製本かい摘みましては(194)

四釜裕子

前回ミシンを棚から出したのは世の中からマスクが消えた時だから5年前になる。買い置きがまだあったけれども、念の為に作っておこうと近くのユザワヤに材料を探しに行ったら特製のマスクキットが並んでいた。手芸店で人気というニュースは聞いていて、お店の人が作り方の説明に追われていた。中身を見ると、ガーゼっぽい生地(ダブル幅1メートル)とゴム紐(3メートル×2)と作り方のコピーが1枚。店の在庫からマスクに使えそうな生地とゴム紐を集めて苦心してセットしたのかもしれない。試しに1つ求めて後日ミシンに向かったのだけれど、ガーゼ状の生地では用をなさないという話をちょうど聞くようになり、結局このときは作らなかった。

その後ミシンの出番がなかったのは、その重さによるところが大きい。6~7kgくらいだと思うのだが、棚の奥から引き出してテーブルにセットして使い終わったらまた元に戻すのが億劫になり、一昨年はついに既製品のカーテンを買ってしまった。ミシンと手縫いを単純に比べたら手縫いのほうが好きなので、雑巾とか小物のたぐいは手縫いで十分。でもハードな生地のサポーターを細工して丈夫に仕上げようとしたらさすがに無理で、久々にミシンを出したという次第。ところがなんとプーリー(はずみ車)が回らない。背面の蓋を外して中をのぞくと複数箇所でグリスが濁り固まっていた。いろいろ調べてみた結果、症状は結構重症だとわかり、昨今のミシン事情をにわかに知って新しいのがほしくもなり、修理は諦めて買い換えることにした。

このミシン(シンガーのMERRITT SR-5B)は、1980年代の後半に月7~8千円で1年払いの月賦で買ったのだと思う。ひとりで暮らすのに自分的にはどうしても欲しくて、遠藤書店もあった経堂のすずらん通りからちょっと入った街路樹という喫茶店でのバイトが決まってすぐに契約したのだった。渋谷駅前の地下の旭屋書店でソーイング系の雑誌を立ち読んで、すぐ近くのマルナンや新宿オカダヤで生地を買い、ひたすら我流で服を作った。端切れでカーテンもカバーも作った。当時作ったものは何も残ってないけれど、型紙をまとめたファイルはまだどこかにあるかもしれない。この頃もミシンは使うたびに棚の奥から出し入れしていた。でも重たいとか面倒とか、そういうたぐいの記憶は一切ない。

いざ買い換えの機種を決めようとしたらその数にうんざりした。多すぎでしょう。最低限の条件でふるいにかけると、ミシンに対して自分がイメージする「小さくて軽い」と世間的な「小さくて軽い」の齟齬があらわになった。世間は「○kg未満、○cm未満ではカーテンなどの大きいものは無理」とぶった斬るけれども、だいたいそのサイズのMERRITT SR-5Bでこちらはなんでも縫ってきた。余計なお世話だと独りごちつつ一応実物を見ておこうかなと家電量販店を回ると、量販店におけるミシンの扱いは超小さく、しかも限られた機種がどの店にも並んでおり、眺めているとお店の人が、”初心者向けです”とか”お手軽です”とか勧めてくるから、初心者じゃネーよ。って言いたくなるわけ。目指す機種には当たらなかったが重さと大きさの見当はついたので、小さくて軽いやつに確信を持って決めることができた。

注文すると翌日届いた。時間をぬって量販店を回ったこの2週間に対して早すぎる。情緒がないよね。とか言って開封して早速糸をかけてみる。手順はこれまでのものと同じだが、そのパーツはことごとく露出が避けられ、上糸台や針を上下させるバー、水平釜の蓋やボビンケースもみなプラスチックだ。軽やかでフラットで、そのスマートさにこちらの手がすくむ。改めてMERRITT SR-5Bを出して並べて見ると、古いのは機関車、新しいのはステンレス車両だね、という感じがしたが、今思えば足踏みミシンが機関車で、電動ミシンは汽車といったところだろう。数日後、粗大ゴミの日に400円分のシールを貼ってMERRITT SR-5Bを出した。すると収集時間にピンポーン、「ミシンが出ていませんが」。金属ものは時々こうして持ち去られてしまう。だから時間ぎりぎりに出したんだけどな。MERRITT SR-5Bにごめんねを言う。何気なく抜いておいたボビン2つとボビンケースが形見みたいになった。

