水牛的読書日記 2025年1月

アサノタカオ

1月某日 新しい年を迎え、宮内勝典さんの長編小説『ぼくは始祖鳥になりたい』(集英社文庫)を読む。1998年の単行本刊行からずっと続けている年末年始の儀式で、今年が27回目となる。昨年は、三重・津のブックハウスひびうたで、宮内さんの旅と文学をめぐるお話をじっくりうかがう集いを主宰し、感無量だった。

1月某日 講師業の仕事始めで、東京へ。明星大学の授業「マイノリティの文化」でゲストスピーカーを務める。李良枝の小説「由熙」を中心に、少数派の作家による日本語文学の名作を紹介。いつか、李良枝の文学に挑む学生がひとりでも現れればうれしい。

夜は神保町に移動し、韓国書籍専門店チェッコリの書評クラブのメンバーと打ち上げ。チェッコリの佐々木静代さんとともにぼくが企画編集を担当し、昨年末に出版したZINE『次に読みたいK-BOOK![小説・エッセイ編]』のお祝い。メンバーのみなさんから、韓国ドラマやウェブトゥーンの最新情報を教えてもらった。

1月某日 東京・外苑前駅近くのNineGalleryで、渋谷敦志さんの写真展『能登を、結ぶ。』を鑑賞。地震発生から1年、渋谷さんが記録した半島の風景の中に立つ人々のまなざしを、目に焼き付けた。同題の写真集(ulus publishing)を入手し、帰りの電車のシートに腰を沈め、大判の本のページをひらく。

1月某日 植本一子さんのエッセイ集『それはただの偶然』を読む。出会いと別れ、人と人のあいだに揺らめく情感を深く見つめる植本さんの文章はいつもすばらしい。エッセイのことばも、あいだにはさまれる詩のことばもよかった。植本さんの人生に何か大変なことがあったようで、心配になる。

1月某日 学生時代を過ごした名古屋へ出張。10代後半から通い始めた書店、ちくさ正文館の不在をこの目で確かめてきた。工事中の敷地の仮囲いには、「マンション建設予定地」の看板が掲示されている。ちくさ正文館の入り口近くの小さなカウンターの中には、名物店長の古田一晴さんがいつもいた。書店も古田さんも、もうこの世にはいない。

ちくさ正文館の近くにあった中古盤専門店ピーカン・ファッヂもなくなり、お店が入っていたビルはタワマンに変わっていて驚いた。ピーカンの元オーナーである李銀子さん、張世一さんに会い、古田さんの思い出話も聞いた。李銀子さんは作家でもあり、『別冊中くらいの友だち 韓国の味』(クオン)にエッセイを寄せている。

夕暮れ時、東山公園駅前のブックショップON READING へ。お店の書棚で1冊のZINEに出会い、移動中に読み込んだ。COOKIEHEADさん(東京出身、2013年からニューヨーク在住)の『属性と集合体と、その記憶——アジア系アメリカとしてアジア系アメリカを考える』。全42ページの小著ながら、批評的エッセイの醍醐味を味わい、魂のこもった知性の言葉に読後の胸が熱くなった。

アメリカにおける原爆のこと、アジア系としての加害と被害をめぐる記憶のこと。「アジア系アメリカ」「+女性」という集合体の歴史的経験を先人の著作によりながら粘り強く読み解き、「植民地主義」という大きな問題を自分を抜きにしないで考え続ける姿勢に背筋が伸びた。あとがきとして書かれた、パレスチナ解放のマーチに行った日のエッセイは感動的な内容だ。

アジア系アメリカ文学に関心があるのでこのZINEを手に取ったのだったが、COOKIEHEADさんのことは、ZINEの著者プロフィールに記載されている情報——「ファッション業界で働くかたわら」「文章を綴る」、ということ以外はわからない。日本からアメリカへ移り住み、複眼的な視点から批評的エッセイを書く女性作家たち、たとえば「水牛」とも関わりの深い翻訳家の藤本和子さん、そしてライターの佐久間裕美子さんの系譜に連なる書き手だろうと直感。帰宅後にネットで検索したら、COOKIEHEADさんは佐久間さんと東京の書店で対談しているようだ。

1月某日 三重へ。伊勢参りをした後、外宮近くにある散策舎を訪問。日本一聖地に近い本屋さんではないだろうか。青緑の壁が美しい静かな店内で、主の加藤優さんからいろいろなお話を聞く。散策舎が発行する本、岡野裕行さん『ライブラリー・オブ・ザ・イヤー選考委員長の日記 二〇二二年』を購入。ライブラリー・オブ・ザ・イヤーは、「これからの図書館のあり方を示唆するような先進的な活動を行っている機関に対して、NPO法人知的資源イニシアティブが毎年授与する賞」とのこと。そのような賞があることを知らなかった。

1月某日 三重・津のHACCOA(HIBIUTA AND COMPANY COLLEGE OF ART)で講師を務める「ショートストーリーの講座」の最終回。原稿編集のポイントを解説し、これから受講生が小説やエッセイの課題を仕上げるのだが、作品が届くのが楽しみ。

講座後の夜、HACCOAの会場でもあるブックハウスひびうたで主宰する自主読書ゼミに参加。課題図書は、石牟礼道子『苦海浄土』(講談社文庫)の第3章「ゆき女きき書」。今回は特に、参加者から種々様々な意見が飛び出して、語り合いが大いに盛り上がった。『苦海浄土』が読書会向きだと気づいたのだが、それはこの本の中に複雑で豊かな声が折りたたまれているからだろう。読むことでひらかれる「引き出し」がたくさんある、ということだ。

今年からチェッコリ翻訳スクールで「翻訳者のための文章講座」もはじまり、翌朝にHACCOAの事務所を借りて第1回の授業をオンラインでおこなった。

1月某日 大阪で出版関係の打ち合わせを終えて帰宅すると、ヴェリミール・フレーブニコフ詩集『KA』(志倉隆子訳、阿吽塾)が届いていた。編集協力者で北海道・小樽在住の詩人の長屋のり子さんから。ロシア未来派の詩人による実験的な叙事詩で、ロシア文学者の亀山郁夫さんらが解説を書いている。亀山さんの名著『甦るフレーブニコフ』(平凡社ライブラリー)と合わせて、じっくり読みたい。

1月某日 サウダージ・ブックス代表で妻のKが、整体の先生からすすめられて読んでよかったという本を見せてくれる。演出家の竹内敏晴の評論『ことばが劈かれるとき』で、Kが手にしているのは思想の科学社版の単行本だった。なつかしい、なつかしい愛読書。竹内先生は晩年名古屋に住んでいて、ぼくが通う大学でときおり講演を行うことがあった。遠くから仰ぎ見る存在だったが、学生時代に『ことばが劈かれるとき』を読んで深い感銘を受け(ちくさ正文館で買ったのだと思う)、以来先生に私淑したのだった。この本は、いまはちくま文庫から復刊されている。

1月某日 今枝孝之さんが発行する海の文芸誌『SLOW WAVES issue04』(なみうちぎわパブリッシング)を読み始める。特集「日記の中の海」に、「海の子どもたち」と題してエッセイを寄稿したのだった。クボタノブエさんの色鮮やかな表紙イラストで飾られた、愛らしい一冊。

巻頭に掲載された詩人・犬飼愛生さんの作品「柔らかな砂」がとてもいい。ポケットに入れて人生のお守りとして持ち歩きたい、詩のことばだ。