目が覚めて、目が覚めたことに気づき、横になった姿勢のまま、意識が次第にはっきりしてきて、数秒後には自分がいまどこにいるのかを把握する、それとほぼ同じ瞬間に、涙が顔をつたい、のどが引きつって、嗚咽がはじまる。体を起こすと、低い唸り声が絞り出され、吠えるような泣き方になっていく。出かけているあいだはなんとか押しとどめるのだが、そうでない場合は文字どおり一日中、号泣と嗚咽を繰り返しながら泣きつづけ、涙を流し息を詰まらせた状態で床に就く。翌朝には、また目覚めとともに涙がこぼれる。そういう時期があった。
それがどのくらいつづいたのか、当時の手帳を見返せば手がかりが得られるかもしれないけれど、そのころにまつわる情報を目にすると具合が悪くなるので、確認できない。たしか、一週間を過ぎても泣きやまないので、二週目に入ったあたりで診察を受け、適応障害による抑鬱症状との診断をくだされて、薬を飲むようになり、とはいえ最初に出された薬はあまりに眠くなるため、連続して使うことはなく、まだしばらくのあいだは、つねに多少とも泣いていた。声帯が震えると、その刺激で涙が湧くので、ささやくような小声で話した。
幼いころから涙もろいほうではあったけれど、この止まらない涙は、泣いてもまったく気持ちに変化が生じない点において、それまでに流してきた涙とは決定的に違っていた。
それまで、わたしにとっての涙は、つらいこと、悔しいことが胸に溜まっていき、限界に達したときに、堰を切るように体外へあふれる、そういった性質のものだった。泣いているあいだは、苦しいけれど、同時に大量のエネルギーを勢いよく放出することによる一種の快もあり、泣き終わって疲れはてると、内にこもっていた苦悩が外へ押し出された結果、いくらか「すっきり」して、気持ちに区切りがつき、場合によっては、実はたいしたことではなかったと思えてきたり、次へ進もうという気になったりする。痛手が大きいときは、しばらく引きずるけれど、それでも何度か泣くうちに、苦痛は遠ざかっていく。そういうふうになることがわかっているから、なにか苦しいことが胸につかえているとき、それが充分に高まって涙に変わるのを待つ態勢になることもあった。
ところが、今回は、どれほど長時間、激烈に泣いても、内面の状態がまるで変わらない。泣いた分、体が疲労するばかりで、苦痛は途切れも弱まりもせず、ただ単調に、べったりと、轟々とつづいていく。精神の正常な機能がほんとうに壊れたのだと実感した。
いくら泣いても、意味はない。なんの安堵も解放感もやってはこない。この認識は、ひととおりの日常生活を送ることができる程度に回復したいまも、くさびのように胸に打ちこまれていて、繰り返し思い出されるし、実際に涙が出ても、それによって心がほぐれる感覚を得ることはない。涙がカタルシスをもたらしうる世界から、自分はこぼれ落ちたのだと、絶えず心のどこかで感じながら、寝起きしている。
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泣くことが意味をなさなくなる地点を、この作家は知っている。ハン・ガンの小説を読んだとき、そう思った。詩人で翻訳家のMさんとメールを交わしていて、ちょうど出たばかりだった『別れを告げない』(斎藤真理子訳)を勧められたのが、なぜか強く印象に残り、読まなくては、という気になったのだ。こちらの不調について、Mさんには詳しく話していなかったけれど、あたかも処方してくれたかのようで、この時期にハン・ガンを読んだことが、わたしにはとても助けになった。
彼女が描く人物たちの多くは、わたしとは比較にもならないほど、深々と傷を負っている。生活の基盤を根こそぎ奪われたり、近しいひとに暴力をふるわれたり、あるいは組織的な拷問や虐殺の標的となったりすることで、人間がもはや人間でいられなくなる極限状態に晒される。それは、息をしていても、生きているとは言えないような、生と死の境が溶け出してしまうような領域だ。