実家にはシンガーの足踏みミシンもあったがすでに「台」になっていて、それでも何度か動かしてもらったことがある。ミシン自体のカタカタはもちろんのこと、本体をちょっと奥に持ち上げてから蓋を開けて中に収納して延長台を折り被せるしくみとか、ボビンケースにまとわりつくほこり(+ちょっと油)とか、引き出しの中の残り糸とか折れた針とか、コブラン織(?)のミシンカバーとか、なにもかも憧れだった。いつか私が引き取るから捨てないでねとお願いして家を出たけど、気づかぬうちにあっさり処分された。電動ミシンはブラザーだった。あるとき買い替えた洗濯機がブラザーで、それが子ども心に嫌だった。ミシンを作る会社が作る洗濯機というのは信用ならないと思った。

念の為調べてみると、ブラザー社の前身は1908年に名古屋で開業したミシンの修理と部品製造会社で、28年に麦わら帽子用のミシンの生産開始、以降、32年に家庭用本縫いミシン、54年に攪拌式電気洗濯機、55年に扇風機、57年に冷蔵庫とオートバイ、61年にタイプライターという順に広げてきたようだ。『ミシンと日本の近代 消費者の創出』(アンドルー・ゴードン著 大島かおり訳 みすず書房 2013)には、日本におけるシンガーミシンと、ブラザーなど国産メーカーの販売方法についての変遷も詳しい。国産メーカーはシンガーに割賦販売の基本をならいつつ、1950年代には飛び込みセールスから街頭での実演展示販売方式へとシフトしたようだ。若き日の私の両親もどこかの広場でブラザーのセールスマンの実演を見て、ミシンを買い、洗濯機もうまいこと勧められたのかもしれない。

実演販売といえば、映画『テーラー 人生の仕立て屋』(2021 舞台はギリシャ)は父親から仕立て屋を継いだニコスが新たに始めた移動式テーラーが舞台だ。ガラクタを集めて作った屋台に生地を積み込み自ら引いて、古本や果物が並ぶ市場に出向いて真顔で男性用スーツの注文を待つがうまくはいかない。女性用のドレスを作るにあたり力になってくれたのは隣家の母娘。客の求めに応じてウェディングドレスを作るようになり、シンガーミシンを積むようになった屋台を引くのはスズキGSX400になり、全体がバンになり、隣家の女性のものと思われるミシンも積むようになるがやがて元のミシンに戻り、老いた父に初めて仕事を認められると、ニコスは最低限の道具を車に積み込みひとり父の店を出る。車には自分の名を冠した店名を入れて、窓からはみ出した白のチュールが風になびいて、まっすぐな道はニコスがニコスと歩く”バージンロード”のようである。

ところでミシンは本も作れる。最後にその実例を1つあげよう。1974年刊行の『様』第1号(発行:芸術一番館 限定50部)は、B4サイズ1枚ずつに藤富保男、奥成達、岡崎英生、三上寛各氏がしたためた自筆原稿などのコピーを、発行元の「TBデザイン研究所内、一番奥の机」の主、山口謙二郎氏がその右端をミシンで縫ったと聞いている。縫ったあとにまとめて縦3分の1に折られ表紙に「様」とだけ書いてあるので、初めて見たとき、空いたところに贈る相手の名前を書き入れて渡したのだと早合点した。タイトルは「芸術一番館」だと思い込み、本当は「様」がタイトルだと知ったのはだいぶ後のことである。もしもこの冊子のタイトルを「芸術一番館」とするものがありましたならそれは恐らく私の間違った記述をコピペしており、その方は実物を見ていないと思われます。すみません。