いらち

篠原恒木

どうやらおれは「せっかち」、関西弁で言うと「いらち」らしい。「ふらち」と言われたことはないので、まだマシかとは思うが、ヒトから見ると、おれはとにかくせかせかして落ち着きがないとのことだ。そうかもしれない。その自覚もじゅうぶんにある。

仕事には締め切りがある。だが、おれはその締め切りの数日前には入稿を終えていた。締め切りギリギリ、あるいは締め切り日を過ぎて印刷所に原稿を送っている奴の気が知れなかった。
「印刷所もサバを読んでいるから大丈夫ですよ」
とみんなはホザくが、おれは嫌だ。早め早めに進行して、必ず入稿締め切りは守りたい。
ところが印刷所がグズグズしていて、ゲラがなかなか出てこない。あんなに早めに入稿したのに、この仕打ちは理不尽ではないか。おれは一人でイライラしていた。

ヒトと待ち合わせをするときも、大抵は十五分ほど早めに着いてしまう。相手はなかなか来ない。当たり前だが結局は十五分待つことになる。おれは一人でイライラしている。
しかしそんなおれでも、さまざまな事情で定刻を二、三分過ぎて到着することがある。つまりは遅刻だ。このようなときは待ち合わせ場所に向かっているときも気が気ではない。
「電車よ、もっとスピードを上げなさい」
と、車内で足踏みをしている。駅に着いたら猛ダッシュだ。そんな努力の甲斐もなく二、三分遅刻すると、犯罪者のような気分になる。おれは額に汗を浮かべながら、待ち合わせた相手に土下座級の謝罪を繰り返す。

「後日、結論を出します」
と言われると、イラッとしていた。なぜこんな簡単なことをいま決められないのだろう。どうせひと晩寝かせたところで、おまえは一歩カイシャを出れば結論を出すための検討などすっかり忘れて、家に帰っておじや食って、すかしっ屁して寝るだけだろう。いま決めろよ、いますぐこの場で決めろ、おとなしく言っているうちに決めろ、と思ってしまう。
外部のヒトと打ち合わせをしていて、相手が、
「いったんお預かりして、社に戻って検討させていただいてからお返事させていただきます」
などと言うと、おれはすかさず応える。
「あー、すみません。ウチはテイク・アウトやってないんで」
おれは一人でイライラしていた。

「たまにはのんびりと温泉に行きたい」
かつてはそう考えたこともあるのだが、温泉地へ行って風呂に浸かっても、入るや否や早口で一から百まで数えて、そそくさと湯船から出てしまうオノレに気付いた。つまらん。実につまらん。のんびりなんてとてもできない。おれは一人でイライラしている。

展覧会へ行っても、ひとつひとつの作品をじっくり鑑賞することはない。「お、これは」とピンときたものをところどころで数十秒観て、あとはヒョイヒョイとチラ見しながらすぐ出てきてしまう。「大回顧展」などと言われても、実際はそんなものではないだろうか。小一時間もあればじゅうぶんだ。
それで思い出した。かつて「春画展」というものに行ったときには参った。気になった絵の前で立ち止まり、しばし鑑賞していると、おれのすぐ後ろにおじいさんがピッタリとつき、
「おお、おお」
と言いながら、荒い鼻息をおれの首筋にかけてくるではないか。おじいさんよ、そのトシで安易にコーフンしてはいけない。心筋梗塞で倒れるぞ。おれは一目散に退散して、おじいさんの様子を遠くから窺ったが、ずっとその絵の前で立ち尽くしていた。おそらく閉館時刻まであのままの状態でいたのではないだろうか。

映画館も許せない。定刻通りに席についても、延々と「マナーのご注意」やら数本の「近日公開の予告」やら「映画泥棒」やらに付き合わされて、お目当ての本編がなかなか始まらないではないか。おれは一人でイライラしている。

好きな落語家の独演会に行ってもそうだ。開口一番を務めるかたには申し訳ないが、
「おれが代わりに演ってやろうか」
と思ってしまうような腕前の前座が延々と噺を続けると、おれは一人でイライラしている。『饅頭怖い』なんてその気になれば一分もあれば演れるはずだ。

