僕はあんたと仕事帰りに何度か飲みに行くようになった。会社の愚痴や東京での暮らし、たまには学生時代の話もした。けど、あんたの口から出てくる昔話は、なんや薄うて誰かから聞いた話を間違えんように注意深く話してるみたいに聞こえた。飲みに行くたびに、あんたが話してええことと話さんようにしてることの色分けが、きちんとされてることに気が付いた。あんたはあの日の文化祭のことが話題になると、うまいこと逃げたなあ。
あれは、僕らが再会して半年ほど経ったころやったかなあ。仕事帰りに呑もか、いうて珍しくあんたの方から電話をもろたんや。神田の小さな焼き鳥屋で、僕は最初っからあの文化祭の話をした。いつものように、あんたはうまいこと、他の話題に変えようとしてたけど、僕が今日はその話をするで、という顔になってたんやろな。あんたは途中で諦めた。
「お前、ほんまにあの文化祭の話好きやなあ」
そういうて笑ろた。その笑い顔は、諦め半分、恥ずかしさ半分みたいな顔やった。よっしゃ、と思て、僕はあの奇妙なコンテンポラリー演劇のことを冗談まじりに聞いたんや。
「あんた、あのとき、クラスの全員に『黒レオタード着ろ』って言うたんやで」
あんたは焼き鳥をつまみながら、ちょっと笑って、「そうやったかな」と言うた。
「なんや、オレ、変なこと言うてたな」
あんたはそう言いながら笑てたけど、一瞬ほんまにそんなことがあったかどうか、わからんような顔してたな。
しばらくして、あんたは、
「正直、あの頃のことって、よう思い出されへんねん」
僕は一瞬、冗談かと思たけど、あんたの声がほんまに得体の知れんもんのように、ふんわり僕の耳に届いて、その気色の悪さになんや身震いしてしもたんや。
「なあ、あのとき…オレ、何人くらいに話しかけてたと思う?」
「何人って…クラス全員やろ?」
「うん、けどな、あの教室って、三十人くらいやったやろ。でも、いま思い出すと、もっとぎょうさんおったような気がするんよ。三十人やなくて、四十人とか、五十人とか」
「そんなわけないやろ」
僕が笑うと、あんたも笑った。
けど、ちょっとだけうつむいたまま、あんたの目だけは笑てへんかった。
「なんやろ。誰かわからんような顔が、いっぱいいた気がするねん。真っ黒な顔。目ぇだけ光ってるやつとか」
「なにそれ、夢でも見たんちゃうか」
僕は軽く流すように言うたけど、あんたの目はそれでもどこか遠くを見ていた。
しばらくして、あんたは、
「正直、あの頃のことって、よう思い出されへんねん」
と、ちょっと前に言うた言葉をもう一回言うた。なんや僕はえらい怖なって、それまで飲んでた酒の酔いが全部飛んだみたいやった。
「なんでかな」
あんたは真っ直ぐ僕の目を見て言うた。その目の奥に何かが沈んでるように見えた。
「…記憶って、勝手に増えることもあるんかなあ」
あんたはぽつりと呟いた。
僕はなんと答えたらええのかわからず、自分のグラスに目を落としたままやった。
店を出て、駅までの帰り道を僕らはいつものように並んで歩いた。すれ違う人たちの顔が、みんなどこか見覚えあるように見えて、僕はなんとなく後ろを何度も振り返ってしもた。
(つづく)