イラクのファルージャ。米軍が劣化ウラン弾や白リン弾を使ったという。そのせいかガンの子どもたちがふえているという。今までもファルージャのがんの子どもたちを支援してきたが、2013年の暮れには、ファルージャが「イスラム国」に制圧されてしまったのだ。
昨年の暮れ。
ファルージャ出身のアイド(15)君は、バグダッドに避難していた。親族から連絡があった。インドで手術を受けさせたいという。診断書を井下医師に診てもらう。
「助かる可能性はなく、放射線治療や、麻薬を使った痛みの緩和くらいしかないでしょう」という。残念ながら、そのことを親戚に伝えた。「つらい手術をするよりは、痛みどめなどで延命するのがいいのでは」
「わかりました。でも我々の文化には、あきらめるということはなく、神の奇跡を信じるしかないのです」という。その後アイドは、親戚や、隣人、モスクの支援を受けてインドで手術を行った。
アイドは、35日間インドで手術と治療をうけ、無事にバグダッドに戻ってきた。しかし、バグダッドには薬がない。そこで、私たちが支援しているクルド自治 区のアルビルの病院まで来ることになった。薬は私たちが支援することになった。約一年分くらいの薬だが50万円くらいかかる。交通費や宿泊費は彼らが自分 たちで払うという。
2月28日、病院のロビーには、アイドと母が、私たちを待っていた。アイドには、2012年の夏に、ファルージャで会ったことがあるが、そのときとは違 い、アイドはすっかり痩せこけていた。親子は、ホテルに一泊し、お金が尽きてしまい、ファルージャから避難している知り合いの家に泊まったが、毛布もな かったという。あと、どれくらい生きられるかわからないのに、QOL(クォリティオブ・ライフ)もあったものじゃない。ホテル代を払ってほしいと泣きつい てきた。
バスラのイブラヒム、バグダッドのアブ・サイードが、「JIM-NETの事務所に泊めてあげたらどうだ。あのかあちゃんは、今までもよく知っているから、 信頼していい。父親もいなくて本当にかわいそうなんだ。地下の物置になっている部屋があるじゃないか。お母さんに料理を作てもらえばいいし、掃除してもら えばいい。」
「いい考えだとおもうよ。でも、クルド人の大家は、嫌がるだろう。ファルージャのスンナ派アラブ人は、ここクルドでは、まるでISの支持者だと思われてるし」
昨年6月に、ISの攻撃から避難してきたキリスト教徒を事務所に泊めたことがあったが、この時は、大家が血相を変えて、「アラブ人を泊めるならお前たちも 出て行ってもらう」と怒鳴られた。クルドの兵隊は、ISと闘っており、犠牲者もたくさん出ている。TVでは、毎日、クルドの兵士をたたえるニュースやコ マーシャルが流れている。もともとクルドとアラブの民族間の歴史的な対立があり、微妙な差別感情が出始めていた。
だめ元で、イブラヒムが、早速大家に電話をする。大家は、クルド人だが、かつてイラク軍の兵役につき、イラン・イラク戦争時にはバスラで従軍していたの で、イブラヒムとは仲がいい。イブラヒムの妻がクルド人ということもあるのだろうか。意外に大家は、「困っている人を助けるのは、私にとっても喜びだ」と 言ってくれた。
事務所の地下の倉庫が空いていたので、アイドと母を泊めることになった。早速、掃除をはじめ、事務所は見違えるようにきれいになった。買い物に行き、アイ ドの母親が、ブリヤーニという(チキンチャーハン)家庭料理を作ってくれる。いままで、あまり口を利かなかったアイドも嬉しそうで、母親の料理をみんなで 一緒に食べた。5日間の闘病生活と私達の共同生活が始まった。
アイドは、2011年、ガンになった。ユーイング肉腫である。少し前に父が病気で亡くなった。自転車で転んでから腰の痛みが取れず、ガンだといわれた。インドで手術をした後、バグダッドのセントラル病院で化学療法が始まった。しばらくはよくなったと思えたが、2013年ごろから、アイドの様態は悪くなり、歩けないほどだったという。
「市場で、爆発があり、体がバラバラになって死んでいる人を見たんだ。」
それ以来アイドは、すっかり元気がなくなったという。