『別れを告げない』の冒頭、語り手である作家、キョンハは、ここ四年のうちに家族も職場も住まいも失い、心身とも衰弱しきって、一人で暮らしている。四年間の自分の姿を、彼女は「殻から体を引き剝がして刃の上を前進するカタツムリ」になぞらえる。その体からは「血なのか粘液なのか涙なのかわからないものがとめどなく漏れ出す」。
似たような液体は、小説の中盤で再度、現れる。大怪我をして入院している映像作家で木工職人の友人、インソンの頼みで、彼女の飼うインコの世話をしてやるため、雪に埋もれた済州島の中山間地にある彼女の実家にたどりつき、間に合わず死んでしまった小鳥を布につつんでいる最中、手の甲で目をこすったキョンハは「目から粘っこい汁のようなものが出ている」ことに気づく。来る途中にやぶで切った目の下の傷から出る血に混じった「酸っぱいようなねばつく涙」だ。「こんな苦痛を感じるほど愛したこともない」はずの鳥の死に、「なぜ涙が出るのか理解できない」。
理由も終わりもなく、ただとめどなく血の涙を流す体が一方にあり、もう一方には、泣くよりも、じっとしたまま大量の汗をかいたり、耐えるために意識を飛ばしたり、魂が抜けたように呆然と過ごす体がある。作品の後半で、雪に閉ざされたインソンの家は、一本のろうそくの明かりに照らされた、生と死のちょうど中間に揺らめく幻の場所となって、そこに済州四・三事件で追われ殺された人びとの影が映し出されることになるのだが、これらの、泣くことの彼方を知ったひとたちの体感に、肌を寄せるようにして、わたしは読んだ。
本作の緻密に編まれた言葉は、累々と積みあがる死者たちを召喚する一方で、それらの死者とともにいようとする者を、降りしきる雪と、闇のなかの小さな炎と、ふんわりした小鳥の羽でそっとつつむ。小山内園子が『回復する人間』をめぐって述べるとおり、「ハン・ガンの手つきは、読む側を悲嘆の側に置き去りにしない」。
彼女の作品を読むことで、わたしは自分の精神の置かれた状態を作中人物たちと分かち合い、別のひとの体で体験し直すことができた。そうしながら、気づかないうちに、柔らかなものにそっとつつまれていた。
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謡曲「砧(きぬた)」に、涙の描写があったのを思い出して、小学館の新編日本古典文学全集『謡曲集』を取り出す。ついでに、もう足腰が弱って仕舞の稽古へ行くこともない父に去年もらった、宝生重英『宝生流地拍子附正本』も出してみる。昭和九年発行の版だ。和装の表紙は、浮き出し模様の入った白い地に、金の箔押しで松の枝が描かれている。
世阿弥の作である「砧」は、筑前・蘆屋のある男の述懐からはじまる。訴訟のため単身上京して三年になる彼は、家に残した妻を案じ、今年の暮れにはかならず戻るとの伝言を託して、侍女の夕霧を妻の元へ帰す。
妻は夫の不在に耐えられず泣き暮らしていて、夕霧に苦痛を訴える。そこへ村人の打つ砧の音が聞こえてくる(砧は、木の台に置いた布地を木槌で叩いて柔らかくしたり光沢を出したりする道具)。妻は、かつて唐土の蘇武が異邦に留め置かれたとき、その妻が遠く離れた夫を思って高楼にのぼり砧を打ったところ、蘇武が夢でその音を聞いたという故事を思い出し、自分も同じことをして心を慰めようと、泣きながら砧を打つ。けれども、その後、約束した年末にも夫が帰らないと知ったとき、妻は狂乱して病み、亡くなる。
悔いた夫が帰郷し、弔いのために人びとを集めて、妻の霊魂を招き寄せると、現れた妻の亡霊は、「邪淫の業深き」罪により、自分が砧を打ったときのように、いまは獄卒の笞に打たれていると語り、夫に恨みを述べるが、夫が法華経を読誦すると、その功力によって成仏する。
全曲を通して、涙への言及がある。妻は登場するや、「袖にあまれる涙の雨の、晴れ間稀なる心かな」と言い、砧の段になると、夕霧との掛け合いで「涙片敷くさ筵に」、つまり、涙に濡れた片袖を床に敷き、と述べてから、夕霧と二人して砧に向かう。そして秋の夜、風の吹くなかで砧を打つ女の姿を、地謡はこのようにうたう。
