「鳴子の米プロジェクト」が20年を迎え、昨年12月、プロジェクトにかかわったり応援してきた関係者が鳴子に集ってお祝いをした。‥と書いても宮城から遠く離れ暮らす人にとっては何のことやらお分かりにならないと思う。当プロジェクトについては、「水牛」の95回目(2024年6月)に概要を紹介する文を書いたので、そちらをお読みいただきたいけれど、ひと言でいったら、米づくりを地域のみんなでゼロから考え直し、食べる人と手をつないで農地を維持していく活動、となるだろうか。
公民館のホールに、東京、仙台、山形、岩手、秋田、福岡など、全国からの参加者約80名が集まり、テーブルの上の地元の料理をいっしょに食べ飲み話すにぎやかな会となった。メインは地元の桶職人、金田さんがつくった杉の大桶に並べたゆきむすびのおむすび。梅干し海苔、鮭海苔、青菜刻み、麹なんばん、生姜混ぜ込み‥迷いながら一つを選びほおばっていると、あいさつが終わりステージの上で鬼首地区の御神楽が始まった。何度も見ている神楽なのに知らない演目も披露され、新しく加わったのか中学生らしき舞手もいる。豊作の祈願のたびに集落の人たちが集い楽しんできた御神楽だ。やがて神楽保存会の後藤さんの朗々とした歌が会場に響き渡った。なつかしい顔がそろい、何年ぶりかに会う人も多く、何だか同窓会みたい。でも学校の同窓会よりいいなぁ。地域も年齢もみんなばらばら。ただ、このプロジェクトに賛同して力になってくれた人たちだ。たしかに20年たって歳をとったのは間違いないんだけれども。でもまだ、誰が誰かはわかるからね。
ちょっと解説をしておくと、プロジェクトでは20年間、活動に参画する農家が「ゆきむすび」という一品種をつくり続け、この米を味わってもらい米づくりを考える場として「むすびや」というおむすび店も運営してきた。桶にぎっしりと詰め込まれたのは、このむすびやの人気メニュー。ゆきむすびはでんぷん成分が少ない低アミロース米で、もち米のような粘りがあり冷めてもおいしい。炊き立てよりむしろ冷めた方が、歯応えと米のコクが増すような気がする。「やっぱりおいしいよねぇ」といいながら、みんなでつぎつぎと手を伸ばす。大桶でふるまうと、きまって全種類食べたという人が現れる。それも大体は女性が。
もう何年も前から米はブランド化を図ることが重要とされ、自治体はこぞってブランド米の生産に力を入れてきた。いまもこのブランド化をめざす動きは変わっていない。令和の米騒動が起き米不足が起きたとたん価格のことばかりいわれるようになったけれど、数年前までは米は主食なのに消費者からはどこか嗜好品みたいに扱われ、一番うまいといわれるのは新潟の魚沼産コシヒカリとされてきた。ゆきむすびも鳴子のブランド米、と誤解されることがあるけれど、それは違う。行政の指導によって品種を地域が引き受けるのではなく、地域の農家と力になった役場職員が冷涼な気候に合う米を求め探し出した品種なのだ。
「鳴子の米プロジェクト」の舞台となったのは山深い地域で、雪は深く水は冷たく田んぼは小さい。お祝いの会のトークに登壇したプロジェクト理事長の上野健夫さんは「農家を継いだ昭和55年は大冷害。寒くてまったく米が実らず、火をつけて稲藁を燃やしたんです。俺の農家人生はどうなるんだろうかと思いました。鳴子の米は牛も食わねえ、といわれたこともあるし」と冷害に悩まされ続けた苦労とくやしさをにじませた。つくり手部会長の高橋宏幸さんは「とわだ、おいらせ、ふじみのり、あきたこまち‥青森や秋田の米をつくってもうまくいかないんだね」と栽培品種の変遷を話した。寒冷地の品種に期待と込めて育てても思うような収穫は得られなかった。その心配の尽きないう米づくりがゆきむすびによって劇的に変わったのだ。「うまいから食べてみろ、と誇りを持っていえるんです、いまは」と上野さん。この米が地域に力を与え米づくりをあきらめないという機運を生んだのだ。品種の大切を教えられるし、米こそ適種適所なのかもと思う。
5月の田植え交流会、9月の稲刈り交流会には、毎年30人くらいの人が集まり、泥だらけになったり藁まみれになったりしながら田んぼで農家といっしょに愉快な時間を過ごす。このプロジェクトを卒論にしたいと泊まり込みで手伝いながら記録をとり調査に入る学生も引きも切らずにやってきて、受け入れた学生はこれまで100名を超えている。お祝いの会には、そんな元学生くんたちもあちこちから駆けつけた。もうみんな40歳に近いのだが、地域づくりを考える研究者になったり、農水省のお役人になったり、秋田県大潟村で大規模な農家を継いだり、おむすびチェーンの幹部になったりと実に多彩。その誰もが「鳴子は帰りたくなる場所」と口にする。たぶん初めて出会った生産地であり、オープンに家も気持ちも開いてくれる人たちにもう一つの居場所を得た気持ちになったのかもしれない。地域のいい歳の大人たちが集まって本音をぶつけ、希望を絶やさず頑張る姿は、こちらが想像する以上に彼ら彼女らの中に大きなものを残しているみたいだ。いまもまた新たな学生がつぎつぎと現れていて、私まで声をかけられ、プロジェクトのスタート時のことをあれこれと質問された。
そんな姿を見ながら、ああ田んぼは学校だったんだと思う。そしてここに集う人たちはともにお米を食べ食と農でつながるコミュニティなんだ、とも。都会から山間の田んぼはひどく遠い。だからプロジェクトでは、田んぼと食卓を近づける問いかけをしてきた。
「1膳のごはんを炊くのに必要なお米は約60グラム。3食食べたら180グラム。ではそれを田んぼの稲の株にしたらいくつ?」
「答えは、1膳は4株、1日で12株です」
稲刈りでは12株の稲を刈り取らずに残してみんなで眺める。けっこう広い面積の田んぼがいるんだよ、と。
20周年を記念して、農文協が超特急で本をまとめてくれました。『つながるごはん』。私も文を寄せています。ぜひお手にとってご覧ください。