停車して六時間余を、人いきれ
窓外、ただに広島の原(はら)
ひろしまを見しは― 昭和二十年
十月、日なか、眼のわが記憶
広島の黒々 われや― 記憶する
奥こそ― たどれ。蘇り来る
車中より 三歳のわがおちんちん
おしっこが濡らす。ひろしまに向きて
(2011・8・15)
(山口県のいなかの法事に長男の私を向かわせるとて、かすかなる記憶のなかの祖母が、満員の下り列車に乗り込み、奈良からどうやって連れていったのだろう。広島まで来て六時間余、停車してしまう。「おぼえておきなさい。これが広島よ」と、祖母は私のおでこを窓ガラスにごつんごつんとぶつけて、その痛覚がいまの私にのこる。そのごつんごつんがなかったら忘れてしまったろう。進行右手の車窓から焼けた柱や異様な街筋、黒く爛れた山肌の裏がわは緑色で、原爆の光線が焼いたのである。窓枠を濡らしながら車中からおしっこを飛ばしたことも記憶する。四首は二〇一一年三月一一日、大震災から短時日に書き記した連歌、『東歌(あずまうた)篇―異なる声(独吟千句)』〈反抗社出版〉のコピー版より。)