朝のテレビのニュース・ワイド・ショーもよくない。番組が始まったらすぐにその日のトップ・ニュースを報じればいいのに、
「まずは動物園で先週産まれた虎の赤ちゃんをご紹介します」
などと言って、どうでもいい映像を見せられた挙句、メインの司会者がゲスト・コメンテーターに話を振る。
「可愛いですねぇ。どうですか」
「可愛いですねぇ」
アホか。もう出かけなければいけない時刻だ。おれは一人でイライラしている。

懐石料理も苦手だ。ゆっくりゆっくりと一品ずつ小出しにするのがどうにも馴染めない。「いっぺんに持ってこい」と叫びたくなる。「鱧の湯引き・梅肉ソースを添えて」などと言って、お猪口のような小さな器に二切れ、三切れで出されると、おれはパクリとひと口で食べてしまう。ふと正面を見ると、連れの酒呑みはただでさえ小さい鱧を箸で二つに分けて、もったいなさそうに口に入れ、酒をチビリチビリと飲んでいる。おれは一人でイライラしている。

ゴルフも嫌だねぇ。あんなものは地面にあるタマを打てばいいだけの話だと思うのだが、同伴競技者のプレーが遅いと最悪だ。おれは素振りもせずにすぐショットする。あっという間だ。ところが同伴者はボールのそばで何回も素振りをして、ボールの後ろに回って打つ方向を確認し、アドレスに入ってからもワッグルを繰り返す。ようやく打つかと思えば、風が吹いてきたらしく、いったんアドレスをほどいて、ちょっとむしった草を宙に飛ばしたりなんかして風向きを再確認し、また素振りをしている。おれは毒づく。
「おまえはプロか」
ところがそんなに時間をかけて打ったボールは「チョロ」だったりするのだ。ボールはゴロで数ヤード先にしか移動していない。むなしい。どうせミス・ショットするのなら、さっさと打てばいいのに。大抵の努力は報われないのだ。
やっとグリーンに辿り着けば、今度はパットをキメようとしゃがんで芝目を丹念に読んでいる。カップの向こう側にまで行って、グリーンの傾斜を観察する。念のために断わっておくが、一打一万円の賭けゴルフをしているわけではない。
「そんなことしたって入るわけないだろ」
またもやおれは毒づくが、案の定、奴がさんざん時間をかけて打ったパットはアサッテの方向に転がっている。おれは一人でイライラしている。

麻雀も然り。長考してなかなか牌を切らない奴が上家に座っているとイライラする。おれはたまらず口に出して言う。
「早く切れよ」
「ごめん、ちょっと待って」
「将棋じゃねぇんだぞ」
「悩みどころなんだ」
そう言って、テキはなかなか切らない。切らないことにはおれがツモれない。おれが次にツモる牌は伏せられているわけだが、奴が時間をかけている間におれのツモる牌が変わってしまうような気分になってくる。
「オマエさぁ、次に何を切るかくらい一巡している間に考えておけよ」
おれはたまらずそう言う。
「難しいところなんだ」
「アタマが悪いだけだろうが」
そして喧嘩になる。おれは至極真っ当なコトを言っているだけなのになぁ。

一時間も二時間も行列してラーメンを食う奴の了見を疑う。ラーメンは大好物だが、並ぶのはまっぴらごめんである。

それで思い出した。先日、西銀座を歩いていたら「宝くじチャンスセンター」に長蛇の列が出来ていた。年末ジャンボで当選金は最大十億円らしい。1番売場は二百メートル以上の行列だ。「億の細道」と呼ばれているらしい。うまいね、どうも。窓口に到達するまで三時間ほどはかかるのではないか。当たるかどうか分からないのに、いや、ほとんどのヒトはあえなくハズレるのに、よく三時間も並べるなぁと思う。おれには無理だ。
いや、「三時間並べば確実に十億円当たります」であれば話は別だ。丸三日でも並ぶぞ。ブレてるなぁ。情けないなぁ。

死ぬときもすぐ死にたい。さっさと死にたい。あっという間に死にたい。長患いはイヤだ。死んだあとも通夜だの葬式だのは勘弁してほしい。さっさと焼いてほしい。おれはツマに言った。
「延命治療は拒否してくれ。通夜も葬式もしなくていい」
「当たり前でしょ。アンタごときに延命治療は必要ないし、通夜、葬儀をしたって誰も来ないもん」

おれはイライラというよりはイラッとしたので、さっさとこの原稿を終わりにする。