仙台ネイティブのつぶやき(105)大回顧展とお葬式

西大立目祥子

先月書いたとおり、叔母の展覧会「私が愛した野草園─高橋都作品展」が3月20日に始まった。企画運営は、私と従兄弟のカズとその妻、ヒロコさんの3人。3人そろってわからないことだらけだったが、50点ほどの作品をどう並べるか、旧知の早坂貞彦先生に相談しながら何とか設営までこぎつけた。先生にいわれたとおり10分の1縮尺で壁面構成を考えてはいたが、やはり最後は現場判断になった。「黒い作品が2つ並ぶのよくないな」とか「最後のテーマのところの作品群の数が足りないから、あの壁から2点こっちに持ってきて」とか。先生のつぶやきと指示を聞きながら、そうか、つまりこれは壁面の編集なんだと思い至った。

脚立に乗って絵を吊るしたり掛けたりしている設営の最中に年配の女性が一人、あのぉと遠慮がちに入ってきた。「これ都先生の作品展ですよね、拝見していいですか」。叔母は宮城県古川女子高の家庭科教員を35年勤めており、学校では生徒からも同僚からも「都先生」と呼ばれていた。女性は絵を眺めるなり「都先生…」とつぶやき目頭を押さえた。手を休めて応対したこちらも一瞬しゅんとなる。亡くなったのを知らずにいて作品展のことを知り、はやる気持ちで会期を間違えやってきたらしい。「友人誘ってまたきます」と女性は帰っていった。

夕方まで奮闘して、あらかたの絵と手織りのタペストリーを掛け終えたところで、今度は展示室と隣り合うカフェのスタッフが3人、見させてもらえますかとやってきた。「高橋のおばあちゃんは、なんだか疲れてきたなぁと思っていると、現れて元気をくれるんです」「私は、高橋のおばあちゃんからいただいた草木染めのハンカチ大事にしてますよ」。この植物園の中で叔母は「高橋のおばあちゃん」で通っていたことを知った。誰もが親しみを持ってつきあってくれていたことも。

私にとってはどこまでも「都おばちゃん」であり続けたわけだが、現役時代の呼び名に加え、晩年はもう一つの名前で生きていたなんて、いかにもあれやこれや動き回っていた叔母らしい。正真正銘のおばあちゃんとして親しまれ、温かく迎えてもらいながらみんなに話しかけ、家族にも友人にも見せない顔で過ごしていたのだろうか。

展示したのは額装した絵が50点くらい、スケッチブックが20冊近く、手織りのタペストリーが20点ほど、手織りの布で仕立てたジャケットやベストが7、8着、そのほか90歳近くから始めた俳句コーナーまでつくった。絵は水彩画がほとんどだが、写実的なスケッチから抽象画、心象画風、フォークアート風…あまりに作風が異なるので、同じ人が制作したと思わないのだろう。「なぜ製作者の名前を出さないんですか」と聞いてくる人がいた。

来場者には芳名帳に名前を書いてもらい「高橋都とのご関係は?」とたずねてみる。「古女の教え子です」というグループがいたかと思うと、友人に誘われてやってきて「わ、びっくり!都先生が担任でした!」と話す人もいる。ゆかりの人たちはもちろん熱心に時間をかけて見てくださるのだが、中には野草園の散策が目的で訪れ偶然目にして入ってくる人もいる。そういう人たちがさ—っと流し見かと思うと決してそうではない。ゆっくりと見て、文章もていねいに読んで「画材は何ですか?」と聞いてきたり、プロフィール紹介のところに「15歳で仙台空襲を体験」と書いたあるのに反応してか、「私は8歳で仙台空襲だったの、東一番丁に家があってね」と話しかけてくる人もいた。年配の人は、高齢で絵を始め晩年を通し描き続けたことに自分を重ね見ているようだ。最後には「いいものを見れました。本当にありがとう」「元気をもらいました」「力をもらいました」と、ひと言残して帰られる。中には涙ぐんでいる人もいた。

早坂先生に伝えると、「泣ける絵なんて、そうあるもんじゃないぞ」という。確かにそうだ。アートの力といったらいいのか、不思議さというのか、私は絵の持つエネルギーに打たれた思いがしていた。まったくの素人、おばあさんになってから楽しみで描いた絵が、こんなにも人の気持ちを動かすなんて。エネルギーを与えるなんて。

叔母が額装を依頼していた画材屋さんのご夫婦がやってきて、「都さんの絵はね…」と話し始める。「自分が感じるまま、描きたいものを集中力を持ってまっすぐ表現するんですよね。そこがすばらしい。中にはね賞を取りたいから、先生にいわれるままに描くなんていう人もいるわけで…」。確かに、うまく描こうとか、評価されたいとか、そういうものが叔母の絵には一切ない。ピュア、思いのまま…それが人の気持ちに訴えかけるのだろう。

加えて、人をそそのかすところもあるようだ。「自分も絵描いてみようかと思います」とひと言受付に残して帰った人がいた。何を隠そう、私自身、小さいスケッチブックを持ってスケッチに行こうか、と思い始めている。さすが、都先生、生徒を誘導するのがうまい。

古川女子高の卒業生はもちろん、お世話になったデイサービスの人や、入所していた施設のスタッフの人までが絵を見にやってきた。こうなると、最初で最後の大回顧展であり、同時にお葬式なのかなとも思えてくる。叔母の全貌がつまびらかにされ、つきあいのあった人たちがつぎつぎ集まってきては思い出話を披露してくださるのだもの。

展示は作品内容に合わせ「木」「山」花」「日の出」「地球さん」「布と糸」というテーマを立て、叔母が発するようなことばをたぐりよせ短い文章を書いてみた。来場者が絵をながめながらぱっと読める平明なもの。

「木/いつからそこに立っているの?/いつからそこにいるの?/動かず突っ立っているのに/枝先はいつも空へ空へ近づいていこうとしてる/夏は緑の葉をいっぱいにつけて木陰をつくり/秋ははらはら葉を落として、やわらかな陽射しをくれる/幹のこぶは、つらかったとの我慢のあと?/根は見えないところで/砂利も石も太古の土も握りしめて深く大きく太る/頑として動かないぞ、という意思を秘めて/おねがい/私が消えたあとも、そこにいて」

「日の出/もうずいぶん生きてきたの/からだも気持ちもくたびれているの/でもね、朝の光が部屋の中に満ちるとき/気持ちの隅っこまで照らすように、陽射しは入り込む/ああ、今日一日生きられそう/ほら、山も暗い夜をくぐり抜けて/青い空に染め抜かれ、緑色になってきた/食べて、話して、描いて/私の一日/私の自由」

こんな作業をしているうち、私の中には叔母が小さくなって棲みついたような気さえする。「私が愛した野草園─高橋都作品展」は仙台市野草園野草館で4月4日まで(9:00〜16:45・最終日は15:00まで)。仙台のみなさま、あと4日ですよ、ぜひご覧ください。