砂浜へ行けば貝殻を拾い、河原へ行けば小石を拾って飽きないのは、子供のころから変わらない。はじめは見えなかったものが、じっと見つめるうちにだんだん見えてきて、ひとつ目に留まると、似た色のものが急に浮きあがるようにあちこちから目に入り、視界が鮮やかになっていく。知識があるわけでも、テーマを決めているわけでもなく、ただ気に入ったものを選んで旅先から持ち帰ろうとしているだけで、ほんの少ししか手元には残せないから、自分はほんとうにこれがいいと思うのか、よくよく吟味する、その精神の集中も楽しいし、やめておこうと決めたものを思いきりよく捨てるのも楽しい。
そうやって持ち帰ったものを、仕分けるでもなく、空き箱に雑然と溜めこんで、たまに取り出しては、これとこれはあの土地で拾ったもの、こちらは……と思い出しつつ眺める、ということを、たぶん五、六年前あたりまでは、自然にやっていた。できることが当たり前で、できるできないを意識すらしなかった。
ところが、この数年で、できなくなった。見覚えはあっても、いつ、どこで拾ったのか、まったく思い出せない。よく考えれば記憶が戻ってくる、という感じではなく、いわば石や貝にくっつけてあった仮想の名札の、文字のあったところが、空欄になっている。
全部を忘れたわけではない。たとえばニューカレドニアのマングローブ林で見つけて、現地在住のAさんにも驚かれた、ほぼ完全なオウムガイの殻などは、変わり種だから、もちろん覚えている。ルーアンの森をSさんと散歩したときに拾った、外側が白くて断面が半透明の尖った石も、河原からもってきたほかの石と大きく違うので、わかる。ごく最近拾った、根室のカシパンウニの殻や、秩父の荒川河岸の赤褐色の小石も、問題ない。
けれども、そのほかに、色も模様も形も大きさもさまざまな、どこのものともしれない貝殻と小石がある。串間、多治見、神津島、などで拾ったもので、なかにはジロンド川で作家のMさんと拾ったものもあるはずなのに、どれがどこのものなのか、わからない。貝殻は、まだしも形態から種類を同定し、その名を示すことで、どういうものなのかをひとに伝えることができる。けれども、石のほうは、ひとつひとつの見た目があまりに違っていて、ごく大雑把な組成上の分類はできるとしても、形状や色味を正確に言語化することが難しい。それだけに、産地が不明となると、ぽつんと、孤絶したふうに見える。
箱のなかの石は、まるかったり、角張っていたり、なめらかだったり、ざらついていたりして、光沢のある鉄色、艶消しの白、朱色がかったピンクと白の縞模様、薄い藤色のマーブル模様と、とりとめがない。あるとき、ある場所で、わたしが気に入った、ということだけがたしかな、よるべない集合として、そこにある。
特定たんぱく質の量の測定を用いて人間の老化の進み方を調べる研究について、池内了が少し前に書いていたのを思い出す。一般に身体組織の老化は、徐々に、ではなく「階段的」に進行し、平均的には四十四歳ごろに一度目、六十歳ごろに二度目の「加速期」があるという。もちろん、時期に関しては個人差が大きく、ひとによって十歳ほど前後するのだが、いずれにせよ、階段的進行、という点については、池内も自身の体験として語るとおり、あるとき自分が急に「歳を取った」ことに気づいて愕然とするひとの多さからして、納得がいく。
わたしにとって、その一度目の「加速期」は、異常な緊張を強いられたパンデミックの数年、さらに精神の不調と重なり、この疾患は思考力や記憶力の障害をともなうものだったから、忘れたり、見落としたり、時間がかかったり、混乱したり、という変化は、病気の症状として、劇的に現れた。ただ、どこまでが病気のせいで、どこからが老化のせいなのかは、結局のところわからない。精神疾患が加わったために、「加速期」の階段の段差が普通以上に大きくなったものの、現在の状態は、おおむね、いずれは到達することになっていた場所だったのかもしれない。
それにしても、この階段は、おりているのだろうか、のぼっているのだろうか。人体の成分や機能を数値化し、衰えを数値の低下としてグラフに表す研究の視点では、もちろん、階段をおりる想定なのだろう。でも、石ひとつにも貼りついていた地名や風景や出来事の記憶が自分のなかから消えるのなら、その言葉や影像の重みから逃れた心身は、軽くなっていく、とも考えられるのではないか。
貝も、石も、もともとは土産のつもりで拾ってきたものだから、出所がわからなくなったのは、寂しい。とはいえ、はじめから採取場所を記した札を付して、仕切りのついた標本箱にでも保管しておけばよかったかというと、そうとも思えない。収集品として整然と並べたいのではなく、ただ落ちているものを、なんとなくいいなと思って拾い、ポケットのようなところに入れて、たまに出して掌に載せてみたいだけなのだ。
いま、箱のなかに散らばった石を眺めると、拾った時間や場所や状況にまつわる情報が剥ぎとられた分、心許ないと同時に、さっぱりとして、石そのものの色や形や大きさや質感が、まっすぐに目に届く。その石を見つけたときの気持ちに、むしろ近いようにも思う。