「月の色風の景色、影に置く霜までも、心凄き折節に、悲しみの声虫の音、交りて落つる露涙、ほろほろはらはらはらと、いづれ砧の音やらん」
現実には、渡辺保も指摘するとおり、風、声、虫、涙、砧の音は、区別がつかなくなるほど似てはいない。けれども、濃密な文彩によって次々と重ねられる「移りゆくもの」(月、風、音、水)の奔流が、涙とともに、砧を打つ音に合流するとき、その全体は「ほろほろはらはらはら」という、もはや風景とも感情ともつかず、具体的になにを示しているとも言いがたい、現実を超えたオノマトペとして夜空に響く。
他方、亡霊となって地獄で責められる妻の様子を地謡が描くとき、涙は別の様相を見せる。
「因果の妄執の、思ひの涙、砧にかかれば、涙はかへつて、火炎となつて、胸の煙の、炎にむせべば、叫べど声が、出でばこそ。砧も音なく、松風も聞えず、呵責の声のみ、恐ろしや」
かつて砧を打ったときに流した涙は、風や露と重ねられたが、ここではそうではない。涙は砧の上に落ちると火炎となって煙をあげ、その煙にむせんで声が出ない。砧の音も松風もなく、聞こえるのは獄卒が罪人を責める声だけ。季節も風景もない地獄で、涙は火と化して彼女を苛む。
この曲は、筋らしい筋もなく、ただひたすら一人の人間のかかえる悲嘆に、詩的言語を尽くして迫るもので、人物の内面をつぶさに追う近代以降の小説に近い読み方を誘う。女の苦悩は、理屈の上では、夫に打ち捨てられて心情的にも性的にも満たされないために生じた、ということになるのだが、見聞きするもののすべてが涙に塗りこめられるかのような詞章を追っていると、彼女は、夫が戻りさえすれば元気になるというのではない、もっと根の深い憂鬱にとらわれているのではないか、という気がしてくる。どうしようもなくやりきれなくて、涙を止めることができず、とどめの一撃を受けたが最後、命まで手放してしまう彼女は、泣くことが慰めにならない地点を知った者の一人ではないのかと、思わずにいられない。
けれども、法華経の力によって成仏した彼女について、地謡による結びの一文は、やや不思議とも思われる考察を加える。
「これも思へばかりそめに、打ちし砧の声のうち、開くる法(のり)の花心、菩提の種となりにけり、菩提の種となりにけり」
思えば、彼女が砧を打ったとき、その音のうちに仏法の花、つまり法華の心が開いた、それが機縁となって成仏にいたったのだ、という。
彼女が砧を打ったのは、妄執に駆られてのことで、信心のためではまったくない。だからこそ、地獄に送られ、自分が砧を打ったように獄卒の笞に打たれ、涙は火炎となって身を灼くのだ。夫への執心のあまり、真似事で打った砧の音が、どうして「菩提の種」になりうるのだろうか。
わたしは能楽研究にも仏教思想にも疎い身だけれど、小説を読んできた視点から、この謡曲を読み返してみて、ふと、砧とは、妻にとって、表現手段だったのではないか、と思った。
蘇武の故事を思い出したとき、彼女は泣くばかりでいることをやめて、先達に倣い、道具を手にし、技を用いて、布を叩き、音を出した。台に置いた布地に面と向かって、木槌を打つ女の姿は、楽器を奏でる者に近い。
もちろん、苦しみを音として表現したからといって、その苦しみが弱まるわけではない。むしろ行為に移した分、痛みを強く感じる場合もあるだろう。だから彼女は恨みと悲しみを述べつづける。しかし同時に、芸の位相に託すことで、苦しみは、別のなにかへと開かれはじめる。
秋景色と涙とが砧の音に交ざり合う「ほろほろはらはらはら」の響きこそは、表現というものが開くそのような契機、すなわち、涙が、涙の音楽へと変容する兆しを、名指したものではないだろうか。であれば、その響きは、たしかに、苦しむ者にとっての救いの機縁、「菩提の種」となるはずだ。
あの泣きつづけた日々を言葉のかたちにしたくてこの文章を書きはじめた自分に、引きつけすぎた読解かもしれない、と一方では思いつつ、そのような読み方を受けとめる五百年以上前の作品が、ここにあることが懐かしい。淡い光に照らされる思いで、謡本を眺めていた。