マイ・ファニー・バレンタイン

さとうまき

その昔、バレンタインデーが近づくと、女子社員は、チョコを買いにデパートへ駆けつけ、その日の朝がやってくると早めに出勤して男子社員の机に一生懸命チョコを並べる。とても昭和な時代だった。「義理ちょこ」これを人々は悪しき習慣とみていたのだろうか? チョコをもらうのはうれしい。しかし、数が少ないと、いかに女子から嫌われているのだろうかと落ち込んだりするし、義理チョコを義理で返すホワイトデーなるものも照れくさくめんどくさいものだった。そもそもは、製菓会社が仕組んだ戦略にみなのせられていた。

2005年、僕はチョコレート革命を企てた。「限りなき義理の愛」作戦。義理チョコに向けられる財源を、イラクの子どもたちへ投資するという作戦だった。というのはうそで、僕は、革命を起こそうなんて大それたことは考えてなかったけど、自分や、その周りが変わって楽しくなればいいなあという程度。高いお金でチョコ買うよりも、戦争で犠牲になっている子どもたちに少しだけでも愛を向けてほしいという思いと、子どもたちの絵というのは本当に面白くってみんなに紹介したいというのがあった。

結果、とても反響があった。クリスマスとは違い、当時は、カップルにとって楽しいイベント、そこにお金を消費させようというバブルなコンセプトに、戦争反対だの、自衛隊の海外派兵反対など、そういう暗くってめんどくさい、しかも意見が割れてけんかになりそうなネタを持ち込むことなどはタブーだった。しかし、うけた。「義理チョコなんてくだらないって思ってたけど、これならいいわ!」と言って買ってくれるおばさんたちがたくさんいた。

気が付くと売り上げは8000万円をこえていた。僕は調子に乗って、鼻血を流している子どもを描いた絵とか、マスクをかけている子どもの絵もパッケージに使った。イラクのがんの子どもにとっては、リアルな現実だった。しかし、やはりそういう絵は嫌だという人もいた。団体は大きくなると上昇志向にしかならない。売れるためには何でもいい。というのは言い過ぎだけど、プロのデザイナーとかがやってきて、勝手にTシャツや、ギターのデザインに使うことになったらしい。僕はあほらしくなってやめてしまったけど、お金がたくさん集まることはいいことだから、多くの子どもたちを助けてほしいと思う。

今、ガザが大変だ。シリアも大変だ。少しでも何かできないかと思って、昨年からちまちまとコーヒーを売り出した。
「バレンタイン用にデザインしてくださいよ」
と言われた。
「いやーもう、バレンタインデーはこりごりで」

何よりもガザ戦争では、私の知り合いたちが一生懸命現場にかかわっている。そのことは誇りである。ガザに家族がいる藤永さんが、子どもたちと始めた寺子屋。大きな支援が届かないところで活動している人たちにわずかでもいいから送れればなあと思っている。

子どもの絵に♥をつけ足してみる。ああ、いいなあ。やっぱり愛だ。むかし、「愛こそはすべて」という歌があったけど、ガザに愛を届けたい。https://sakabeko.base.shop/