教育は、生まれた子を、天分がそこなわれないように育て上げるのが限度であって、それ以上によくすることはできない。これに反して、悪くするほうならいくらでもできる。だから教育は恐ろしいのである。 岡潔
(岡潔『岡潔 数学を志す人に』平凡社)
岡潔は数学者。「馬を水辺につれて行くことはできても、水を飲ませることはできない」ということわざを思い出した。これはもとイギリスのことわざで、”You can lead a horse to water but you can’t make him drink.” つまり、「自分でやる気のない人はどんなに指導しようとしてもだめだ」というような意味。もうひとつ同じようなことわざもある。”Well’ said she, ‘one man can take a horse to water but a thousand can’t make him drink.” 「そう」彼女は言った。「人が馬を水のところに連れていくことはできる。しかし千回試みても馬に水を飲ませることはできない」(ウイリアム・E. ダイン 工藤恵子『なるほど英語のことわざ事典』PHP)。
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人を殺さない想像力が、教育の中心におかれるようにしたい。そこから、つねにあたらしく考えはじめたい。 鶴見俊輔
(鶴見俊輔・高橋幸子『教育で想像力を殺すな』明治図書)
鶴見俊輔は哲学者。上の文章をより短くいえば「教育で人を殺すな」ということだろう。社会のすみずみまで学校や塾がゆきわたった現在でも、いまだに学校で子どもが傷つけられたり、殺されたりという事件が頻発している。ほとんどの動物は同種のあいだでは殺し合うことは稀である。人間だけが殺し合う、それも無差別に多くの人を殺すこともある。人間はもっとただの生き物としての人生について考えなおす必要があるのではないか?
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心理学の本を読んでいたら、生後三〜四ヵ月のころには、どんな人を見ても、どんな人に抱かれてもニコニコする、そういう時期があるのだそうだ。その時期のことを「無差別微笑期」と呼ぶとあった。思わず線を引いた。「無差別微笑期」かあ、いい言葉だなあ。 徳永進
(徳永進『野の花診療所前』講談社)
徳永進は医師。大きな病院で勤務後、がんにかぎらず、死と向き合う人のためにちいさな診療所(野の花診療所)を開く。そこには「できる限りの、生の希望の可能性を追うことと、人生を振り返り懐かしむことの、両方を成り立たせたい」という願いがあった。患者が「ドギ(魚)が食べたい」と言えば、自らその魚を探し歩くような人。また、若いころからハンセン病の人たちから聞き書きを採るなど、たくさんの著作がある。
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孤独は、深い喜びに満ちあふれたものでありえますし、いのちと暖みにふれて躍動しうるものだからです。希望を失い、孤立しているときよりは、むしろ、求めてひとりでいるときにこそ、人間は生きとし生けるものとより深い一体感をもつことができるのです。 エリーズ・ボールディング 松岡享子訳 エリーズ・ボールディング
(エリーズ・ボールディング著 松岡享子訳『子どもが孤独でいる時間』こぐま社)
『子どもが孤独でいる時間』の原題は”Children and Solitude”。エリーズ・ボールディングは社会学者であり、5人の子の母であり、クェーカー教徒。クェーカーはキリスト教の一宗派。クェーカー(「震える人」の意)は、この宗派の人々が神の霊を感じて打ち震えたところからつけられた呼び名。正式の名はフレンズ(Friends)といい、日本でも活動している。
松岡享子は元東京子ども図書館理事長。学生の頃にクェーカーが主催するワークキャンプに参加、その後、アメリカ留学時に一度だけエリーズ・ボールディングに会い、その後、”Children and Solitude”を手にした。この本は「子どもにとっても、生活のどこかに「孤独でいる時間」をもつことが必要だ」と繰り返し説いている。