「文明の思考」のダムと蟋蟀

イリナ・グリゴレ

祖母の夢を見た。彼女の家は、亡くなった当時と変わらぬ佇まいだった。だが、外に出ると、そこは高層ビルに囲まれたコンクリートの世界。庭も木もなく、ただ灰色の塊が広がる。暗い。まるで祖母の家がそのまま東京の中心にぽつんと置かれ、私が祖父母とひっそり暮らしているかのようだった。いつかブカレストも開発に飲み込まれ、わずか30キロしか離れていないあの家も消えるのだろうか。東京やイスタンブールのように。目が覚めたとき、その息苦しさが嫌だった。ビルの隙間から空さえ見えない。それなのに、次の瞬間、「また東京に住みたい」と強く思った。近いうちに東京へ引っ越す。死と苦しみと踊り、失った者を胸にしまい、人生をやり直す。出口を探すのではなく、あの家の入り口を自分の中で大きく開く。私はきっと、留まることのない人間なのだろう。

『この村にとどまる』を読んでから、ずっと心に引っかかっていたものを手放せた。10年間私を苦しめた人との縁を切った。豚の内臓をハサミで切り裂き、糞尿が流れ出すようなイメージを、頭の中で何度も繰り返した。血は出ない。ただ、溜まった廃棄物だけ。あの人は私にとって、死んだ豚と同じだ。だが、その肉は食べない。病んだ豚の肉は誰も食べず、捨てるだけ。野良犬が食い、虫が食う。食べられない肉を憎むことすら、もうできない。ただ、歴史の暴力の一部として記憶に残る。『この村にとどまる』が描くように、人間は無駄なダムを築き、人を殺し、「進歩のため」と言いながらエネルギーのために暮らしを壊し、独裁者を生む。この仕組みをもっと深く考えたい。人間社会が独裁者を生む仕組みを。それは例外ではなく、身近なことだ。家父長制の極端な形にすぎない。

縁を切って、すっきりした。10年間、我慢し続けた。まるで憑き物が落ちたように、体が軽くなり、肌がつるつるになった。娘たちと、ルーマニアから一時来日していた母と過ごした3ヶ月は、幸せであっという間だった。よく笑い、よく食べ、映画を見た。青森市のペットショップの近くの映画館で。あのペットショップから同じ日に3メートルあまりの蛇が逃げた。母は祖母と最も長い時間を過ごした人だから、知らなかった祖母のエピソードを聞き、ますます愛が深まった。ある朝、母とコーヒーを飲みながら夢を語っていると、祖母もそこにいる気がした。母がお土産を買うたび、「おばあちゃんにこれどう?」と言いそうになることが何度もあった。研究で死について考え続けた私が、ようやく大事な答えを見つけた。

娘たちはピジンルーマニア語を話し、飼い犬のキャラメルはルーマニア語の指示に普通に反応する。母とコミュニケーションが取れない者など、この家にはいない。この世界は私が思うほど複雑ではない。分かち合い、理解し合うことは普通にできる。ただ、怖いだけ。臆病なだけだ。母は娘たちにルーマニア語の祈りを教え、毎晩、可愛い声が家中に響くたび、これからまだ楽しいことがたくさんあると信じられる。母は祖母と同じように、食べた果物や野菜の種を植える。知らぬ間に小さなスイカやパプリカの花、朝顔、ハーブが育ち、家は前より鮮やかになった。ラズベリーは、ある日突然、赤い実が爆発するように実り、終わりがない。今の私の脳と細胞は、ラズベリーでできている。

ある日、家に大きなメスの蟋蟀が現れた。窓を開け、ラズベリーの茂みへ放した。家の周りでは、蟋蟀の求愛の鳴き声が響く。あの大きなメスは、この蟋蟀たちの母だったのだろうか?

青森市の蛇がペットショップに戻ったころに、母が帰国し、しばらく気だるかった。この10年間、よく我慢した。一人で全てを背負えないし、これからもそうしようとは思わない。祖母も、母も、私も、蟋蟀の母も、同じ場所にいなくても、土の中の卵のように、この地球に分子として存在する。日本にいる間、母の幼馴染が亡くなり、叔母の初恋の人が自殺したと知った。母からあの村の知らなかった話を聞いたが、私にとってあの村はダムの下に沈んだと。母も父もあの村を離れるべきではなかった。私も日本の大学院に進まず、祖母の家に帰るべきだった。あのジプシーの男と結婚すればよかった。野生の思考の反対とは、なんだろう?「文明のしっこ」?