雪国に暮らしてきた長い年月の結果、雪の美しさに慣れてしまった。雪が真っ白で美しい。雪が冬になるまでの罪と痛みを消す。積もると全てがただただマシュマロのようなフワッとした感覚になる。あれ、私は昨年の秋に悪いことをしたんだっけ? 脳が寒さで麻痺するからあまり覚えられない。他方、夜は雪明かりで明るいので、もともとの不眠症がひどくなるだけ。カーテンを開くと、裏のクリの木が雪の中で真っ直ぐ立っている。フワフワの冷たい雪に埋もれているのに、春まで曲げる気はしない。だって、その木の下に去年生まれたばかりの猫たちが暮らしているから。猫とクリの木、永遠に降る雪と光。夜だと思えないほど明るいのに、とても冷える。窓から冷たい風が入って、手が冷たくなる。身体が全部冷たい。
今夜も寝られそうにない。こんなに静かなのに。近所の家で岩木山は見えないけれど、存在を感じている。いつも寒いのに平気な岩木山。火山だからかな、といつも思う。私が初めて見た火山が岩木山だったので、温泉があって中は暖かいと想像するけれど、火山についてはあまりよくわかっていない。私と火山が違うのかもしれない。岩木神社の女神と相性が今ひとつだし、私の中が暖かいかどうかもわからない。冷え性がずっと前からひどいのもあるけれど、昔から意外と冷めている部分がある。高校のとき、友達の彼氏に「冷たい」と言われたことがある。いつもこのように男性に勘違いされるけど、どうでもいい。触られるのが好きではないのかもしれない、犬と子供以外は。犬と子供は暖かい。そして嘘をつかない。
いただいたハン・ガンのエッセイ集を開く。詰まって、何も読めないときに彼女の言葉だけが、犬と子供と同じように、嘘をつかない気がする。温もりがある。
「生命は生きようとする。生命は温かい。
死ぬのは冷たくなること。顔に積もった雪が溶けないこと。
殺すのは、冷たくさせること。
歴史の中の人間と宇宙の中の人間。
風と海流。全世界をつなぐ水と風の循環。私たちはつながっている。つながっていますように、どうか。」『光と糸』
なぜか、どの論文よりもハン・ガンのこのような言葉が、私の終わりのない研究の参考になる。何年か前に作った民族誌映像『光と風と水と土』につながる。同じ光と風と水だよね。繋がっている。同じ土の上で。どうか繋がっていますように。次のページに出てくる言葉も「愛する人の骨を見つけて」とぽつん。ぽつんではないかもしれないけれど、私も似たような話を聞いている。骨を舐める女性の話を、いつになったら書けるのか? 骨は学術的でしょう…? だから書きづらい。骨について詩しか書けない、私。骨を返してくださいよ。
というより、同じ島国の日本とバヌアツ、同じ火山国の日本とバヌアツ、こんなに違っているのにこんなにつながっていた。日本とは「日が出る国」だと思われるけれど、青森にいると冬の間は全くおひさまに出会えない、長いあいだ。その代わり、違う光に出会う。雪の光、水の光、温泉の湯気の光、日本海の消えそうな光、氷柱の光。だから冬の間にバヌアツの海と川の青さを脳に刻んで生き残る。りんごは腐り始めた頃にはもう限界でも、りんごでジャムを作って、魚屋さんでイワシを探して、イワシの蝋燭みたいな光で心が温まる。きっと誰にもこの環境の厳しさが伝わらない。ハン・ガンのこの言葉を読んで、身体に電気が通る。「死ぬのは冷たくなること。顔に積もった雪が溶けないこと」。この通りと叫びたい。『別れを告げない』の済州島の環境の厳しさがよく似ていると思った。この本を青森出身の友達に薦めたら、こんな感想が返ってきた。
「おはよう
雪、すごいね・余っています。
ハンガンの別れを告げない、読んだよ! 歴史の惨状を基底として母子と親友と、ペットのか弱い鳥と壮大な自然描写、夢、現実、過去、未来、全部折り重なって書かれてるのに一本線を歩いてるような感じだった。哲学的な。。
済州島、青森ににてるのかなーとか思っちゃったよ、、残虐行為が近くであったなんて知らなかった…
話は戻るけど、最近心身が調子悪い・・いらいらと鬱に効く漢方飲んでるよ。
これはとりあえず雪のせいにします」
これは昨年の2月23日なのに、昨日届いたかのように、私たちが今年も冷たい雪の中に埋もれて、何も変わっていない。不思議だけど、ハン・ガンの文章のように、私たちの顔に雪が積もったら溶けるでしょう。どうか、溶けますように。それと、こんな寒いのに人が虐殺をするのね、するのね。あり得ない。でも友達の最後の言葉「とりあえず雪のせいにします」の中に救いがあると思う。こんな吹雪いているのに、よく生きている、私たちが。これでも「生命は生きようとする」。
私、って本当に冷たいのか。先日、人生で初めて経験したことがある。自分の身体から、特にお腹からものすごい煙が出るところを見た。とても火山っぽいと思った、いい背景だと思った。私が冷たいと言ってきた人たちに、ほら見てごらんと言いたかった。お腹が温かくなったら、確実に生きている。何回殺されても。もう二度とこのお腹を冷やさないようにするな。かなり、たくさんの煙が出た。横になっている激しい手術と様々な辛い経験をしたこの身体、お産2回したこの私のお腹からこんなにたくさんの煙が出て、こんな幸せな気分は味わったことがない。ぜひ、煙が出る私を想像してほしい。私を嫌った人も、私を愛した人も。人類は火を持つようになってから最高のイメージ(私にとって)。エゴン・シーレの絵のタイトルにぴったり、『罰せられたのではなく浄化されたような気分だ』(I Feel Not Punished but Purified)。絵を描きたい。
「生命は温かい」
これは私にとって東洋医学との初めての出会いだった。鍼灸院から外に出て、雪の中で車までしばらく歩いた。顔と髪の毛に積もった雪が煙と湯気になって、あっという間に溶けた。身体が何年ぶりにぽかぽかしていて、ほっぺが赤い。自分の身体から、スモークした魚のような、祖父が作っていたスモークドベーコンとソーセージのような、美味しそうな匂いがした。煙によく浸かっていると、この身体を誰かに美味しそうに食べられるかもしれないと思いながら車に乗った。シーンと雪が溶ける音がした。自分も溶けたくなる。歴史に残る人としてではなく、無名の残らない人として。骨を舐めた女とおなじ。あなたは私を思うと知っている。煙のような湯気のようなもので繋がっている。
「風と海流。全世界をつなぐ水と風の循環。私たちはつながっている。つながっていますように、どうか」。