかくなるって」
明日は友人に庭の剪定を手伝ってもらうことになっており、僕は天気のことを気にしていたからおばあさんたちの情報は有益だった。
「もの(値段)があがっててね、鳥が埼玉で病気になって卵が高くなったわね。かわいそうに元気な鳥も全部殺されちゃうのよね。かわいそうに」
「人間もやられているみたいだけど」
「ねぇ、ロシアとかあっちのほうに連れていかれてね。かわいそうなのは北朝鮮のひとよね」
北朝鮮は、ロシアに協力し、兵士を送りウクライナに送り込んだ。相当数の北朝鮮の兵士が戦死しているらしい。ゼレンスキーは、「不安定化する世界の新たな一ページを開いた」と言っている。
「北朝鮮が日本製の武器をどこかで仕入れてウクライナで使っているのよ」
へえ、そんなことになっていたのか。
「早く終わらしてくれればいいのにね」
「でもねぇ、戦争していいことなんてなんにもないわよね」
「そうよ、そうよ、何にもない」
「ものは壊される、食べるものもない」
「地球は一つなんだから、地球守らないと」
「地球なくなったらみんなどうすんだろう」
「お金一杯持っている人は火星とか行っちゃうんだろうけど」
「中国なんかも、富裕層は外にみんな出っていっちゃう。貧しい人は仕事がないっていうわよ。共産党国なのに平等なんてないのよ」
いつしか話はグローバルな方向へと向かっていたが、僕は、カバの医者、ぽぽたむの荒唐無稽な絵本を読んでいた。ワニに食われて肉団子になったキリンをポポタム先生はよみがえらせるのに成功した!
子どものころ、こたつに入ってうとうと居眠りをしていたことを思い出す。女たち(祖母や、母や、親戚のおばさん)はいつも世間話をしていた。彼女たちは、子どもがいようがいまいがお構いなしに大人の会話をするのである。自分は会話に加わる必要がなかったし、そのことはとても心地よかった。僕はばあさんたちの会話を楽しみながらポポタムの絵本を持ち帰り続きを読んでいる。