2013年12月。「イスラム国」がファルージャにやってきた。
アイドの母親は、「最初彼らは、ファルージャを開放するといいました。」その当時、ファルージャでは、政権によるスンナ派の迫害が続いていた。
「多くの人がその言葉を信じました。しかし、たばこもだめ、すっているのが見つかると、たばこを取り上げられ唇に押し付けられた人もいた。女性は髪も隠さなければ許されない。小さな子どもがサダム・フセインをたたえる歌を歌ったというので、その子の叔父がつかまり100回のむち打ちになったということもありました。」
それでも、アイドが、ファルージャとバグダッドの病院を行き来するときは、ISのチェックポイントは、「ガンで治療が必要だ」というと通してもらえた。チェックポイントがたくさんできていて、通常は一時間くらいなのに9時間もかかった。
その頃、マリキ政権は、3月の国政選挙に備え、スンニ派の議員をテロに加担したとして逮捕し始めた。ファルージャでは、平和的なデモが続いていたが、1月になると、デモの中に、「イスラム国」の戦闘員がいるとして、総攻撃をかけたのだ。
アイドの家族もバグダッドに避難し、アパートを借りた。アッダミーアという貧困地区で、家賃100ドルのアパートを見つけた。3部屋に3家族12人が暮すことになった。ほかの家族も夫がマリキ政権化で、武器を売買したとの疑いをかけられ逮捕されて収監されていたり、生活はぎりぎりだ。
ある日、アイドが病院に行こうとしたところ、今度はイラク政府のチェックポイントで呼び止められた。アイドは、足が虫に刺されたのか、腫れてきたので、包帯を巻いていた。
「お前は、ISの戦闘員だろう。だから、怪我をしているんだな」と逮捕されそうになった。
アイドと母親は恐怖に震え、泣いて事情を話し、ようやく解放された。「イスラム国」に捕まることは恐怖だが、「イスラム国」の戦闘員としてイラク警察に捕まると生きて帰ってこられるかわからないのだ。
イラク軍の攻撃も落ち着き、久しぶりにファルージャに戻ると、アイドの家は、無残にも空爆で、破壊されてしまっていた。イスラム国の兵士が、地雷を埋めているのが見えたという。闘病中のアイドが楽しみにしていたプレーステーションも壊されてしまった。
USとIS、どっちが怖い? とアイド君に聞いてみた。「ISの方がこわい」
ある時、市場を歩いていると、ISの戦闘員に呼び止められた。アイドの靴にイギリスの国旗がついているというのだ。「それを外さないと殺すぞ」と脅された。「取ります」と言えば、許してもらえたが、怖かった。
3月2日
イラク軍はティクリートの解放をめざし、総攻撃をかけた。約3万人の軍隊がティクリートを包囲したために間もなく5日間の治療を終えてバグダッドに戻る予定だったアイド親子は、幹線道路を絶たれ帰れなくなってしまった。
「無理して帰ることはない」と言ったが、「4か月の赤ちゃんがいるから」というのだ。嫁いだ娘の赤ちゃんだという。まだ、赤ちゃんが生まれる前に、父親は、チェックポイントでつかまり行方不明になっていた。寄進省のカメラマンとして働いていた夫は、カメラを持っていたので、ISから尋問を受けた。モスク関係の写真を撮っていたので許してもらえると思ったが、身分証明書には、公務員と記されていたので、拉致されたのだ。すでに、殺されているかもしれないという。
アイドの母が帰らないと、ミルクや、おむつ代も払えないというのだ。一家の収入は、母親があちこちからかき集めるお金である。何とか、支援してくれる人が見つかり、アイド親子は、アルビルーーバグダッド間のチケットを手に入れることができ、バグダッドに帰って行った。
別れ際に、母親が乞うた。
「半年後に、アイドは、またインドで治療を受けなければならないのです。全額ではなく、少しでいいから支援してもらえないでしょうか」私はうなずいた。その後、親戚のおじさんから連絡があり、飛行機で無事にバグダッドに着いたという。「今までは、治療に行くと、元気がなく気が滅入って帰ってくるのに、今回は、精神的にも元気そうでした。面倒を見てくれてありがとう」
生きてほしい。半年後、アイド君が、元気に微笑んでくれることを願う。