風が吹く理由(12)春のあくび

長谷部千彩

 三月半ば、ある日の午後。停留所にてバスを降り、ふと目をやると、横断歩道の向こう、一本の木が白い花に覆われていた。信号が青に変わるのを待って、私は近寄り、枝を見上げる。昨日までは無骨な枝を伸ばしていただけだったのに。今年も最初にこの木が花をつけた。この木は、この辺りで一番初めに咲く桜。東京の開花宣言よりもひと足早く咲く桜。

 この町に住み始めて、もうすぐ10年が経とうとしている。住居は賃貸物件だから、そうもいかないだろうが、もしも願いが叶うなら、子供の頃に育った町と雰囲気の似通うこの町に、私は一生住み続けたいと思っている。
 春には桜、秋にはイチョウ、初夏にはツツジをも迎え、こぼれ種から育つのか、道端には、タンポポ、ひなげし、タチアオイまでが彩りを添える。加えて、この辺りには園芸家が多いのか、駅から家への通のりは四季を通して実に賑やか。朝顔や金魚草、百合に椿にアジサイと、花を咲かせた花壇やプランターが途切れることなく続いている。
 私の部屋は坂の上に建つマンションの一角にあるのだが、ベランダからの眺めがさらにいい。越してきた当初、私も驚いたものだ。点在する屋上庭園、その多さに。路上からは窺い知れぬ、とっておきの風景。庭園から庭園へ鳥は忙しく飛び回り、私のベランダにもラズベリーをついばみにやって来る。風に吹き上げられた花びらや葉が部屋の中にまで流れてくるのも、決してめずらしいことではない。
 東京を、自然の少ない、殺伐とした街だと言いたがる人は多いけれど、場所によるとは言え、なかなかどうして緑は多いほうだと思う。野山や田畑はないにせよ、春には春の、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の、都会に暮らす人間には都会に暮らす人間の自然との戯れ方が存在するのだ。

 夕方五時になると、「夕焼け小焼け」のチャイムが響く。数日前まで、この歌が聞こえる時刻には、一日は夜へと向かい、気温がどんどん下がっていった。なのに、今日は開け放った窓から柔らかな夕日を見ている。西の空に高層ビルとクレーンのシルエット。また新しいビルが建つのだろうか。東京は今日も何かを壊し、何かを作る。今年も桜がこの町を覆う。白い花びらでアスファルトの舗道は埋め尽くされる。だけど、私は、春が嬉しいのに―桜の木のある家で育った私は春が嬉しいはずなのに、心のどこかで少しうんざりもしているのだ。何十回も見てきたわかりきった春に、みなで喜び合うのを茶番に感じることがある。高層ビルを壊して建ててもまたそこには高層ビル。メリーゴーラウンドみたいに季節は今年も同じところへ戻ってきた。木馬は回る。ぐるぐる回る。私がこの世から退場する日まで。
「いま以上の幸せもいま以上の不幸も、私の人生には起こらないような気がするの。根拠なんてないけどね」
 私は大きなあくびをひとつつく。猫みたいな大きなあくび。大きな大きな春のあくび。