また一つ、仙台の歴史的建造物が消えた。広瀬川から引かれた七郷堀という水路のほとりに立つ染物屋の建物だ。堀の両岸は江戸時代から染師たちが暮らしたところで、明治に入ってからも大きな染物屋が並び、昭和30年代くらいまでは堀の水が藍色に染まるほどの忙しさだったという。この染物店はこの町の伝統の木綿染めでなく絹染め専門だったが、黒っぽい木造の2階建の主屋と、ガラス戸の上の木製の看板、瓦を載せた門は、この町の歴史を静かに語りかけてくれるものだった。
「越後屋染物店が解体されてるみたいです」と知人から一報が入ったのは、1月6日の午前中のことで、新年早々、ざらざらした苦い感情が押し寄せた。これまで何度もまち歩きでお世話になり、ご主人とも顔を合わせ話を聞いてきたのに。たしか一昨年、耐震調査をした話を聞いていたのに。何か力になれることはないかと思いながら、昨年は一度も訪ねていなかった。やるせない気持ちが押し寄せる。
仙台で歴史的建造物の保存活動をして、20年近くが経つ。新聞などで建て替えとか移転とか報道されたときは、事態は解体に向かって進んでいる。それからあわてて賛同してくれる人を集め動き出しても、時すでに遅し。何周も遅れてのスタートだということを思い知らされてきた。でも、同じ思いの友人ができたし、市内の中心部に近いところならば、どこに貴重な建造物があるかという地図が頭の中に描けるようになった。この建物は、私の中では残したい建造物の筆頭に上がるものだった。いや、仙台の街にとって、といいかえてもいい。もちろん持ち主のお気持ちとはまた別の、外野の勝手な思いなのだけれども。
こういう建物が消えると、穴が空いたような気持ちになる。残念ねとか、前に見学できてよかったとか、今回もいろいろな人にいわれたけれど、私の感情はもう少し複雑で重い。親しい人を失ったとき、もう少し何かしてあげられたのでは、という思いがついて回るのに近いかもしれない。壊されたらもう二度と見ることはできないのだ。亡くなった人にもう二度と会うことはできないように。だから、建築関係の人たちが解体前に「記録保存をとる」といういい方をするのに、いつも違和感を抱いてきた。それって記録ではあるけれど、保存じゃないでしょう、と。
現場を見るのが恐かった。でも翌日夕方、陰った日射しの中を車で出かけ、スピードを殺して近づいた。もうブルーシートで覆われ、建具は外され、パワーシャベルの重たい頭が主屋の手前にのしかかって半分ぐらいはつぶされていた。いたたまれない気持ちで降りずに通り過ぎた。古いのに輝きがあってしっかりと存在を主張していた建物の姿は、もうどこにもなかった。木造の解体の何とたやすいことだろう。人が守らなければ、それは簡単に崩れ落ちる。
旧知の記者さんから写真を持ってませんか、と問われ、パソコンの中の写真をさかのぼって探してみる。ない。え、ないはずはない。そう思ってもう一度見る。やはりない。CDにまとめていた画像も開いてみるが、一枚もないのだ。壊れてしまった前のハードディスクの中に入っていたんだろうか。
建物は消え写真も失せたというのに、記憶の中の画像がくっきりと鮮明に頭の中に浮かび上がる。ふっと、赤と白の餅をつけたかわいらしいだんご木の小枝が、門柱に刺してあったことを思い出す。門をくぐって入ると、玄関わきには丸窓が切ってあったっけ。もうだいぶ前のことだが、父が亡くなったとき、まったく覚えていなかった暮らしの1コマが、記憶の箱の蓋をぽんと破って出てきたみたいによみがえったことがあった。それと同じことなんだろうか。
昭和11年に立てられたというその建物は、2階は南側と東側が大きく切られ全面にガラス戸がはめられていたから華奢で柔らかな印象だった。全体はいぶしたような焦げ茶色で、そこにぴかぴかに磨き上げられたガラス戸が立ち、日中は隅に白いカーテンがきちんとまとめられている。堀の向かいから眺めるたび、ほれぼれとした気持ちにさせられた。ガラスはまず何より輝きなのだ。磨いていたのはご主人。コツがあるんだよ。こういう古い建物はガラスが汚れていてはみすぼらしいからね。そう話されていた。
1階の店も南側はガラス戸で、入ると半間ほどのたたきがあり、上がり框があって畳が敷かれ、昔ながらの座売り形態だった。奥の座敷との境の扉まで見通せる広い空間だったから柱は少なかったのかもしれない。でも、東日本大震災の激烈な揺れをうまく逃がすようにして、そう大きな被害も受けずに建物は生き延びた。
畳の向こうに大柄なご主人が座り、手前には横顔の美しい奥さんがおだやかな表情で座り、お二人で柔らかな絹の織物にちくちくと針を通しているようすを、絵を見ているようだなと思いながら見つめたことがあった。こんな1コマも記憶の中から鮮やかによみがえってくる。
よく手をかけられ、ていねいに使われてきた建物は、深い呼吸をする生きもののようだ。
4代にわたって暮らし商ってきた建物を自ら壊すと決めたその心中を思うと、ことばが見つからない。でも何か、ひと言何かを伝えたくて、スマホに残っていた番号に電話をかけてみる。無音。固定電話は切られていた。残っていた住所に手紙を書こうと思い立つ。せめてお礼ぐらい伝えたい。でもどんなにことばを重ねてもご主人の無念には到底届かないような気がして、ひと月近くが経つというのにまだ出していない。