127アカバナー(12)女性

藤井貞和

そして黒人兵が、「草葉の光り」に眠る。
ここはバーだ、ひからびた指(ベトナム兵のそれ)を、
米本土まで持ち返ってどうする。
バーの名を「草葉の光り」と言う。 ははは、
青いやくざよ、草葉の光りに眠れ、と私は言う。
日本人をあいてにしなければならなくなって、
女性たちも、やくざよ、きみたちも、
一様に草葉に光る。 ここはベトナム、と、
指は抗議する。 翻訳を私は続ける、生活のために。
生活のために、女性を売る私じゃないか。
あれから四〇年が経つ。 琉球処分を践祖する始原の、
現在。 私よ、よもつ戸を開放するこの空洞で、
米兵の指をくわえ、いま……(*)知事の声に耳を傾けて、
わがする滂沱の涙を草葉のかげであなた、
私が愛した男、夫よ、女性は本気です。
(カヌーは私です。)

(*)いまは翁長と入れてください。

(前回に八重洋一郎さんの「……本土側ではこのような事態がほとんど知らされておらず、従って日本の全面積のわずか0.6%にすぎない沖縄に在日米軍基地の74%が集中している事実が引き起こす様々な出来事に全く無関心である」〈詩と沖縄の現在〉という一文を引用しました。5月17日にはセルラースタジアムの定員が3万5000人なので主催者側の発表でそんなかずだったそうで実際には会場のそとにひとびとがあふれていました。と、新基地反対集会のきのうの報告会および1〜3月カヌー隊の動画でした。18日付の『沖縄タイムス』紙の全紙特集を見せてもらいました。本土で普天間「移設」と認識している移設(という語)はほとんど嘘です。もともとあったところを本格的に基地とする新たな建設計画であり軍港化すると大浦湾ぜんたいがはいれなくなるもの凄い「移設」なのだ、と。だから沖縄では「新基地建設」と言って移設とは言わないようです。詳しくは(カヌー隊の)目取真俊のブログを覧てください。新基地は要塞みたいになるようです。広大な北部訓練場と結んでたいへんな防衛ラインになるのに、いくら自然を破壊しても後始末しなくてよいという取り決めが日米地位協定でしたよね。一九七二年の沖縄「復帰」という処分と一九七〇年の安保改訂とはまったく一連の時間(だってそうじゃないですか、一九七〇年と一九七二年とですよ)。まったく不明なことに二つのこととして理解していた私です。日米両政府からは同じことの表裏でしょう。「あいつら復帰したいと言ってんだから、復帰させてやろうじやないの」という沖縄に基地を集中させて「復帰」させるという安保体制の恒久化と沖縄基地の永続とがまさに表裏一体です。その体制を作った基礎は吉田茂、ついで岸信介という、それがそのまま五〇年後のいまに安保法制論議と辺野古建設との同時並行としてこの5月に繰り返されているのだから、なさけないばかりの歳月。サッカー汚職もすごいけどね。川内(せんだい)さん、どうしてもやる気なら桜島くんに出番をお願いしようかな。いやいやそういうことではなくて、口のえらぶさん、開聞岳くん、と思ったらほんとうにやってしまう(29日、口永良部島新岳噴火)。どうする? 東京(本土人)サイドではフクシマ/オキナワを話題にすることにすら慎重さをしいられる。翁長知事の4月5日の発言はしかし本土人の心に届く何かがあったかもしれず、話題にするひとをちらちら見かける。24日のヒューマンチェーンのなかには知事の訴えに対するレスポンスと考えて参加した人がいたかもしれない、と思われた。自然災害の国であることがむしろ日常的になってきたとコメントしている火山関係者。と、M8・5という巨大地震が30日、小笠原西方の深部で発生する。「東京にはけが人が出ていない」とか川崎では一人とか二人とか報道である。あれ、小笠原村を東京ではないと言うかのような。)