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来歴の重みを洗い流され、ただの物体となった石を前にした、この軽やかな感じは、なにかに似ている。そう、柳宗悦『妙好人論集』に描かれた、妙好人の感じだ、と気づいた。求道のすえ、心身のすべてを仏にゆだねる他力道の核心をつかんだ浄土系仏教の篤信者たちの言行を語る柳の文章は、宗教的な観点というより、物語としての面白さから、わたしにとって忘れがたいもので、大学生のころから、何度か読み返している。
主に幕末から昭和初期にかけて記録され、人口に膾炙した、多様な妙好人の行跡を、柳は伝える。多くは農村に住む無学な人びとで、知ではなく情によって信仰をきわめる。たとえば、因幡の源左という男は、刈り終えた重い草の束を牛の背に載せた瞬間に、信心とはなにかを悟り、自らの業を仏に背負ってもらうことのありようを教えてくれた牛に感謝する。あるいは、とある三河の夫婦が、嵐の夜に、五十里も離れた京都の本願寺を風雨から守らねばと思いたち、二人で丘にのぼって夜じゅう風呂敷を広げたりする。こうした逸話はいずれも、謎めいていたり、常軌を逸していたりするのだが、それは必然であって、この場合の帰依とは、論理を捨てること、筋道の通った言葉を超越すること、矛盾が矛盾でなくなることによってしかなされないのだ。
権威も理屈も押しやり、自他の境界も無化して、安心を得た者は、「ほのぼのとした夜明けを仰ぐ」。生活上の苦難や、それによる悩みがなくなるわけではないが、たとえ辻褄が合わなくても、未解決の状態のままで救われると「わかる」ことによって、「暗さがそのまま光に浴(ゆあ)みてくる」、と柳は言う。なにもかもをありがたく受けとめる姿勢は、従順な国民でいることとの親和性をときに覗かせて、危うくもある。その点は胸に留めつつ、それでも、現世の条理を振り切った彼らの朗らかさが、わたしには慕わしい。
かつてはたやすく記憶していたことを、完全に忘却してしまうのは、やはり悲しい。しかし同時に、かつて過去の記憶をまとっていた石は、その堆積を取り払われることで、明るくなる。目の前にある、ただのまっさらな石として見えてくる。この感覚が、わたしのなかで、妙好人の屈託のなさと結びついたのだった。
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空気が乾燥する季節に、片方の目が乾いて、角膜に傷がつき、まばたきをすると痛いのは、以前からのことだが、この数年、だんだん悪化して、もはや季節を問わず、ときには目を開けていられないほど痛むようになった。あらためて診察を受けると、目を温めるようにと言われた。眼球に脂分を供給する腺の機能が弱っているのが一因で、温めれば改善が見込めるという。
電子レンジで熱いおしぼりをつくって目に当て、冷めたら取り替える方法でもいいし、使い捨ての温感アイマスクを使ってもいい、とのことだったが、家に電子レンジはなく、それに皮膚が弱いたちなので、濡れた布を頻繁に当てたり外したりすれば、蒸発によって肌が乾き、痒くなるのは目に見えている。使い捨てのものも、人工香料や不織布の刺激に耐えられないだろう。電源につないで繰り返し使える製品もあるのだが、玩具めいたプラスチック製の電化製品を増やすのは、気が進まない。
石を使えばいいのではないかと、思いついた。
ハン・ガンの『別れを告げない』(斎藤真理子訳)に、済州四・三事件で捕らえられ、拷問の後遺症で心臓を患うひとが、鍋で煮て温めた石を、心臓の上に当てて休む、という記述があった。「黒い石で、ぼこぼこ穴が開いて」いる。溶岩石だろうか。七年前に済州島へ旅行した際、そういう石をよく見かけた。火山活動によって形成されたトンベクドンサン湿地を歩いたときの薄暗さがよみがえる。
拾った石をしまってある箱を開けてみると、ちょうど眼窩くらいの大きさの、片側が少し狭まった楕円形の平たい石があった。全体にまるみがあり、すべすべしていて、透明感のある黄色がかった乳白色に、ところどころ、ひび割れのような黄褐色の模様が入る。分類上は、チャートに当たるのだと思う。いくら眺めても、どこで拾ったかわからないが、拾ったときの自分が気に入ったことはよくわかる、きれいで、手触りのいい石だ。
仕事部屋の暖房は、上にやかんを置ける型のガスストーブなので、穴をふさがないようステンレスの網を載せて、そこへ石を置いた。しばらく経ってから、タオル地のハンカチにくるんで、まぶたに当てる。熱が目の奥へ沁みていく。少し温度が下がってきたら、四枚重ねていた布を二枚にする。それでも素手ではさわれないくらい熱い。医者に指定された十分間、冷めることはなかった。
毎日、この石で十分のあいだ、目を温めて、終わると、反対側の目も温めたり、首筋に当てたり、握ったり、冷めるまでポケットに入れておいたりする。繰り返すうちに、わたしにとって、大切な石になってきた。家にいるとき、手元にあると、安心する。
追憶のよすがでもなければ、観賞用の置物でもなく、わたしの役に立つ道具、それも痛みをやわらげる道具となることで、この黄色く平たい石には、新たな意味合いがこめられた。来し方を消されたものも、これから、こうして一緒に暮らしていけば、もう一度、かけがえのないものになっていく。